第28話:助けは来ないが怪人が来た
「オラ、来い! 親の躾がなってないクソガキに、騎士様が教育してやるよ!」
「授業料も払えよな、社会の常識だぞ? 足りなきゃ家から持ってきな!」
散々暴行を加えてまだ足りないか、衛兵二人は男の子を路地裏に引きずり込んだ。
裏道に入ってすぐの、覗き込めば表通りからも見える場所。しかし助けに入る者も、助けを呼ぶ者も一人としていない。
市民の助けとなるべき騎士が、暴力を振りかざす張本人なのだ。誰もが見て見ぬフリか、薄ら笑いで眺める悪趣味な輩までいる始末。
『いないモノ』の少数として切り捨てられた男の子に救いはない。彼にできることは、精一杯の意地と怒りをかき集めて、衛兵たちを睨みつけることくらいだ。
「反抗的な目つきしやがって、まずその無礼な目を潰してやろうか――あ?」
鞘に納めたままの剣で殴ろうと、振り上げた衛兵の腕が途中で止まる。
衛兵は眉を潜めて自分の腕を見やり、一瞬わけがわからず目を瞬かせた。
硬質に鈍く光る糸で剣ごと腕が縛りつけられ、動きを封じられているのだ。
「なんだこれ、金属の糸? えっ。わっ。わああああ!?」
上から垂れ下がった糸が次々と手足や体に絡みつく。細い糸が切れないのが不思議なほどの力で、衛兵の体は宙に吊り上げられた。
「相棒!? どうした、一体なにが……ひぃぃぃぃ!?」
糸を辿った視線の先、頭上の壁に張りついた『それ』を目撃して、相方の衛兵は腰を抜かしそうになった。
そこには、見たこともない不気味な影が!
「キシュシュシュ!」
背中から生えた八本の脚。暗がりで輝く六つの眼。
蜘蛛の特徴を匂わす人型の、しかし魔物とも魔族とも思えない異形の怪人。
ただでさえ衛兵という名の閑職に追いやられた、貴族の三男四男坊だ。魔物と戦った経験も乏しい二人は、未知の恐怖を前にパニックを起こした。
「やめろやめろやめろ! くそ、こんな糸くらい、ひぎぃ!?」
剣を鞘から抜こうともがいた衛兵の手が、逆に手首から切り落とされる。
金属の糸は、刃物に等しい切れ味を持っていたのだ。
そんなものが全身に絡みついた状態で、暴れたりすればどうなるか。
「うぎゃああああ! 痛い痛い! イダダダダ、ダッ――」
激痛のあまり身悶えした衛兵の体が、身につけた防具ごとバラバラに寸断される。
ボトボトと地面に転がる肉片。ビチャビチャと降り注ぐ血の雨。
失神した男の子は幸いだ。頭が真っ白になりながらも気絶できなかったもう一人の衛兵は、相棒の惨たらしい死体から目が離せない。
「あ、う、あ」
次第に理解の追いついた体が、冷や汗を噴き出し悪寒で震え出す。
なまじ理性を取り戻したせいで膨れ上がる恐怖心は、相棒の生首と目が合ったところで一気に振り切れた。
「う、うわああああ!」
脇目も振らず、半狂乱になって逃げ出す衛兵。
表通りまで十秒とかからない距離だ。眼前の光へ手を伸ばす。
しかし指先が光に触れる寸前、衛兵は見えない壁に弾かれて暗がりに押し戻された。
「いづ!? ああ、アアアア!」
壁の正体は、見えないほどの細さで張り巡らされた金属糸の網だ。
全身の肌を深く裂かれ、血みどろになった衛兵は真っ青な顔でへたり込んでしまう。
その背後に降り立つ、おぞましい気配。
「やめ、助けて……ひぎゃああああ!」
響き渡る絶叫と、肉を切り刻む生々しい音。
飛び散る血肉の雨を、今度は路地裏を覗き込んでいた野次馬たちが被った。
「きゃああああ!?」
「うひいいいい!?」
「なんだああああ!?」
血で汚れた野次馬が蜂の巣を突いたように騒ぎ立て、それを見た群衆が蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。平和な昼下がりがあっという間に地獄絵図だ。
それを屋根から見下ろし、悪魔が腹を抱えてケラケラ笑う。
「ブハハハハ! やっぱり有象無象どもで楽しむには、こうして賑やかしになってもらうに限るなあ! 怪獣映画に逃げ惑う市民は付き物だ!」
