第25話:影から忍び寄るモノ
光を蓄える鉱石を用いた《夜光灯》により、王都アヴァロンは夜も煌びやかだ。
しかし、それはあくまで表の話。光の裏には影が差すもの。王国の中でも膨大な数の人が集う王都なら尚更のことだ。大通りから一本外れて裏道に足を踏み入れれば、そこはもう光が届かぬ闇の領域。犯罪と暴力の温床だ。
今宵も肉を打つ鈍い音が響き、血が壁や地面を汚す。
「ぐううっ」
「うぎぎぎぎ」
呻き声を上げて地面に這いつくばるのは、冒険者崩れのならず者たちだ。
魔物を狩るより一般市民から金を脅し取る方が簡単。そう味を占めた悪漢どもだが、今夜は彼らが地面を舐める側だった。
「あっれえ、もうおしまいですか? 僕ってば、またやりすぎちゃいましたあ?」
悪漢どもをのした張本人たる少年は、その口調だけでなく格好も随分と戯けている。
これ見よがしに翻すマントに、目元を覆う派手な飾りの仮面。変装と思われるが、騎士王学院の制服を着ている時点で真面目に正体を隠す気があるのか疑わしい。透き通るように鮮やかな緑の髪も隠しておらず、正体を察してくださいと言わんばかりだ。
背丈といい声といい、学院の生徒にしては幼い印象を受ける。とても荒事に慣れているとは思えないが、余裕綽々の無傷。
槍を担いでだらけた佇まいからして、あからさまに舐め切った態度だった。
「この、くそったれがあ!」
膝を屈していない悪漢最後の一人が、背後から剣で少年に斬りかかる。
少年は防御も回避もせず、無防備に振り返った顔で剣を受けた。
しかし。申し分ない一撃だったにも関わらず、少年は傷一つつかない。
「今のなんです? もしかして攻撃でした? 蝿が止まったかと思いましたよ」
「ふざけやがって――うげえ!」
槍で腹を刺され、最後の悪漢も倒れる。
頑丈な金属鎧を纏っていたというのに、なんの抵抗もなく貫かれた。
それは装飾華美な槍の性能もさることながら、槍を覆う緑の光が大きな要因。
「全く、流石は平民の中でも一際卑しい冒険者ですね。痛い目を見なきゃ力の差も理解できないなんて、同じ人間なのが信じ難い知性の低さですよ。平民のゴミみたいな魔力じゃ、騎士様に勝てるわけないって当たり前のこともわかりませんか?」
そう。少年が顔で剣を受けて無傷だったのは、全身に纏う魔力が刃を弾いたため。
目で見えるほどの膨大な魔力なら、それ自体がどんな金属よりも遥かに勝る鎧となる。またその魔力を武器に纏えば、如何なる金属も容易に穿つ。魔力を破れるのはそれ以上の魔力だけ。だから平民は貴族に、冒険者は騎士に絶対に敵わない。
なにげなく、少年は悪漢の剣を拾い上げた。
なんの変哲もない鋼鉄製。しかしよく使い込まれており、それでいて切れ味は鈍っていない。製作者の職人技が素人目でもわかる一品だ。
それだけに、少年の口元には嘲りの笑みが深まる。
「君たちはこの剣と同じですよね。無駄で、無価値で、無意味で! 君ら平民がいくら必死になろうが、僕ら騎士の足下にも及ばないのに! 黙って僕らに守られて感謝に咽び泣けばいいものを。無意味な努力で人生無駄にして、恥ずかしくないんですか? 騎士の戦場に出しゃばる君ら冒険者なんて全くの無価値、まさに社会のゴミですよ」
そう鼻で笑い、少年は鋼鉄の剣を地面に落として踏み砕いた。
……この世界では武器職人や、職人が作った武器・防具の立場が酷く低い。
