いつか見た夢

 

『うぇぇん……おがーざん……』


『あらあらミルシェ、どうしたの?』


 泣きながら帰宅した私をおかーさんは優しく抱き止める。温かく優しい柔らかさに、ついに涙のダムは決壊した。

 どこからとも無くおとーさんがブラシ片手にすっ飛んできた。


『ミルシェ!? おい誰に泣かされた! おとーさんに言ってみろ! お前の十倍は泣かせ返してやるから!』


『もう、大声出しちゃ駄目よアナタ』


 おかーさんに言われ、闘牛みたいなおとーさんは仔牛のようになった。


『よしよし。アカデミーでなんかあった?』


『うぅ……ミルシェ、牛さんみたいだって……みんなが……』


 私は同級生女子の誰より一部が大きく成長していた。一足先に二次性徴の洗礼を受けたのだ。背丈だって、もしかしたら一つ上の男子より大きいかもしれない。


『そっか……ミルシェも言われちゃったか……』


『ミルシェ……もう、大きくなりたくない……牛さんのお世話もしたくない……』


 回りをウロウロしていたおとーさんが『ガーン!』とショックを受けていた。


 お前がそんなに大きいのは、牧場で牛乳ばっかり飲んでるからだと同じクラスの男子に言われた。背は私より低かったが、声の大きな子だった。


 おかーさんは、ぽんぽんと頭を撫でる。


『牛とかお母さんもよく言われたなぁ~、うんうん。分かるよミルシェ』


『……おかーさんも……?』


『うん、ずっと』


 そういうおかーさんは、多分昔を思い出していたのだろう。しかしそこに辛さなどは見えない。


『皆と違うって、大変だよね』


 より一層強い力で私を抱き締める。悩む私よりおかーさんの胸が遥かに大きかった。

 小等部の私にはまだ分からなかったが、成長するにつれ自分を見る目が奇異なものから、別の種類も物も増えてくると知っていただろう。


『ミルシェは牛さん嫌い?』


 おかーさんの胸の中で首を横に振る。


『ふふ、お母さんも牛さんが好きよ。牛さんもお母さんが好きだったら嬉しいわ』


『俺だって牛に負けないくらい好きだぞ!』


『うん知ってる。でもアナタの話はしてないから』


 おとーさんはションボリした。


『確かにミルシェのおっぱいが大きいのは、お母さんと牛さんのせいかもね。嫌いになっちゃった?』


『ううん!』


 今度は言葉に出せた。


『私もミルシェの事が大好きよ! それに、おっぱいが大きいとこんな事が出来るの! それ、ぎゅう~』


『わっぷ、苦しいよおかーさん!』


 思わず窒息しそうなほどの埋没感だ。いまの私よりも大きいだろう。


『ふふっ、こうやって大好きなものを独り占めできるのよ~』


 抱きしめられ、頬擦りされる。過剰なまでのスキンシップはおかーさんのクセだった。


『んぎぎぎ……』


 苦虫を噛んでいるかのようなおとーさんの顔も見慣れたものだ。おかーさんを独占してる私に嫉妬しているのか、私を抱きしめるおかーさんに嫉妬しているのか。これは両方だったんだろうと今なら分かる。

