エピローグ4
「――以上が王宮が下した処罰の概要です」
部下の報告を聞き終え、第二騎士団団長ガノンパノラは椅子に深く座り直す。
「サルテカイツ家は事実上の没落か。むしろ今まで良く続いたものだ」
侮蔑か皮肉か自嘲か、判断に困る口調だ。
「領主、パルゴア・サルテカイツはどうなった?」
「はい。それが――……」
部下は促され報告を続ける。
無惨に破壊された屋敷の一室で若い貴族は発見された。顔面に殴られたような傷と、右手の裂傷、そして左胸についた不自然な痣がある状態だった。
「話を聞ける状態ではないということか」
今は貴族御用達の王立医療施設に収容されている。会話もままならない様子らしい。
何をするでも無く、ただベッドに座り窓の外を虚ろな目で眺めている。
有り体に言えば廃人だ。
「パルゴア・サルテカイツほどではありませんが、要所に記憶の欠損が見られるサルテカイツの執事長や護衛達、そして――」
「『夜霞の徒』だな」
部下の若い騎士は頷く。
「身柄を拘束した夜霞の徒は、全員で十一名。その中には【神威代任者】ライジルの姿もあります」
「大物だな、こんな所でお目にかかるとは思っていなかった。奴の様子は?」
「彼にも記憶の欠損が見られます。特に、先日のサルテカイツ邸での一夜については、ほぼ完全に失われています」
妙な話だと思う。一人二人ならシラを切っているという可能性もあるだろうがあまりに人数が多い。
気になる点は他にもある。
捕らえたサルテカイツの護衛も『夜霞の徒』も、どうにも弱すぎた。
弱体化の魔術を掛けられた様子もない。だというのに駆け出しの冒険者や、騎士見習い程度の力も感じなかった。
屋敷の護衛なら大した練度では無いのも頷けるが、名高い『夜霞の徒』や【神威代任者】がそのレベルとは思えない。記憶の欠損やを含め外的要因が関わったのだろうとは予想できる。
(知っているとすれば、バンズだが……)
今回の件で深く関わっている元同僚の顔を思い浮かべる。
バンズが襲撃したとは考えづらい。騎士団の団員が目撃したのはちょうど彼がやって来た所だと言うし、記憶を消し弱体化を施すような魔術を使うような男ではない。
新たに習得した可能性もあるが、それは極めて低いだろう。
騎士団でもないバンズでも無い第三者が、サルテカイツと『夜霞の徒』を襲撃したということになる。
自分達が屋敷に到着したときに少し彼と話した事を思い出す。
『これをやったのはウチで預かってる従業員だ』
バンズが嘘を付ける男ではないことは知っていた。無理に隠すことはせず自分へ打ち明けたのだ。
『俺が保証する。アイツは信頼できる奴なんだ。だから頼む! 見なかったことにしろとなんざ言わねぇ、アイツを罪に問わないでやってくれ! ムネヒトがやらなきゃ俺がやっていたことだ!』
お人好しに過ぎる男だと苦笑する。
今回は第二騎士団の活躍によりサルテカイツ家の不祥事が暴かれたということになるだろう。
バンズは首を縦に振った。面倒ごとを押し付けてすまないとも言っていた。
騎士団間の問題を、流石に元騎士は知っている。
「ハイヤ・ムネヒトか……」
この珍しい響きの名前を知る者は第二騎士団でも限られており、更に箝口令も敷いた。
実際に姿を見たものもいる。特徴は黒髪黒目の青年で、王国の出身では無く外国人。熟練の戦士や魔術士の雰囲気は感じられなかったという。
その青年をバンズが匿っているのかといえばそれも違うらしく、ただの旅人で従業員だそうだ。
ただの従業員が【神威代任者】を打倒出来る訳もあるまいにと、ガノンパノラはバンズに問い詰めたが本人も実はよく知らないらしい。
素性不明の人物を牧場に置いてるのかと呆れたが、そういえばこういう奴だったと大きなため息を漏らす。
(いずれは調査せねばなるまい)
信頼できるとは言われたが、それはあくまでバンズの主観だ。無視できる存在では無い。
そう結論付けたところで思考を切り替える。
そろそろ時間なのだ。
「ライジルに会う。何を目的でサルテカイツに与し、サンリッシュに近づいたのかを明らかにするぞ」
椅子から立ち上がり、古びた長剣を腰に帯びる。
若い部下は頷きその後に続いた。
・
アレからどうなった?
