第4話 ウェイン・エルゴートの教育方針
「今日より俺が許可するまで、屋敷に出入りすることを禁じる。修道院でも寝泊まりをするな、今まで稼いだ金で生きろ」
「はい?」
ババロに朝一で呼び出されたアベルは、普段は立ち入ることのない、2階のババロの部屋に入った。本棚に並ぶ大量の本、ワインセラーに豪華なシャンデリア、屋敷の部屋で一番金がかかっているのは、入室した瞬間にアベルにはわかった。
部屋には、ほとんどこの屋敷には姿を見せない、ババロの仲間たちも集まっていた。
アベルに手を振る者、興味を示さない者、眠そうにあくびをしている者など、ババロの後ろに一列で並んでいる。最前列にはカービスとウェインの姿もあった。
何の話の呼び出しかと考えていたアベルは、いきなりの出入り禁止の指示に疑問を感じながらも、何か考えがあるのだろうと自分に言い聞かせていた。
「わからんのか、この屋敷にしばらく近づくなと言っとるんだ」
アベルが屋敷で働くことになった時も、修道院でカービスに呼び出された。
カービスに抱かれ、屋敷までの道のりを進み、ババロの部屋に入ったことをアベルは今でも覚えている。部屋の内装までは、その時は目がいかなかった。
「見て、呪いの子よ」
当時アベルには、意味が分からなかったが、ババロや周りの人の表情から、歓迎されていないことを理解した。
「坊っちゃま、今日からはここで働くことになリます」
「修道院でお勉強は?」
「もちろん勉強も続けますよ、坊っちゃま」
アベルがウェインと会話したのも、この時が初めてだった。
「指導係のウェイン・エルゴートです」
つり上がった目に、冷酷な表情、老いを感じさせない美しい姿勢と俊敏な動き。どんなに怖い人だろうかと、アベルは恐怖したのを覚えていた。
それからしばらくアベルは慣れない環境に泣いてばかりだった。
「泣く前に手を動かしなさい、アベル。あなたは人より多くを経験し、学び考え、大人と変わらない判断力と物事の考え方を身に着けなくてはなりません。なにか起こった時、命をかけて守ってくれる人が貴方にはいないからです」
「私は坊っちゃまのためならこの命、惜しくありません!!」
「お前は少し黙っていなさい」
ウェインはカービスを黙らせ、別の仕事を与え追い払った。
アベルが屋敷で働き始めた頃は、屋敷の執事控室で寝起きし、朝起きれなければ食事を抜かれた。
「お前の顔なんぞ見たくもない‼」
アベルは、屋敷でババロと顔を合わせれば怒鳴られた。手でぶたれることもあった。
どうして怒鳴られ、ぶたれるのかはアベルには、理解できなかった。
修道院での生活とはまったく違う環境に、アベルは慣れるまでに時間がかかった。
「アベル‼ できないのは構いませんが。やらないのは違います。契約は守らなければなりません」
仕事に少しなれ、ウェインの訓練が始まった頃、アベルはウェインの訓練が厳しく、反抗的になっていた。
アベルは朝早くから屋敷から逃げ出し、森の中で地面に絵をかきながら時間をつぶしていた。誰かが近づく気配を感じ取り、あたりを警戒したが誰もいなかった。
「朝からお絵描きですか、朝礼には出席し、仕事を手伝うように伝えたはずですが?」
ウェインはアベルの背後をいとも簡単にとった。
アベルは反射的に振り向き、後ろに飛びのき、絵をかいていた木の棒で、ウェインに向かって構えた。
「覚悟はよろしいようで」
「毎日毎日あんなにしんどいこと、やらないよ〜だ」
アベルはウェインに向かって、右目の下まぶたを指で引き下げ舌を出し、屋敷の仕事とウェインの稽古に対して、軽蔑の意を表した。その後すぐに逃げ出した。
「しかたありませんね。そんなに契約違反による罰則を受けたいですか。よろしい、しばらくのたうちまわっていなさい。『
ウェインがアベルに聞こえるように、指を鳴らした。指の音がアベルに届くと、アベルは倒れこみ、痛みを叫び始めた。
「グァあああぁー。痛い。痛い痛い痛い、ゲッホゲホゲホ、うっああ痛い。痛い痛い痛い」
