ミルシェという少女

「初めまして、灰屋 宗人はいや むねひとといいます」


 正気を取り戻した俺は改めて自己紹介をする。


「ムネヒトさん? 珍しい名前ですねぇ~」


「ムネヒトは旅人だ。王国の出身じゃねぇんだとよ」


 バンズさんと娘のミルシェさんはこの牧場を二人で営んでいるらしい。だが彼女は昼間は王都のアカデミーに通っているという。

 ミルシェさんは160半ば程度と女性にしてはやや長身に、長くつやのある栗色の髪をしていた。そして髪の色より薄い琥珀の瞳は、目尻の下がった穏やかな印象を受ける。アカデミーの制服だろう、上質な布地を使い整った服をまとっていた。

 制服に実ったおっぱいに気をとられていたが、ようやくそこまで気が付いた。


「改めて、父とハナを助けていただきありがとうございます」


「こちらこそ、お邪魔した上にご馳走まで。牛乳、本当に美味しかったです」


「えへへ、ありがとうございます」


 嬉しそうにふにゃっと笑う彼女につられ、俺の頬もふにゃっと弛む。気を引き締めてなければ鼻の下は既にダルンダルンだ。


「おと……父から聞きました。ムネヒトさんって凄い魔術士ソーサラーなんですね!」


「凄いなんてもんじゃねぇさ! ハナの傷を、こう……手を触れただけでみるみる治しちまった! ムネヒトがいなけりゃあ、今頃はどうなっていたかわかんねぇ」


 俺が何か言う前にバンズさんがミルシェちゃんの話に応えた。

 何度も御礼を言われ、凄いと褒められ照れ臭くてしょうがない。話題を変えよう。


「ところで、ミルシェちゃんは……」


「ミルシェで良いですよ~」


「そっか。じゃあミルシェはアカデミーに通ってるの?」


「はい、王立統合アカデミーの高等部です」


 ミルシェのお陰で色々な事が分かってきた。バンズさんから荷馬車の上で聞かせて貰った話にもあった王都、そして王立アカデミー。つまりここは王様が治める国で教育機関もあるということ。

 そして最も興味を引かれたのが魔術士ソーサラーだ。

 魔法の概念が存在し、これを行使するものがいる。俺がハナを治療したスキルも広い意味で言うなら魔法だ。いや魔法がスキルに含まれるのか? ともかく同じような物なのは間違いない。


「良いなぁ~……私も魔法とか使ってみたいな~」


「だから真面目に勉強しろって言ってるだろ。今日はまあ仕方ねぇが、放課後に図書室の魔術書でも読んだらどうだ?」


「家の手伝いするっていつも言ってるじゃん~」


「午後は不要だっての。牧場だって昔ほど広くねぇし、牛の数だって少ない。だからお前はもっと別の……」


 昔はもっと牧場が大きかったらしい。


「それより、ハナは~?」


「あ、コラ! まったく……」


 まだ何か言いたげな父親を尻目に、ミルシェの意識は既にハナに向いていた。彼女がやや小走りで俺の横を通りすぎようとした時だった。


「わっ!?」


「危ないっ!」


 つまずいた彼女を支えようと俺は咄嗟に手を伸ばした。


 むにゅんと、その手に収まりきれない物があった。


 いったい何度同じような約束シチュエーションを見てきただろう。ラッキースケベの中でもメジャー中のメジャー、パイタッチである。その豊満な乳房が手に乗っかった時、俺の脳内はビッグバンを起こした。


 俺は今まで日本で何をしていたのだろうか? 世界でも類を見ないほど複雑で繊細な日本語を使っていながら、この手に伝わる感触を表現出来ない。なんて情けない大和男子か。

 厚手の布越しでもミルシェの体で一番柔らかい部分の感触は十分伝わってきた。指がどこまでも沈むような心地に、ズシリと重量感を伴ったその感動は自分の語彙力を嘆かずにはいられない。


 これを神々の奇跡と言わず、何を奇跡というのか! この膨らみを永久とわに護りたい……!


「なにするんですかぁーっ!!」


「ぶぶぅ!?」


 永久は一瞬で終わった。ミルシェの振りかぶった掌は見事な曲線を描き、掌底打ち気味なソレは俺のあごを打ち抜いた。胸の重さも遠心力に手を貸し腰の入ったいいフックだった。

 グリンと視界が回り首から嫌な音がする。

 彼女は両手で胸を庇うようにし、ぶっ倒れた俺に背を向けて走り去ってしまった。


「あちゃー……おいムネヒト、生きてっかー?」


 バンズさんは額に手をやり、この惨状を見下ろす。


「…………はい」


 意識はあるが体が動かせない。冷たい床に沈んだままだ。

 最高の感触と最悪の印象を相互に与えたファーストコンタクトだった。


 ・

 ・

 ・


 ミルシェはバタバタと自室に戻り、ドアをやや乱暴に閉める。そしてそのまま扉に背を預けた。


 まだドキドキしてる……。


 走ってきた為では無い激しい動悸を、彼女は自覚していた。男の人に胸を触れたのは初めてだった。

 自分の胸がアカデミーの生徒や教師を含めて、類を見ないほど大きく膨らんでいる事は分かっていた。そのせいで男性からの視線を多く浴びていることも。中には不躾ぶしつけな色を含んでいる者も少なくない。


 今日初めて会ったムネヒトという男も例に洩れなかった。

 下劣な視線では無かったがチラチラと気にしているのがまる分かりだった。それに今までの誰よりも熱意に満ちていた気がする。

 だが何か違う。何時も辟易へきえきしていた視線が今日は何故か嫌じゃ無かったのだ。自分でも不思議だったが嫌悪感を抱かなかった。

 極めつけは彼に触られた時だ。あの一瞬に胸から全身に走った未知の感覚は、自分で触った時もクラスメートとじゃれあった時も感じたことの無いもの。

 恥ずかしさと未知への驚きがそのままムネヒトへの殴打になってしまった。


 じんわり頬に朱が差す。ムネヒトの触れた箇所に手を重ねてみたが、やはり何も感じない。

 事故なのは承知しているし彼女に怒りは無い。嫌悪感も無いままだった。それどころか……


「っ! 何考えてるの私……!」


 頭を振り、ふと沸いた感情を脳から追い出した。


「(どんな顔してムネヒトさんに会えば良いのかな……)」


 ・

 ・

 ・


「娘さんにみだらな行為をして誠に申し訳ございません……」


 ダウンから復活し、即ジャパニーズ・ドゲザである。


「事故だったのは俺も見てたし、スケベ心があったわけじゃねぇんだから気にすんな」


 ……いえ、スケベ心はありました……


 バンズさんに向かって面を上げることが出来ない。父のいる前で娘の乳を触った場合の謝罪など分からないので、ただ頭を下げる事しか出来ない。


 ミルシェにどんな顔して会えばいいんだ……


 手に残る感触を思い出さないように、俺は反省に努めていた。

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