薄暗い騎士団詰所の牢の中でライジルはぼんやり考える。自分は確かに神の命によりこの地の『聖脈』を求めて足を運んだ。部下を引き連れ、念入りに準備を重ねてきた……ように思うが、はっきり思い出せない。
気がつけばこんな所に入っている。意味が分からない。
それにこの程度の牢など出ようと思えば難なく出られるはずなのに、魔術を発動できない。
杖を奪われ魔封じの手錠が掛けられているとはいえ、普段の自分ならなんら苦にならない筈だ。
これはいったいなんだというのだ。
『頂を臨む者だ』
「ーーッ!」
幻聴とは分かっているが思わず身を固くする。
まただ、誰だ。この数日の事が思い出せない癖に、やけにはっきり耳に張り付く言葉だ。
恐らくは若い男。残された最後の記憶からするに、この男に敗北したらしい。
この私が失態を犯したというのか。
その客観的な事実がライジルを絶望へ叩き落していた。しかも失敗の実感が無いのだ。どんな流れでそうなったのか記憶に無い。靄が掛かったかのような息苦しさがライジルを責め続けていた。
「ライジルちゃん、負けちゃったのーーーー?」
心臓を鷲掴みされるような恐怖を感じ、ほとんど無意識で身体を床に投げ出していた。
誰だなどと疑問の挟む余地は無い。
「ははぁっ……!」
ただ深く平伏した。それしか、いやそれさえも許されないのではないかという恐怖が圧し掛かり、上げる面も持たない。
「うっわ、狭い所ねぇ。こんなトコで一人反省会? カミウケる!」
足音も皆無、場違いなほど軽い口調で若い女性は牢に降り立った。
その声はライジルの心の砂漠に雨を降らせるかのような錯覚を起こさせる。心底畏怖を抱いているというのに、久しく聴いた真の主の声に悦びを感じていた。
「我が神よ……! 斯様な場所で迎える不敬を、どうかお許しください!」
神と呼ばれた、見たところ十代後半から二十台半ばの少女。背丈こそ普通だが、その容姿は目を疑うほど美しい。
ややつり上がった眉と両目は、他を威嚇するようなトゲトゲしさは無いものの近寄りがたい印象をうける。形の良い唇は緩やかなカーブを描き、笑みを浮かべている。
だが何よりの特徴はその長い髪だ。腰を過ぎ踵まで届きうる長い黒髪は、暗い牢の中だというのに濡れているかのように艶やかだ。
「いいよいいよ、気にしない気にしない。で? ライジルちゃんは何でこんな事になっちゃったの~?」
「ははぁっ! それが……」
神に子細を話そうとして口が止まる。何も思い出せない。
愚図が。敗北し失態を犯すだけには飽きたらず、尊き神を前にして一言も申し上げる事が出来ないというのか。
ライジルは自己の不甲斐なさを呪い、脂汗まみれになるほど脳を回転させる。
それでも、一言として喋る事はできなかった。知らないものを報告しろというのがそもそも不可能なのだが、神の望みに答えられない自分をどうしようも無い愚か者に感じていた。
「ん~。じゃあいいや」
黒髪の少女はそう言うと、ライジルの頭に手を乗せた。
ぞっ、とライジルの全身に喜悦の怒濤が押し寄せる。白い掌がさらさらと長さがバラバラな自分の髪を撫でている。
その事実にライジルは絶頂すら覚える。他の女性には一切感じなかった魅力というものを、この少女から激烈に思う。
「……なるほどねぇ、記憶を奪われちゃったのか~……最近の物だけみたいだけど、これじゃあ仕方ないよ。大変だったんだね、ライジルちゃん」
少女はそう言ってライジルの頭を撫で続ける。
「お、おお……!」
主の労いの言葉にライジルは涙を土床に落とす。慈悲深き神の言葉に、主の偉大さと自己の矮小さを思う。
「どうか、どうか罰をお与えください! そして挽回の機会を! この命に代えましても、必ずや『聖脈』を貴女様の前に!」
この御方の望みを叶える事こそが、ライジルの存在理由に他ならない。望むのならば自分の命など不要。生きろと言うのならば、どれほど屍の山を築こうが生き残ってみせよう。
「いいよ~。じゃあ、罰から与えよっかな?」
くしゃと、撫でる手が止まる。
「カミが
言葉が終わるや否や、ライジルの全身を深い虚脱感が襲う。
「く、ぁあがっ!? か、神よ……なにを……!?」
「だから罰だよ。ライジルちゃんに預けた
「……!」
それはつまり【神威代任者】を剥奪するということ。
神威を神より賜り四十一年三ヶ月と三日。偉大なる主の手足として今日まで懸命に働いてきた。
それは実年齢とかけ離れた若々しい肉体、体力精神力の全盛を保存していた力でもあった。
それが今、終わる。
神威と共に生命力も神の中へ消えて行く。