アベルは血反吐を吐き、泣きながら痛みを耐えた。痛みがおさまった頃には、アベルは疲れ果て、何もする気が起きなかった。ウェインはアベルがのたうちまわる様を、無表情で見下ろし、動かなくなったアベルを担ぎ上げ、屋敷に連れ戻した。
アベルは罰則を受けても、抵抗を試みる日が、3日ほど続いた。
「いやだー‼ やりたくない‼」
「己の弱さと戦いなさい。これはなかなか骨がおれますよ、アベル」
アベルは罰則を避けるため、朝から手を抜きながら働き、夜にウェインの稽古を逃げ出すことを決意し決行したが、無意味なことだと理解するのに一月ほど要した。
「逃げていい時は、今ではありません。最善を尽くしなさい。私がいる限り逃げることができないことを、そろそろ理解しなさい」
「いやだー、僕も町の子たちみたいにもっと普通に暮らすんだ」
ウェインはアベルを引きずって屋敷まで連れ戻した。
アベルは、罰則を受けるのではないかと身構えていたが、罰則を受けることはなく、ウェインからひどく𠮟責を受けることもなかった。
契約の魔法で自身が縛られているのは、自分が何か悪いことをしたからなのか、嫌われているからなのか、呪いの子だからなのか、理由がわからいのがアベルにとって一番辛かった。
「アベル、貴方が辛いのはわかっています。難しい事も要求しています。けれど今は耐えて実力をつけなさい。苦難がなければ人は忍耐を学べす。忍耐できなければ練達することはありません。貴方が望む自由はその先にしかないのです」
ウェインの送った言葉は、どれもアベルには理解できていなかった。ウェインも理解されていないだろうと思っていた。それでもアベルがいつか理解する日が来ると信じて、指導し続けた。
ウェインが自分をそれほど嫌ってはいないということを、アベルは何度も連れ戻されるなかで少しずつ感じとっていた。
逃げ出すのをやめたアベルは、とにかく言われるがままに我武者羅に剣をふるった。手の皮がめくれようと、骨が折れようとも、ウェインの稽古は夜遅くまで続いた。
「坊っちゃま、頑張ってください!!」
アベルのウェインとの訓練の様子を、カービスはしっかりと屋敷の影から見守っていた。
稽古が終わり、その場に倒れこんだアベルを、屋敷に運び込むのが、カービスの1日の最後の仕事だった。
「カービス、僕もうここで働きたくない」
「何を言われているんですか、毎日こんなに頑張っていらしゃるじゃないですか」
アベルの手にできた、何度もつぶしたまめの痕、ウェインに打ち込まれた腕のあざ、よくやっているなどという言葉では足りない、アベルの稽古の成果が体に現れていた。
2年がたった頃、カービスがヴァーグを連れてきた。スノーウォーターという品種で、警戒状態になると毛が深い青色になっていく。北国の雪山を主な生息地としている。大人になれば魔法を扱うことができる魔法生物だ。
アベルとヴァーグが出会った当初は、ヴァーグの警戒心が強く、ヴァーグの毛の色が水色になっていた。
「坊ちゃま、旦那様と私からの誕生日祝いです。名はヴァーグです」
「ガウ、ガウ」
アベルは、自分より小さかったヴァーグの世話を始めてから、隙を見てさぼっていた屋敷の仕事も真面目にこなすようになった。ヴァーグの餌代はアベルが払うことになったからだ。仕事や稽古をさぼると給金が減り、餌が少ないとヴァーグがおなかをすかして毎晩鳴いた。
ウェインはヴァーグの世話と一緒に家畜の世話もアベルに任せた。
「アベル、命の大切さを学びなさい。生きるという美しさとを知りなさい。死という終わりを見届けなさい。いつも愛情を注いでやりなさい」
アベルは幼少期を振り返った中で、カービスの異常な行動は、今思えば辛かった頃に、カービスに自分が甘え過ぎていたのが原因かもしれないと、思うのだった。
「アベル? 聞いているのか」
アベルはババロの杖で頭を軽くこづかれ我に返った。
「申し訳ありません、旦那様。契約の魔法の事を考えておりました」
アベルはとっさに嘘をついた。