 だがこの不満顔は、おとーさんなりのアピールだったのだ。


『まったくしょうがないわね~』


 ちょいちょいと手招きし、おとーさんを呼ぶ。そしてふらふら近づいてきたところを、いきなり抱きしめた。


『おかーさんのチカラをもってすれば、アナタ達二人を抱きしめるのなんてワケないのよ~』


 首に手を回され大きく抱擁される。おとーさんの嬉しそうな顔が目の前にあった。


『がはは! まったくミルフィにはかなわねーな!』


 それが少し照れ臭くて。


『おとーさん! おヒゲがちくちくいたいよ! あっちいって!』


『なにー!? おとーさんに何てこと言うんだ! コイツめー!』


 意味も無くじゃれあったりして。


『わっ! もう二人とも暴れないの!夕飯はお野菜ばかりにするわよ!』


『『ごめんなさい』』


 そして、まとめて怒られる。


『ねえミルシェ』


 優しい声が降ってくる。


『それはアナタの魅力よ。つまりミルシェの良い所』


 みりょくという言葉の意味は知らなかった。でもおかーさんに抱きしめられるのは好きだった。


『お父さんもお母さんにメロメロだったんだから』


『めろめろ?』


『そうそうメロメロ。それこそ牛さん達のミルク搾りより熱心に……』


『っておぉい! そう言うことはミルシェの前じゃ話すな!』


『あー! おとーさんが仲間はずれにするー!』


『いや、ちが……これはだな……』


 おかーさんに抱きしめられたままうろたえる姿は、今思い出しても可笑しい。


『きっと、いつか分かるようになる』


 頭を撫でる手が心地良かった。


『ミルシェにもぎゅうってしたくなる人が出来るわ』


『そうかな?』


 そうよ、と続いた。


『だから自分を嫌いになっちゃダメ。大好きな自分を、大好きな人に見せてあげるの。そのときまで、自分を大切にするのよ』


 優しい時間だった。

 みんなおかーさんが大好きだった。


 もっと、おかーさんとお話したかったな……。


 ・


「……夢」


 ミルシェは久しぶりに母の夢を見た。

 懐かしい声はこの部屋を広く見せる。昔、母のミルフィが使っていた部屋だ。

 授業が終わり、家に帰ったあと横になっている内に寝てしまったらしい。

 アカデミーにいっている間はバンズとムネヒトが配達に王都へ赴いていた。帰宅した時、二人の顔と半分も減っていない荷物を見て皆そろって肩を落とした。

 日に日に牧場の品物を買ってくれる人、交換してくれる人が減っていった。


 あれからパルゴアは牧場に来なくなった。バンズが何度かサルテカイツの屋敷に足を運んだが、面会は叶わなかった。

 だがまだ望みはある。バンズの知り合いが明日王都へ帰還する予定だ。今度こそは変化を望めるだろうか。


 ・


「ふざけんじゃねえ!」


 夕食時になり、下りてきた俺を驚かせたのはバンズさんの怒号だった。


「こんなもんが受け入れられるわけねえだろうが! 王国の役人は何を考えてやがる!」


 ただ彼は外に向かうドアに向かって叫んでいた。バンズさんの影になってよく見えないが、どうやら誰かいるらしい。


「申し訳ありませんサンリッシュ様、既に決定したことです。今日はこのまま引き上げますが、明日には城へのお越しください」


 シンプルだが上質な衣服を着た壮年の男性で、小柄でバンズさんより年上に見える。

 バンズさんの怒気を軽く流しつつ、知らない誰かは会釈しドアを閉めた。


「クソッタレが!」


 持っていた紙切れを床に叩きつける。


「な、なにかあったんですか?」


「! おうムネヒトか、無様なとこ見せちまったな……」


 舌打ちしつつ頭を掻き毟る。俺は床でぐしゃぐしゃになった紙切れに目を落とす。それが原因のようだ。


「おとーさん、どうしたの?」


 夕食の支度をしていたミルシェも手を止めて出てきた。


「……こんなのを寄越してきやがった」


 いかにも苦々しく、先ほどの羊皮紙を手で伸ばしながらミルシェにそれを渡す。俺も彼女の横に行き中身を見る。しまった読めん。字が分からん。


「! これって!?」


(なんて書いてあるんだ?)