長く仕えてきた最期がこれだ。こんな終わり方など許せない。
「あ……ぁぁあ……!」
こんな
「か、かみよ……! かみよぉっ……!!」
たまらずライジルは顔を上げる。
今生最期の見る景色が、我が尊き神。視界を歪める自身の涙も邪魔だ。
「うっわ、めっちゃ喜んでるじゃん。カミウケるし」
微妙に引きった笑顔は、ライジルの長い生の中でもあまり見たことの無い種類のもの。そんな希少な顔を自分に向けてくれる。
自分は何という幸せものか。
「――、――!」
もう口も回らなかった。骨も筋肉も何もかも水になっていくようだ。
「じゃ――ね、ライ――ちゃ――……」
ライジルが最後に恍惚と思ったのは、結局罰とは何だったのだろうということだった。
・
「『頂を臨む者』ねぇ……」
ライジルの最期を見届けた少女は呟く。
彼の記憶から抽出された数少ない情報の一つ。この存在がライジルの記憶を奪い、自分が加護した記憶にまで触れてきた。
人にそんなこと不可能だ。
「まさか、他の神が介入してきた……?」
自分以外の存在を思う。あいつらがこんなに回りくどい真似をするだろうか。いや、しそうなヤツもいるな。
でも仮に、有り得ない事だが新しい神が生まれたというなら。
「ふふん、カミおもしろそーじゃん」
新しいオモチャになってくれると嬉しい。
・
牢に着いたガノンパノラを迎えたのは団員の雑踏と、その輪の中心で物言わぬ骸になった老人だった。
三十歳前後という事だったが、どうみても八十歳は越えている。何も映していない瞳からは滂沱の涙が流れていた。
牢の番人は監督不行き届きを咎められたが、彼曰くライジルは急に萎れていったという。誰もここには来なかったとも。
・
・
・
そしてまた朝がくる。
「ぬ、ぅぐ……頭いてぇ……」
どんなに二日酔いが酷くても、等しく朝がやってくる。
昨晩はついに牛舎が完成し、大勢で卓を囲み大宴会となった。
場所はB地区ログハウスの一階、食堂だ。
ミルシェにエッダさんや更にその友人達が腕を振るい、盛大に飲んで食べて歌って騒いだ。
モルブさんとバンズさんが中心となり飲み比べを始めるし、若い大工職人達が酒の勢いに押され、ミルシェに淡い想いを告げようとしたり。
ちなみに俺は番人のごとき立ち塞がり「ミルシェに告白したければ俺との腕相撲に勝ってからにしろ!」と、アルコールテンションに流され意味不明な事をしていた。
因みに一人残らず倒した。スキル使うなっていうルールは無いから仕方ないね。
その後は根掘り葉掘りミルシェとの関係を訊かれたが、ミルシェの兄だと答えておいた。ミルシェからブロッコリーまみれのシチューを出された。
結局いつまで起きていたか記憶に無い。悪酔いは当然だ。
上体を起こし、未だ薄暗い部屋を見渡す。祭りの後は、カラになった酒瓶や職人達のイビキで彩られている。
布団など無く、まだ新しい木独特の匂いが薫る床に全員で雑魚寝だ。上着を枕がわりにし申し訳程度の毛布がかかっている。女性陣は二階の個室で寝ているはずだ。
トタトタと控え目な足音が聞こえてくる。俺は誰が来たかすぐに分かった。バンズさんならあの辺りで寝ているし。
毛布をどけ立ち上がった所で、ドアを開けた足音の主と目が合う。
「あっ……もう起きてましたか」
ミルシェが小声で言う。
「まだ寝てても良かったんですよ? 朝の仕事は、私とおとーさんでやりますから」
「いや大丈夫だ。むしろバンズさんを寝かせてやろう。モルブさんとしこたま飲んでたからな」
苦笑いを浮かべるとミルシェも釣られて笑う。
「それじゃあ、行きましょうか」
「おう」
軽く返事をして腕を回す。足音を立てないように外に出たらA地区の牛舎に向かう。
「今日も晴れそうですね~」
夜明け前の藍色の風を浴びながらミルシェが言う。
「王都にチーズとバターを届けて、牛乳をあそことあそこに……」
「またマルが柵壊したから、修理しないとな」
「ブラシが古くなってきたから、買いなおさないと……」
「今日はアカデミーじゃなかった? ブラシは俺が買いに行くよ」
「ありがとうございます。じゃあ出来れば、ついでに新しいお鍋を……」
そんな今日の予定を話ながら牛達の、真新しい寝床で寝ている家族の元へ。
今日も忙しくなりそうだなと、ミルシェとの会話で思った。
いろいろしなければならないが――。
まずはおっぱいだな。
俺の異世界生活は、おっぱいから始まるのだ。
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