ババロとの会話に、アベルの心臓の音が高鳴る。
「お前が金貨30枚支払うまで、契約は解除されない。5年前にここで教えたはずだ」
アベルはぶたれると思い、体をこわばらせたが、ババロがぶつことはなかった。
「アベル、お前の10歳の誕生日祝いとして、お前にこの屋敷で働くのを終えるチャンスをやろうと思う。明日にも王都から早馬が来るだろうが、お前には先に教えておいてやる。来月よりエスペランサ一帯で大規模な魔法と遺跡に関する調査がおこなわれる」
来月になるまで後2週間、調査が始まるのは、アベルの誕生日の次の日であった。
中央国から西国までの道のりがおよそ2週間、既に調査隊はエスペランサに向かって出発していた。
「調査に参加し、働いて金貨30枚をその間に稼ぎ俺に払え」
「できなければ?」
「金貨30枚でお前をどこかに売りとばすか、仕事量を今の3倍に増やす」
「だ、旦那様それはあまりにも」
会話の途中で意見したカービスの体に、ババロは杖を押し付けた。
「黙れカービス、誰に口答えしている。金貨30枚ほども稼げん男など、俺の屋敷にはいらん。ウェイン、簡単に教えてやれ」
カービスの横で沈黙していたウェインが口を開いた。
「エスペランサの調査期間は1年ございます。報酬は調査の成果に応じて支払われます。前回行われました、南国ルフェンキアの最後の調査でジンラという地域の魔法と遺跡に関する調査では、金貨100枚以上の報酬を得たものが大勢います」
「僕にでも稼げると?」
ウェインは軽くうなずき話を進める。
「南の調査で最高額の金貨200枚を稼ぎ出したのは、当時11歳の少年でした。調査への参加の仕方は、明日、街の広場の掲示板に張り出されます」
町の中央の噴水広場に、大きな掲示板が3つあった。主に町の行事や求人、最近あった事件など、様々な情報が張り出されてあった。
「調査中は屋敷にほとんど人がおらん。急用の時は修道院の方を頼れ。ヴァーグたちの世話はレイゲルに任せておく。お前への話は終だ。わかったら失せろ」
口調だけは、相変わらずぶっきらぼうだったが、主人がぶたなくったことに、何かしら変化がいなかった間に起ったのだろう、と思いながらアベルは部屋を出た。
アベルはババロの部屋を出て、ヴァーグに会いに家畜小屋に行った。
「ワン!」
「ヴァーグ、待て」
飛びついてきたヴァーグをおとなしくさせてから、アベルは貯めてあった小遣いと、自身の私物であるカービスに買ってもらった本を、麻の袋に入れる。
「銀貨5枚かぁ」
アベルは、金貨30枚を、調査で簡単に稼ぐことが本当にできるのだろうかと、不安に思いながら、小屋の中でヴァーグに別れを告げた。
「ヴァーグごめんよ、またしばらく会えない」
「クゥ~ン」
アベルが家畜小屋を出ると、ウェインが待っていた。
「アベル、調査が始まるまで私の訓練は、修道院の敷地でこれからも行います。夜には修道院を訪ねなさい」
「わかりました」
アベルはウェインに頭を下げてから、屋敷の出口に向かった。歩くたびに少ない稼ぎが、チャリンチャリンと悲しい音をたてた。
「アベル、待ちなさい。もうすぐお前の10の誕生日ですね。私からもいいことを1つ教えましょう。調査が始まるまでに、町で魔法使いを探しなさい。役所の魔法使いは駄目です。そして、お前のおかれている状況を話しなさい」
ウェインがアベルの誕生日を祝うのは、これが初めてであった。アベルは驚き、返答するのが少し遅れた。
「どうしてか、お聞きしてもよろしいですか?」
「それが長く働くコツだからです。わかったら行きなさい」
アベルは、ウェインに深く頭をさげ、屋敷に背を向けて歩き出した。
今晩から泊る当てもなく、アベルはどうするか考えてみたが、銀貨5枚では1年間の宿代にもなるはずがなく。魔の山の洞窟で寝泊まりし、生活しようと考えをまとめ、魔の山を目指した。
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