 思ったが口には出せない。シリアスな空気なので気の抜けた質問で濁すのを避けたためだ。


「ああ見てのとおり、増税のお知らせだ。特に乳製品の税が倍だってよ」


「ば、倍!?」


 異世界の納税事情に詳しくなくても、いきなり倍ということが異常という事は流石に分かる。二人の反応だって深刻さを物語る。今はただでさえ牛乳などが売れていない。儲けなどほとんど無いのだ。そのうえ、納める税金がより多くの負担になると……。


「……エッダばあさんが、パルゴアの奴が城に行ったとか言ってたな」


 不意に言った言葉の意味を、俺もミルシェも把握できた。


「じゃあ、まさか……」


「……あのクソガキが……! 役人に顔を利かせて税を上げさせたな!」


 忌々しげに漏らした。パルゴアがやったという証拠は無いが可能性は高い。


「サンリッシュ牧場はサルテカイツ、領主の土地じゃねぇ。他の領地へは徴税権が及ばないからな」


 仮にバンズさん達がサルテカイツ家を領主と仰ぐ領民なら、より早く悪い変化は訪れたかもしれない。領主の徴税権により直接

 サンリッシュを削ぎに来ただろう。


「ウチには土地はあれど領主の資格は無い。持ってる権利は一国民と変わらない」


 サンリッシュが税を納めているのは王都へらしい。税の額などは都の役人が決めているのだろう。先ほどドアの前にいた男は王都の役人か。


「回りくどい真似を……これみよがしに、わざわざウチにまで通知書を持ってきやがって……!」


「こんなの不当だ! 城へ訴えに行きましょう!」


 いかに特権階級とはいえ、極めて個人的な理由で王国の職務にまで口を挟むのは越権行為なのではないか。


「ああ、これは到底捨て置けねぇ。明日はちょうど騎士団へ行くつもりだったからな、むしろ丁度いい」


 言い終わると彼はどこからが木製の箱を取り出した。額縁のようにやや広く浅い箱で、年季がそのまま重厚さになったような骨董品に見える。


「なんですかそれ?」


 箱の中身を取り出す。内側には赤い布が敷き詰めてあり、さらにその中には一枚の紙が入っている。この国で常用されている羊皮紙ではなく、まるでコピー用紙のように真っ白な紙だった。

 何が書いてあるか読めないが真っ黒な筆記体らしき文字が紙面を躍り、金色で仰々しいほどの、印鑑? 紋章? が下部に刻まれている。


「この土地の所有者の証でな。こいつは魔法で織られた紙に特別なインクが用いられていて、製造方法を知るのは王族にのみ。つまり偽造は不可能だ」


 権利書とか身分証明書のようなものだろう。

 言われてみれば、容器の古めかしさに反比例し証書は不自然なほど綺麗だ。昔に土地を貰った時のものとするなら、最低でも何十年と経っているだろう。劣化しない紙はそれだけで証拠足りえるということか。


「いくら没落してるとはいえ、こいつを無下にはできんだろう。これさえあれば、高い地位の役人まで面会できる」


 騎士団の知り合いも連れ立ち、国を通しサルテカイツ家へ正式に介入する。常なら聞き入れられないような貴族への疑惑も、この証書があれば耳を貸さざるをえないとバンズさんは言った。商売でも痴情のもつれでも無い、貴族が働いた不正の話ならなおさらだ。

 叩けば埃がでそうな家だ、これを機に色々と悪事を暴けるのではないかと期待する。


「しかしあのクソガキめ、いくらなんでも強引過ぎるだろ」


 そこまでして欲しい物があるのか、あるいはそんなにミルシェに入れ込んでいるのかと、ある意味感心してしまう。


「俺は午後からすぐに出る。そのまま屋敷に突入するかもしれんからな、お前らは留守番だ」


 本音を言うならついて行ってパルゴアの野郎をぶん殴ってやりたい所だけど、それはバンズさんに任せよう。ミルシェを一人にするのは何となく嫌な予感がするし、三人で行って牧場を空にするのも気が進まない。


 俺とミルシェは了解の意を伝える。そしてミルシェは調理場へ、俺は席に座る。

 バンズさんは証書を箱に戻し、机の端に置いた。

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