石版の魔法使い
石田ゴロゴロ
エスペランサ編
第1話 家畜小屋の少年アベル
私が『
旧東国ジャザルガンダと、旧北国ササノースから始まった魔法戦争の終戦から1600年がたとうとしていた。
大戦では、西国リーフォント以外の国が『
*
「うぁあああぁぁぁー。ハァ、ハァハァ。なんだ夢か」
家畜小屋の隅の、狭い住居スペースで、少年は飛び起きた。額をぬぐい、ひどい量の汗が噴き出ている自分が、まだ生きていることが分かり、ほっと胸をなでおろした。
「おはよう、ヴァーグ」
「ワン」
少年が家族として飼っている、ヴァーグという名の、黒い角のある、白い四足獣の魔法生物は、主人が目を覚ましたので、一緒に目を覚ました。
ヴァークは主人の寝覚めが悪く、心配した面持ちで主人を見つめていた。
「起こして悪かったね。まだ寝てなよ」
ヴァーグは頭を主人に寄せった、少年は優しく撫でてやった。
主人が落ち着いたのを確認し、ヴァーグはまた眠りについた。
少年は扉を静かに開け、家畜小屋の外に出た。
山の中に建つ、屋敷の敷地には日がまだ登っておらず、新鮮な空気を吸い、薄暗い中、井戸まで歩いた。井戸につくと、滑車にかかったロープを、力の限り引いて水をくみ上げ、汗をかいた顔を洗った。
「ぷはー」
冷たい風が髪を巻き上げる。悪夢から解放された涼しげな面持ちで、少年は勤めている大きな古い屋敷目指して歩きだした。
屋敷はエスペランサの町を見下ろせる、ふたこぶ山の山頂と山頂の穏やかな斜面の間に建てられてあった。冬になると雪が積もる事もあるが稀であった。
今日も少年の使用人としての1日が始まる。
「おはようございます」
「おう」
気持ちのいい挨拶を、執事専用の屋敷の更衣室でかわし、少年の棚にある制服を、彼は手に取った。
「疲れた顔してるぞ、アベル」
「今朝、崖から落ちて死ぬ夢を見ました」
「どうして崖から落ちたりしたんだ?」
少年はなぜ自分が崖から落ちたのかを思い出そうとしたが思い出せなかった。
「覚えてないです」
「もっといい夢を見ろよ」
先に着替え終わっていた、調理長のレイゲルという男は、いつも顔を合わすアベルの頭を、手で軽く撫でてから、更衣室を出ていった。
「皆さんおはようございます、本日もよろしくお願いいたします。以前から申し上げておりましたが、旦那様が本日の暮に、お帰りになられます。1年半ほど滞在されるご予定です。各自指示しておいた通りに仕事をこなすように」
執事長のウェインは、今日もいつもと変わらず朝礼で使用人たちに指示を出していた。最年長であり、主人との付き合いは一番長く、主人の指示を順守し、最年長ながら、きびきびと、年を感じさせない動きで、今日の主人の帰りを楽しみにしていた。歳をとり主人の護衛を離れ、今は、西国ラストリアの辺境のエスペランサで、別荘の管理を任されていた。
「では、解散。規則を今日も守るように」
この屋敷には絶対に守らなければならない、特殊な規則が3つあった。
1.緊急時以外、敷地内で魔法を使ってはいけない。
2.許可された者以外は、アベルと口を聞いてはいけない。アベルは許可された者以外と会話してはならない。
3.倉庫に勝手に入ってはいけない。
規則を破った者は、アベルを除き誰であれ解雇された。
「アベル、旦那様が戻られた時には、お前も迎えの列に入りなさい」
「わかりました」
「それから、今日の訓練は中止とします。旦那様が帰って来た後は、自由にしなさい。明日からの事は、旦那様と話しておきます」
「はい、いってまいります」
制服の執事服に身を包んだアベルは、丁寧な言葉を慣れた口調で話し、更衣室に戻っていった。
「ただいま、ヴァーグ」
「ワン」
我が家に帰って来た面持ちで、仕事着の制服を脱いで戻ったアベルは、少し気楽そうに自分にまかされてある業務を開始した。
家畜小屋の清掃に餌やり、それが終われば街まで山を下って、調理長のレイゲルに言われたものを買ってくる。
「今日はこれだけ?」
