第40話:『悪』という自由、『怪人』という救い


 ずっとずっと、私はこの世界が嫌いで堪らなかった。


 お前がなにもかも悪い。生まれてきたこと自体が間違いだ。

 そうやって私の全てを否定する貴族が、民が、王国が嫌いで大嫌いで。

 言い返すこともできず惨めに地を這うばかりの、弱い自分が一番嫌いだった。


 だから――人間であることを捨てて《怪騎士》の力を得た今。私は生まれてから一度も味わったことがないような、これ以上なく晴れやかな気持ちだ。


「なんの真似? まさか、あれだけ魔族を邪悪だなんだ言っといて。たとえ魔族でも目の前で人が死ぬのが嫌、なんて言い出さないわよね?」

「違う! だけど、間違いを犯しているシンディを見過ごせない!」


 使い手がボロボロでも聖剣の威力は健在。振るわれた炎熱で、赤髪の魔人に繋がる金属糸が切断された。


 せっかく興が乗ったところを邪魔されて、私は白けた気分でソアラを見やる。

 再変身もできない満身創痍のくせに、聖剣を手に佇まいだけはご立派だ。


「オイ、しっかりしろ!」

「なんて酷い……!」

「あ、あ、あ」


 仲間の呼びかけに、虚ろなうめき声を変える赤髪の魔人。

 手足を細かく切り刻んで胴体しか残っていないが、まだ息はある。人間とそう変わらないように見えて、人並み外れた生命力だ。


 自然と、私に集中する非難の目。仲間の魔人たちはともかく、ソアラたちにまで睨まれる筋合いはない。滅ぼすべき邪悪と日頃から散々敵視していたのは、その口でしょ?


「いい加減に目を覚まして! こんな惨いことを楽しむなんて、騎士として以前に人としての正道から外れている!」

「ハッ! 正道正道って、あんたは昔からそればっかりね。決まった道の上を歩くのが正しくて、それ以外の道は全部間違い。障害を抱えて生まれた欠陥品が、騎士を目指して努力するのも間違い。そうやって、親切ぶって人を見下した態度には反吐が出るわ」

「そんな! 私はただ、シンディに人生を無駄にして欲しくなくて! 《円卓》として騎士としては失格でも、せめて欠陥持ちなりの幸せな人生を――あぐ!」


 背中のアームから繰り出した一撃を腹に入れ、不快な口を黙らせる。

 嘔吐を堪える無様な顔を見れば、カッとなりかけた溜飲は幾分か下がった。


「それが見下してるっていうのよ。私の歩く道を、私の幸せをあんたが勝手に決めるな。……ま、もう騎士の道には興味も未練もないけどね。私が今まで如何にちっぽけでくだらないモノに拘っていたか、あいつに教えてもらったから」


 強くなって周りを見返したい、私のことを認めさせたいと思っていた。

 でも、それは間違いだ。自分を否定する連中に認めて欲しいなんて、弱者の考えだ。


 他人の目を気にして、周りの顔色を窺って、息苦しい世界に自分の方を合わせる。そんなのは屈服しているのと同じ。まさに餌をねだる家畜の考えだ。


 本当に強い者なら、自分の居心地が良くなるよう世界の方を捻じ曲げる。

 誰の許しも求めず必要とせず、思うがままに悪意を振りかざすギルダークに、私はそう教わった。


「あんたこそ、少しは思い知ったでしょう? あんたたちが有難がってきた騎士の血統が、如何に矮小で無力か。正義。使命。そのくだらないしがらみから解放されたことで、私はこの力を手に入れた!」

「正しい道を踏み外して得た力に、なんの意味があるというの!? 悪魔に魂を売って、身も心もバケモノになろうとしているのがわからない!?」


 傷だらけの体を押して聖剣を振るいながら、この声よ届けとばかりにソアラは叫ぶ。

 涙ぐましいことだ。これが英雄譚の一場面なら、観客は感涙で咽び泣くのだろう。

 でも残念、私の心にはなにも響かない。


「それがなに? あんたの言う『正しさ』が、私を常に『間違いだ』と責め苛んできた。人間を捨てることで、怪物となることで私の魂は救われたのよ」


 聖剣を蹴りで弾き落とし、ソアラの首を掴み上げて嗤う。

 自分がまともでなくなりつつある実感はあった。


 道徳とか倫理とか、ソアラの言う『人間としての正道』を歩むために必要な価値観。それが日に日に希薄になっていく一方、膨れ上がるのは魔物じみた残虐な衝動。しかして私の心に湧き上がるのは、恐怖でなく歓喜だ。


 心が人間からかけ離れ、怪物に近づくほど、改造された肉体が馴染むのを感じる。魔物の力と同調し、より強くなっていく。蛹から蝶に生まれ変わるような清々しさ。

 最初から力に恵まれた連中などに、私の喜びはわかるまい!


