第2話 ババロ・ウィガロットの帰還


屋敷の主人であるババロ・ウィガロットの馬車が、街に入ったと知らせん受け、執事と使用人達は、屋敷の入り口から離れたところで、左右に使用人が屋敷の入り口に向かって列をつくった。主人の馬車が見えると、全員そろって頭を下げ、主人を迎えた。


屋敷に飾られてある主人の肖像画のは、きらびやかな装飾品を身にまとってはいたが、屋敷に植えてある大木と同じぐらい太っていた。アベルの記憶の中の旦那様も似たような体形をしていた。5年ぶりに再会するババロのことを、アベルは会って怒鳴られたり、ぶたれないだろうかと不安に感じていた。


使用人の左列の最後尾に並んだアベルは、誰にもばれはしないだろうと、少し頭を上げて、旦那様が乗って帰って来た馬車を、盗み見ていた。

停車した緑色の馬車から、ババロはゆっくりと降りてきた。

肖像画に描かれていた姿よりも、ずいぶんと痩せていたが、渋いエメラルド色のコートを羽織り、目を引く装飾品の数の多さは、相変わらずだった。馬車からふちが金色の木製の杖を取り出し、久しぶりに戻った屋敷や使用人の様子をババロは見ていた。


「おかえりなさいませ、旦那様」

「ウェインか、帰りが遅くになって悪かったな」


ふてぶてしい低い声が、敷地に響く。

夜になったせいで自由時間が大幅に減ったアベルは、残り時間をどうしようかと考え、結局、自身の鍛錬に時間を費やすことにした。


「旦那様のためならこのウェイン、悪魔の元へでも馳せ参じる覚悟です。それに比べれば帰りが少し遅くなられることなど、問題ではございません」

「頼りにしてるぞ。明日の朝は町に出る。ウェインお前もこい。カービスにも会いに行ってやらんとな」

「かしこまりました。彼も喜ぶでしょう」


ババロとウェインは、屋敷に向かって歩きはじめた。

杖の先端が地面とこすれる音が、ババロの話声と共に、アベルの前を通り過ぎていった。


「かわったことはないか?」

「街も屋敷も変わった事は、特にございません」

「そうか。数台荷馬車が遅れて来る、荷はすべて倉庫だ。すぐに使うことになる、手前の方にかためて置いておけ」

「アベルにやらせても?」


アベルは自分の名前が聞こえたような気がしたが彼の位置からは何を話しているのか、内容は聞こえなかった。


「だめだ、別の者にしろ。あれはいくつになった?」

「今年で10です。左列の最後尾におりました」


扉の前でババロとウェインは足を止めた。ウェインは執事のサラを呼び、倉庫の鍵を渡した。ババロの荷物を倉庫内の手前の方にしまうように指示を伝えた。


「サラ、あとは頼みました」

「かしこまりました」

「ウェイン、アベルの話より先に重要な話がある」


ドアの閉まる音と共に、アベルは日課の鍛錬に魔の山へと出かけた。


*


5年ぶりに戻ってきた我が家に、ババロは少し、懐かしさを感じていた。

屋敷はババロの父親が購入した、格安の屋敷だった。魔の山だ、悪魔の森だと住民たちは近寄らなかったが、父にはそれがちょうどよかったのだろうと、ババロは思っていた。


各国に活動拠点を設けた今、なかなか戻って来れない身だったが、1番思い出深い場所である自分の部屋のことを忘れたことはなかった。


掃除の行き届いた部屋は、5年前と何も変わっていなかった。

ウェインに荷物をベットの横に置くように指示を出し、特注で作らせた大きなロッキングチェアに、ババロは腰を掛けた。

椅子のひじ掛けとの間に空いた隙間に、瘦せたことを自身でも認識しつつ、久しぶりの椅子の揺れを堪能していた。


「ラストリアでの魔法と遺跡調査を調査局が始めたがっている。まずはここエスペランサ一帯だ。その許可を得るために王に謁見する。幸い現王は魔法に少し寛容だからな」


ババロは許可を勝ち取ることができると確信していた。


「王に謁見することが、今回こちらに戻られた一番の目的でしょうか?」

「いや、ヴァルコフに会ってあれを回収してもらうのが、今回の目的だ」

「あれですか」


ウェインもあれの存在を理解し、納得した面持ちで相槌をうった。

あれを回収してもらえれば、この屋敷に人を常に置いておく必要なくなる。あれがいなくなれば、今よりもっと自由に動け、人件費がどれだけ浮くだろうかと、ババロは思考をめぐらせた。


「それにしても、ようやくですか」

「根回しや、準備に時間はかかる」


魔法を目にした日から、個人的に魔法に関する情報を集めていた。初めは商売の傍らで他国での魔法の噂話を聞いて回る程度だった。それが今や自分に、西国の魔法調査開始の鍵が、かかっているとなると、個人的な理由もあるにしろ、必ず成功させると、燃えるような使命感が自分の中にわいていた。


「ウェイン、続きはまた明日だ」

「かしこまりました。御用がありましたら、お呼びください」


部屋の机に置いてある、ババロとアリアが描かれている絵を、机に伏せた。


「一緒に酒を飲んだ日々が少し恋しい……か。我ながら女々しい話だ」


ババロが最後に酒を飲んだのは、この部屋でのあの夜だ。


ふたつグラスを戸棚から出し、あの夜と同じ葡萄酒を注ぎ、独りで少量の寝酒を口にした。ババロは久しぶりの良酒に、乾きが潤された気がした。


「何も知らないままの方がいいのか、知って共に苦しむのか。どちらが正解に近い方なんだろうな、アリア」


ババロは己がどちらを選んだかは知っている。絶対に正しい正解がないのもわかっている、正解に近い方を選んだと確信していた。彼女ならどちらを選ぶだろうかと思案し、短い付き合いだったとわいえ、ババロには予想がついていた。


「そうだろうな」


想像の中での彼女も、決断が早かった。

彼女との約束で、ババロは自分の部屋でしか酒を飲めないことになっている。最後にもう一口だけ葡萄酒をグラスに注ぎ、今後の成功を祈った。


「乾杯だ」


机に出したもう1つのグラスから、彼の今日までの功績を称えるように、きれいな音が部屋に響いた。


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