第32話:「正義の味方」の大前提


「うぐうう。こんなの、なにかの間違いだ。僕が、負けるなんて」


 変身の解けたヨシュアは、ボロボロの姿で地面に這いつくばりながら呻く。

 なんだか如何にも死んだような演出が入った気もするが、この通りまだ生きていた。《幻装騎士》に変身していると、基本的に即死はないからなあ、こいつら。


 まあ、ここからトドメを刺せば当然死ぬが。


「ゆ、許されないぞっ。僕は英雄の末裔だ、正義の騎士なんだ。血統の劣る、魔力もない卑しい悪党の分際で。悪が正義に勝つなんてあっちゃいけないこと――ひぎぃ!?」

「つくづく落胆させてくれるな、貴様は」


 掴み上げて軽く首を絞めれば、ヨシュアはたちまち怯えた顔で身を震わす。

 散々大きな口を叩くだけ叩いて、いざ命の危険に晒されればこの有様だ。


「やめ、やめべっ。助けて……!」

「威勢が良いのは安全な場所から弱い者を叩くときだけか? 命が危うくなった程度で折れる志なら、『正義』など軽々しく振りかざすべきではなかったな」


 この男を生かすか殺すか、少しばかり悩む。


 貴族主義的な思想に縛られているが、正義感が強く真面目なソアラ。

 軽薄な女好きだが、女性を救うためなら体を張れるシーザー。


 同じ《円卓》でも二人に比べ、ヨシュアには俺の宿敵――つまり《ヒーロー》と成り得る見込みを感じない。こいつには俺の考える、ヒーローの「大前提」が欠けている。期待を裏切られて、俺は大いに気分を害していた。


 研究材料としてなら、神槍の加護を受けた肉体にはいくらか興味がある。


 いっそ解体して持ち返るか。しかし、せっかく五人いる円卓をここで減らすのはもったいない気もする。戦隊ヒーロー的に。いや、シンディがこちら側についた時点で今更ではないか。いやいや、後で五人目としてヒーロー側に回帰する展開も……。


 などと俺が思案している間も、ヨシュアは抵抗と呼ぶには弱々しく身を捩り、命乞いの言葉を漏らすばかりだ。ますます落胆と失望が深まり、つい説教臭くなる。


「貴様はなにもわかっちゃいない。いいか? 正義の味方の大前提は――」


 背後で、魔力が爆発的に膨れ上がった。

 振り返ると丁度、タラテクトナイトとバットナイトが魔力の圧に弾かれ、こちらにふっ飛ばされてくる。俺はヨシュアを放り捨て、広げた両腕で二人を受け止めた。


「グオオオオ!」


 先程までとは別物の膨大な魔力を発しながら、リーダー格の人狼が吼える。


 こちらの戦闘員は全員変身が解けて戦闘不能。一方で人狼はリーダーを除く全員が絶命していた。個々の能力では人狼がやや上だったが、数は戦闘員の方が上。タラテクトナイトとバットナイトの圧倒的な力で明暗が分かれた。

 しかし残るは一人というところで、人狼リーダーが謎パワーアップを果たした模様。


「グハ、グハハハハ! これが貴様ら王家の血に眠る《白き龍》の力! 我らの祖先から奪ったという、魔族の守護神の力か! 力が、力が漲るうううう!」


 感極まったように雄叫びを上げる人狼リーダーだが、その姿は異様の一言だった。

 頭部・両足・尻尾の肥大化。裂けた獣皮の下から覗く鱗。人とも狼とも異なる直立前傾姿勢は地球で言う『恐竜』に近く、しかしバランスが崩れ切った歪な骨格。


 無理に表現するなら、『狼から恐竜に成り損なった失敗作』といったところか。


「円卓の小僧を倒してくれて感謝するぞ! しかしその隙を突き、我が使い魔の虫が小僧の血を採取したことには気づかなかったようだなあ!」

『……ねえ、もしかしなくても君』

『ああ、気づいててわざと見逃した。王族の血が魔族にとって如何なる意味を持つのか、興味があったからな』


 怪造人間同士だけに通じる脳波通信でヒソヒソ話。


 それにしても《白き龍》と来たか。やはり魔族は『アーサー王物語』で言う「ザクセン人」のようだ。この世界と同様、アーサー王の国と敵対する海の向こうの部族だ。そして赤い竜はアーサー王の民、白い竜はザクセンの民を象徴する存在。