「ギル様がお楽しみ頂けてなによりです」
笑い転げるギルの喉を潤すため、エリゼはどこから器具を用意したのか紅茶を淹れる。
その隣に、私は気絶したままの男の子を抱えて降り立った。
「人に始末を任せて楽しそうねえ、君たち」
「おお、シンディ。どうだった? 初めて人を殺した感想は?」
悪い笑みを浮かべたギルの問い。
それを受けて私は今更ながら、自分が殺人を犯したことに思い至った。
当たり前の話、人殺しは犯罪だ。
戦争や凶悪な犯罪者の討伐などは、法的に例外だとしても。人道的に道徳的に、人の命を奪うことは忌避すべきこと。教会でもそう説法している。
あの衛兵二人は控え目に言ってクズだった。しかし如何に私が五大公の子女であっても、独断で死刑にする権利があるはずもない。
私のしたことは罪であり悪であり、人として許されない非道なのだろう。
その全てをよく吟味して、だけど私の心は全く揺れ動かなかった。
「なにも。拍子抜けするほど、なにも感じなかったわ。糸を通して人肉を裂く感触はハッキリ覚えているのに、それに対してなんの感慨も湧かないの」
「だろうな。怪騎士は魔物が持つ本能を脳に付与することで、翼や糸といった人体にない器官も自在に操る。その際、魔物の本能に精神が『汚染』される。人体改造を施したシンディはその影響がより強く表れているんだろう。原始的な闘争心や凶暴性が、人間的な良心や道徳心を塗り潰す。肉体だけでなく、精神的にも人間をやめつつあるわけだ」
「ふーん」
変身を解いて、自分の手を見つめる。
見かけが変わらないように見えても、魔力抜きの人体くらいなら軽く握り潰し、引き裂けるだけの力がこの手にはある。この体はとっくに怪物だ。
人間をやめる。人間でなくなる。その響きは、私の心に波紋をもたらす。
「どうだ? 恐ろしくなったか?」
「まさか。……悪くない気分よ、割とね。スッキリしたし」
蔑まれるばかりの、惨めで弱いかつての自分から生まれ変わった心地だ。
人殺し自体は対して楽しいわけでもないけど、強くなった自分を実感できるという意味では気分が良い。思うままに力を振るって、物や人を壊して、くだらない連中を恐怖で震え上がらせるのは痛快だ。
この大嫌いな王都を滅茶苦茶にぶち壊したら、どんなに愉快だろう。
ああ、今から楽しみだ。
「それで、この子はどうするのよ? 用があるっていうから連れてきたけど」
「そいつが面白そうな話をしていただろう? 冒険者が次々行方知れずになってるとか」
「あれ? ギルがヨシュアを釣るためになにか企んでるんじゃないの?」
「なに。この王都で暗躍する悪は、なにも俺たちだけじゃないってことさ。エリゼ、『連中』の動きはどうだ?」
「はい。《帝国》工作員は《敵商会》が保有する倉庫に潜伏。拉致した冒険者たちもそこに集めており、そこでヨシュア・ロンギヌスを待ち構える算段の様子。また冒険者の他、拉致の場に居合わせたと思しき市民も確認されており――」
曰く、エリゼが変身する蝙蝠怪騎士《バットナイト》の音を操る能力は、後方での指揮や諜報向きらしい。音波コントロールで戦闘員を統率できる他、遥か遠方の音も聞き分ける地獄耳。使い魔である機械仕掛けの蝙蝠は、会話や映像まで送信できる優れもの。
どんなに警備が厳重な場所も、警備する人間を操り人形にしてしまえば楽々潜入。なるほど、悪いことを企むにはうってつけの能力だ。
おかげさまで、こういうときは私が除け者状態になる。
ここぞとばかりに勝ち誇ったエリゼの微笑が、まあ腹立つこと!
そんな私たちの様子など素知らぬ顔で、ギルはほくそ笑む。
「ククク。拉致した冒険者の人選といい、『奮ってご参加ください』と言わんばかりだな。それなら遠慮なく、俺たちもゲスト参加させてもらうとしようか」
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