「人間をやめることが救いなんてありえない! その先に待つのは、破滅だけに決まっている! シンディは、あの悪魔に都合よく利用されているだけなの! 気づいて!」

「そんなこと、最初から承知の上よ。あいつの邪悪さが私に生きる道を、誰のためでもなく自分のためだけに生きる『悪』の自由を示してくれた。それは私にとって、私の全部を捧げてもいいくらい価値のあることなの」


 誰もが私を否定するなら、誰も私を助けてくれないなら、私が私を救う以外にない。

 そのために、この息苦しい世界を壊す。それを悪だと言うなら、私は喜んで悪になろう。私を否定し押し潰そうとするだけの『正しい世界』になんか、屈するものか!


「私の幸せは、私の未来は、くだらない今の世界を壊した先にある。あんたも、王国も、全部邪魔だ。消えろぉぉ!」

「あ、が……!」


 窒息なんて悠長なことは言わない。首の骨を折るつもりで手に力を込める。シーザーとヨシュアはボロボロの上、ギルとエリゼが牽制しているから助けに入れない。

 しかし、別方向から水を差す声が上がった。


「フハハハハ! ゴチャゴチャと長話を! おかげでいい時間稼ぎになったぞ!」

「すごぉい! これが王族の血……いいえ、我らが守護神《白き龍》の力ぁ!?」

「うおおおお! 死にかけていた体に、力が漲るルルルル!」


 高笑いする魔人たちは、全身が輝くほどに魔力が増大していた。


 それこそソアラたち五大公にも匹敵する魔力の高まり。紫髪の魔人はギルに空けられた腹の傷が綺麗に完治。赤髪の魔人に至っては、私が切り刻んだ手足が新しく生えていた。ただし新しい手足は鱗に覆われた異形のそれで、本人も若干理性が飛んでいる。


 魔人たちの突然のパワーアップに、ソアラとシーザーは困惑した顔。先日の事件の当事者であるヨシュアだけは、なにが起きたか悟った様子だ。


「これは、倉庫街で人狼が変貌したのと同じ!? ですが――」

「ふむ。人狼がヨシュアの血を取り込んだときに比べて魔力の上昇が低い分、状態は安定しているな。より人間に近しい身体構造であることと、なにか関係性があるのか?」


 ギルは驚きもせず、淡々と魔人たちの変異を観察する。人狼のときと同様、虫の使い魔でソアラたちから血を回収したのを、あえて見逃したのだ。


「ふん。余裕ぶっていられるのもそこまでだ。既に、我々の目的は達せられた!」

「――やったああああ! 抜けた、《神剣》が抜けたよおお!」


 歓喜の叫びは、祭壇の頂上から。

 そこで飛び跳ねているのは緑髪の気弱そうな少年、四人目の魔人だ。


 その頭には、カメレオンを模した立体魔法陣。最初、保護色によって自分と仲間の姿を隠していたのはこいつだ。他三人の魔法陣が象る魔物に、姿の隠蔽が使えそうなヤツはいない。だから少し考えれば自ずと気づくというもの。


 一度バレたとき、自分だけは隠蔽を解かず。現れた三人で全員だとこちらに錯覚させた。そうして私たちが戦っている間に神剣を奪う企みだったわけだ。


 まあギルの眼、エリゼの反響定位にはお見通しだったし、私も脳波通信で知らされていたけど。こちらもあえて見逃した。


「妙ですね」

「ああ。少しばかり簡単すぎるな。罠の一つもなしとは」


 そうだ。こういう場合、不用意に近づいたり触れたりすると、罠の十や百は発動するのが英雄譚のお約束。一種の様式美と言っていい。

 ましてや騎士王の神剣、なんの障害もなく手にできるなんて不自然だ。


 ――そんなこちらの疑念を肯定するように、異変は起こる。


「やった! これで我ら魔族の神、《白き龍》の封印が……っ!?」


 緑髪の魔人が、光の鎖に胸を貫かれた。鎖の出所は神剣の柄に嵌まった宝玉だ。


 透過しており外傷はないようで、宙に持ち上げられた魔人はジタバタともがく。手から離れた神剣はひとりでに浮遊していた。そして二本目、三本目と次々に鎖が飛び出す。


「なんだ、なにが起きている!? うああああ!」


 残りの魔人たちも抵抗虚しく、鎖に胸を貫かれた。

 そして五本目の鎖がこちらに向かってきて――。


「シンディ!?」


 咄嗟にソアラを突き飛ばしたのは無意識の、反射的な行動だった。

 鎖がソアラを狙っていると見て、単に巻き添えを避けようとしたか。それともまさか、咄嗟に庇おうとするような感傷が私の中に残っていたというのか。


 自分でもわからないまま、光の鎖が胸に突き刺さる。

 意識が白に……光で塗り潰されて……ギル――。


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