「おう、頼むぞアベル。ほら朝食だ」
朝食のベーコンと卵が焼けるいい匂いが、アベルのいる外にまで漂ってくる。渡されたのは木製の弁当箱に入ったサンドイッチだった。
アベルは、屋敷の出口の近くに泊めてある荷台を一台だけ引き、山を下り始めた。
「アベル、また頼むぞ」
「うん」
子供が引いて山を上がるには、少し多い量だが、アベルには慣れたものだった。
「見ろよ、屋敷の呪い子だぜ」
「やめろよ、ロッジあいつにかかわるなって、父ちゃんに言われてるんだ」
町に住む銀髪の呪の子は、アベルひとりだけだ。
何度目になるかわからない、軽蔑の言葉と視線を、アベルは無視する。
買い物をすまし、朝食を取り終え屋敷に戻り、レイゲルに確認してもらう。確認を終えると、また山を下って、麓の修道院で昼まで勉強をする。昼食を食べに屋敷まで戻り、ヴァーグと昼休みを過ごし、短い休憩をとる。その後、屋敷周辺の清掃、追加の買い出し、水汲みや巻き割り、家畜たちの散歩など様子を見る。夕食を食べ、ウェインとアベルは夜まで剣の稽古や乗馬の訓練など、ウイェンがアベルに必要だと思うことを学ばしている。
夜になると家畜たちの見回りをし。日課の訓練に励む、街に住む少年たちなら、とっくに音を上げているだろう。ようやく深夜遅くに、ヴァーグと眠る。これがアベルの毎日であった。
今日のように自由な時間をくれることは、アベルにとって珍しかった。
「ああ、自由にしていいって、なんて素晴らしい言葉だろ。契約の魔法による行動の制限、強要は、犯罪だと僕は断言するよ。シスターは魔法を使う側の人が悪だというけれど、魔法そのものを無くさないと、この悪行は終わらないよ」
アベルは契約という魔法で、毎日麓まで往復10本、屋敷の周りを30周。ウェインとの剣の稽古、剣の素振り1000回、巻き割り50回、水汲み30回、麓の修道院での勉強をすることを決められている。他にも魔法の仕様禁止や別の街への移動の禁止。使用人をやめるためには、金貨30枚を支払うことなどが契約の魔法で結んだ契約書には書かれている。
どれか1つでもさぼったり破れば、給料が減額される。素振りを1,2回だけ誤魔化しても、バレたので、アベルは魔法によりサボることはできないと、わかっている。契約の魔法にあまりにも従わなければ、罰則という項目の罰を執事から与えられる。
アベルがまだ幼い時、街まで逃げだしたが、旦那様がエスペランサ領の領主であり、街民たちにアベルを雇わないよう言い聞かせてあるので、どこもアベルを雇ったりかくまったりすることはなかった。
アベルは逃げたり隠れたりもしたが、その日のうちにウェインに見つかり、屋敷まで連れ戻された。
本人もなんとも一方的な契約だと、いつも思っている。アベルには『契約』の魔法をいつ結んだのかは覚えがなかった。
アベルの契約書は、執事の更衣室の壁のアベルが手の届かない位置に、ガラスケースに入って飾られてある。
アベルは一度盗もうとしたが失敗し、ひどい罰則を受けた。
「ごヴぇんなざい」
アベルが給料を満足な額をもらえるようになったのは数か月前である。それまではほぼ無給に近かった。
アベルは契約の魔法での仕打ちで、魔法というものを心底嫌いになれたと思っている。彼には他の理由もあるのだが、今はいいだろう。
「魔法なんて、なくなればいいんだ。ヴァーグ、悪いけど僕はいつかこの町を出て行くよ」
「ワン」
アベルが魔法に興味をけして持たなかった訳ではなかった。試しに町人の石版を、こっそり使おうとした時、急に胸が苦しくなり、気分が悪くなって、アベルは魔法を使うのをやめた。
それ以来アベルは、魔法に関する物には関わらないようにしていた。
「お前も賛成してくれてるんだよな。ありがとう」
ヴァーグはアベルが夕食のご飯を多めにくれるのだと思い、元気よくひと鳴きした。
「ワオーン!」
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