第43話:黄金と暗黒
虹色の海が、暗黒に呑み込まれていく。
どこまでも暗く、黒く、されど無明にあらず。
無数の光が散りばめられた闇は、さながら星の大海だ。
そして宙を漂う瓦礫が、巨大な流れに引き寄せられ始める。
「うおわああああ! 落ちる落ちるうううう!」
「今度は一体なにが起こってるんですかぁぁ!?」
「これは……!」
激しく揺れる足場から振り落とされまいと、ソアラたちは懸命にしがみつく。
まるで、嵐の真ん中に小船で放り出されたかのような心地だ。
荒れ狂う闇のうねりに翻弄されながら、ソアラは見た。金色の太陽を中心に、元の空間を構成していた断片がパズルのように繋ぎ直されていくのを。デウスが降臨した影響でバラバラに砕けた空間が、元通りに修復されているのだ。
神の光で消滅した部分も補完され、あるべき形を取り戻していく。
気づけば、ソアラたちは何事もなかったかのように石造りの床に座り込んでいた。
虹の海も星の海も幻だったのか。否、そうでない証拠に、祭壇の前にはデウスが。
そして――。
「黄金と、暗黒の、怪人……?」
まさしく。黄金に縁どられた人型の暗黒が、そこに立っていた。
輝くような漆黒と、仄暗い金色の装甲。鎧と言うには有機的な質感は、異形の骸骨を彷彿とさせる。シルエットは全身から刃を生やしたように鋭角で、禍々しい。背中からは蛇腹状の触手が八本、翼かマントの代わりとなって広がっている。
四本角が天高くそびえた兜は、まるで龍の髑髏。
鬼面の双眸と額、合わせて三つの眼が血塗られた深紅に光る。
最早騎士とも呼べない異形。人の形をした怪奇。まさに怪人だ。
『なんだ、貴様は。なにが起きた。なにをしたぁ!?』
「そうやって問い質す時点で、貴様は少なくとも全知全能などではないな」
怪人がなにげなく言葉を発しただけで、途方もない重圧がソアラたちに圧し掛かる。
未だ絶大と言っていい魔力を発するデウスに対し、怪人からは依然として全く魔力を感じない。しかし、それこそが恐ろしいのだ。
どれだけ人知を超えていても、魔力という尺度によってデウスの強大さは推し測れる。一方で、魔力を持たない怪人の強大さはまるで測れない。理解できないが故の、底無しの暗闇を覗き込むような恐怖があった。
理解不能。正体不明。人知が及ばない、ただ恐ろしいことだけは確かな異端の存在。
その前では神さえも、酷くちっぽけに見えてしまう。
「貴様が壊した世界を、俺が作り直しただけだ。理の綻びが小さくなれば、、神の力とやらも半減だろう」
『世界を作り直しただと? 人間ごときが神の真似事など、不敬なり!』
デウスが頭上の光輪より、空間も理も消し飛ばす閃光を照射。
しかし怪人の手から放たれた暗黒の波動が、閃光をあっけなく霧散させた。
波動を全身で浴びたデウスは大きく吹き飛ばされ、壁に激突して床に倒れ伏す。
『がああああ。馬鹿な。なぜ消えぬ。なぜ滅さぬ』
「あらゆる理を滅ぼす神の光、だったか? なんということはない。神でも滅ぼすことのできない、強固な理で世界を紡ぎ直したまでのこと」
再度デウスが放った閃光を、今度は片手で受け止める怪人。
ソアラは気づいた。怪人自身は勿論、この広間も、五指で裂かれた閃光の余波に微動だにしていない。理ごと全てを消滅させるという神の光を受けて、全くの無傷だ。
空間を壊したくても壊せないと悟り、デウスが愕然とした声を漏らす。
『あり、えぬ。神の光を前に滅しない理など、それこそ世界の摂理に反している』
「ククク。摂理だと? 理を歪めなければ奇蹟も起こせない非力な身で、貴様が世界を語るかよ。その体たらくで、貴様が世界のなにを知っているというんだ?」
『貴様こそ矮小な人間の分際で、なにを賢しげにほざくか。世界とは理不尽なモノ、不条理なモノ。貴様ら人間の繁栄も発展も、我が与えたマナという奇蹟の恩恵があってこそ。神の慈悲がなければ空も飛べぬ卑小の身で、自惚れるなよ』
「クハハハハッ! 神の助けがなければ、人間が空を飛べない? 魔力に頼らなければ、翼のない人間は地を這う芋虫だと? ――笑わせるな、虫けら以下が」
怪人の声に冷ややかな嘲りと、灼熱の憤りが入り交じる。
「世界は貴様が思うよりも遥かに広大で、そして自由だ。神ごときのちっぽけな手には到底収まりきらないほどにな。貴様はつまらん奇蹟で作った囲いの中でふんぞり返る、無知なハリボテの王に過ぎない。その程度で世界の管理者を気取るなど、片腹痛いわ」
『抜かせぇ!』
デウスは翼を大きく広げ、全身から光を発した。
空間がひび割れ、理が綻び、また世界が砕け散ろうとする。
それを、怪人も全身から放つ暗黒の波動でせき止めた。
闇と光がせめぎ合い、世界そのものが異音を立てて軋む。
そして……なにも起こらなかった。広間はただ静寂を保つ。
代わりに、デウスと怪人の双方が全身から火花を散らした。
『ぐ、ぬうう』
「ふむ。世界に対する干渉力はほぼ互角か。相殺し合って互いに能力は封じられた状態だな。ならば――」
ガフ、と怪人が血を吐いた。
全身に亀裂が走り、夥しい流血が床に滴り落ちる。
一瞬呆けたような間を挟み、デウスは小刻みに身を震わせて笑った。
『ハハハハッ。そうだ、そうだろうとも。人間が神の領分に踏み込んで、タダで済むはずがない。禁忌を破った愚か者は、神罰に身を焼かれるのが必然よ』
今にも膝をつきそうな様子の怪人に、デウスは神剣の切っ先を突きつけた。
『人が神に及ぶことなどない。これこそ不滅の摂理なり。神に歯向かったその不敬、死を以て償うがいい……ガペッ!?』
神剣を振り上げたデウスの顔面に、血塗れの拳が突き刺さる。
殴られた白銀の兜が大きくひしゃげるが、殴った怪人の拳は完全に砕けた。
光り輝き、白銀の兜は綺麗に修復する。怪人の拳も闇の粒子が集まって再生するが、完全には治り切らない。どう見たって殴った側の方がダメージは甚大だ。
それでも怪人は笑う。死に体としか思えない有様で、酷く楽しそうに。
『ゴ、ホ。貴様――!』
「理を滅ぼすだの、滅ぼせない理だの、幼稚な水掛け論は面倒だ。ここからはシンプルに、楽しい楽しい殴り合いといこうじゃないか」
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