 しかし、王家の血に白い竜の力? 人間が魔族から奪った? 原典にはない話だ。

 詳しく訊き出したいところだが、悠長に会話できる状況ではなさそうだな。


『ちょっと、流石にこれはシャレにならないわよ?』

『如何しますか? この尋常ならざる魔力、撤退も視野に入れるべきでは』

『いやあ、問題ないだろう。見ろ』


 二人が慄くのも無理はない。今の人狼リーダーの魔力は、余波で大気が軋み地面がひび割れるほどの圧だ。万全のヨシュアでも一撃耐えられるかどうか。


 尤も――人狼リーダーに二撃目はないだろうが。

 人狼リーダーは突然血を吐き、その体が見る間に崩れ始めた。


「ゲボ!? ゲボボー!」

『確かに魔力は劇的に増加したが、対価として生命力を急速に消耗している。あのままじゃ五分と持つまい。自滅を避けるには、早急なエネルギー補給が必要だろうが……』

「う、飢える。渇く。血が、肉がっ」


 血走った人狼リーダーの眼が、地面に転がる冒険者たちを捉えた。


 人狼リーダーの口から涎が滴り落ちる。どうやら冒険者たちを食らってエネルギー補給するつもりのようだ。

 仮に全員を食い尽くしたところで、延命できる時間は五分十分がせいぜいだろう。


 とはいえ、もう少し観察したい俺としては止める理由がない。通信で俺の意向を聞いたタラテクトナイトとバットナイトも静観。助けに入るべき立場のヨシュアに至っては、万全時の自分すら凌駕する魔力にビビッって蹲っていた。


 憐れ、冒険者たちを助けるヒーローはこの場に一人としていない。

 だからヒーローは、飛び入りで登場した。


「待てー! バケモノー! 兄ちゃんに手を出すなー!」

『なっ』

『ロイくん!?』


 高らかに叫ぶのは幼い平民の男の子。衛兵に絡まれていたのを結果的に助けた、冒険者を兄に持つ弟くんことロイだ。冒険者たちの反応を追ってこの倉庫までたどり着いた際、あの子も一緒に連れて来たのである。


 ここに乗り込む際、あの子には隠れているよう言い聞かせた。

 しかし、我慢できず入ってきてしまったようだ。


「ゴアアアアアアアア!」

「ぴっ――!」


 人狼リーダーの咆哮。物理的な圧を伴う叫びに、ロイは竦んで目に涙を滲ませる。

 それでもかろうじて踏み止まることができたのは、地面から伸びる棒に一生懸命しがみついていたからだ。


 ヨシュアの手から弾き飛ばされ、ロイのいる位置に突き刺さった《神槍》に。


「ギャオオオオオオオオ!」


 最早、理性も保てなくなったらしい。

 血肉を求める本能に支配された人狼リーダーは、声に反応するがままロイへと矛先を変えた。唾液で光る牙をグバリと開いて、突進する。


 相手は強くて恐ろしい怪物。対してロイは無力で幼い平民の子供。

 勝ち目なんかどこにもなかった。逃げ出しても許される理由はいくらでもあった。


「う、ああああああああ!」


 それでも、ロイは逃げなかった。力の限り、神槍を地面から引き抜こうとする。

 いつも自分を守ってくれた兄を、今度は自分が守りたい。無垢で切実、けれど魔力も込められていない叫びは、現実の前ではなんの意味を成さない。


 しかし、その声に応えるモノがあった。


「神槍が……!?」


 神槍ロンギヌスがを放ち、いとも簡単に地面から抜けたのだ。

 あたかも、資格ある者とロイを認めたかのように。


「わ、あ、アアアアアアアア!」


 既に怪物は眼前。

 状況も満足に呑み込めないまま、ロイはがむしゃらに神槍を投げつけた。

 踏み込みすら稚拙な投擲。しかし神槍はまるで矢のごとく一直線に放たれる。


 一条の閃光と化した槍は、恐竜モドキの怪物の巨躯に、砲弾でも喰らったような大穴を穿った。向かいの壁に叩きつけられ、怪物の体は溶け崩れて消える。


「あ、え?」


 なにが起きたかわからず、ロイは呆けた顔でヘナヘナと座り込んだ。


 騎士でも敵わないような怪物を倒す、まるで英雄のような偉業を成した実感などあるまい。事実、全ては《神槍》の力であり、ロイはただ幸運だっただけ。実際にロイが貢献した部分など皆無に等しいのは、誰の目にも明らかだ。


 しかし。ロイの勇気ある行動なくして、兄を含む冒険者たちが助かるこの結果は決して起こり得なかった。それもまた、誰の目にも明らかな事実。


「あ、ぐ、ぎぎ」


 そのことは、このプライドだけは高い男も十分思い知らされたようだ。

 酷く打ちのめされた顔をしたヨシュアに、俺は言う。


「――どれほど自分が弱くても、どれほど大きな壁が立ち塞がっても、誰かを守るために困難へと立ち向かう。あの勇気こそが正義の味方の大前提だ。そこに血統も身分も魔力も関係ない。弱い相手としか戦えない。自分の身が危うくなると立ち向かえない。そんな心の弱い者が、たとえごっこ遊びでも正義の味方を騙るな」

「ぬ、ぐ、うううう!」


 ヨシュアは反論の言葉も見つからず、地面を爪で引っ掻きながら唸る。

 ……ふむ。あれを見て敗北感を覚える気持ちがあるなら、まだこれから『化ける』見込みもあるか。


 俺はヨシュアの処分を保留にし、フラフラと兄の下へ駆け出すロイを見やる。

 子供特有の理屈の通じなさで、なにか予測外のことをやらかしてくれないか。そんな期待からここまで連れて来たが、いやはや期待以上だった。


 これだから人間は面白い。

 楽しみ玩具がまた一つ増えた喜びに、俺は仮面の下で邪悪な笑みを浮かべた。


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