《幻装騎士》という無敵の武具を生まれ持つ貴族にとって、職人の作る武器・防具など平民の浅知恵。持たざる者、劣った者の見苦しい小細工だ。魔力の乏しい平民風情が振るう武器など、鎧を纏うまでもなく魔力で防げる。
だから職人たちは世間から冷遇され、彼らの研鑽は何一つ評価されない。
そういった背景のために、ファンタジー特有の中世らしからぬ文明レベルと裏腹に、この世界では武器・防具の技術が低い水準にある。血統主義・魔力主義の風潮が職人を貶め、技術の発展を停滞させているのだ。
――故に、仮面の少年は想像だにしていない。
血統の優性も魔力の優位も無に帰す、脅威の技術の存在を。
「さあ、美しいお嬢さん! 悪党はこの通り退治しました! いえいえ、感謝の言葉は不要。僕は正義を成したまでのこと。名前? 名乗るほどの者ではありません。強いて名乗るなら正義の代弁者、誰が呼んだかジャスティスナイ、ト……」
饒舌な少年が芝居がかった所作で振り返った先には、誰もいない。
ほんの数分前、ここで見目麗しい女性が悪漢どもに絡まれていた。そこへ少年が颯爽と駆けつけたのだ。
その女性はとっくに逃げ去った後。乾いた風が通り過ぎて少年をせせら笑う。
「オーケー、僕は冷静です。正義は見返りを求めないものですし? 感謝されなくても怒ったりませんとも。たとえ助けた相手が礼儀も知らない下賤な女でもっ。寛容な精神で許してやるのが騎士の嗜みですよねっ」
グチグチネチネチ呟きながら、槍の石突で壁を叩く少年。平静を取り繕えてもいない、まるっきり子供の癇癪だ。
「ああもう、君らが無駄な抵抗して手こずらせたせいです!」
無機物に当たるのでは物足りなかったか。
モゾモゾと動いている悪漢の一人へ、少年が槍を振り下ろす。
ところが。槍はあっさりと悪漢の手で掴まれた。
「だから! ゴミのくせに無駄な抵抗するなと……!?」
槍を引こうとして、異様な重い手応え。平民にはありえない握力と腕力による抵抗に、少年は驚く。さらに少年はギョッとなった。
槍を掴む男の姿が闇に包まれ、異形の骸骨騎士に変貌したのだ。
「ギギー!」
「な、なんですかこいつ――うげぇ!?」
起き上がり際に骸骨騎士の放った拳が、少年の腹に突き刺さる。
いくら姿が変わろうと、所詮は魔力の通わぬ攻撃。全くの無警戒・無防備で食らったのは、少年当人からすれば油断でも慢心でもない。日々悪漢どもを圧倒してきた経験に基づく、確かな『常識』からくる余裕だった。
しかしその常識は脆く崩れる。闇を纏う拳が、魔力の守りをいとも簡単に破った。柔い腹筋は内臓まで重い衝撃を素通りさせ、魔力頼りで鍛えなかった怠慢が露見する。
「お、おぼぁぁっ」
結果、少年は吐瀉物で制服を汚しながら悶絶した。
強者ぶった余裕を剥ぎ取られ、仮面の下で表情が苦悶に歪む。
苦痛と嘔吐感が薄らぐまで、蹲ること数十秒。平民相手に醜態をさらした屈辱と怒りで、ようやく少年は持ち直した。
「き、貴様ぁぁぁぁ! ……あ?」
気炎を燃やして立ち上がるも、少年は呆けた声を漏らす。
そこには骸骨騎士も、他の悪漢どもの姿もなかった。
まさか十人近くはいた人数を、あの骸骨騎士が一人で運び去ったとでもいうのか? 魔力で身体強化でもしなければ、そんなことできるはずがない。そもそも、魔力もない平民の拳で自分が膝をつくなど!
幻覚でも見たのではないか。いいや、そうに違いない。
腹の痛みと吐瀉物の悪臭が、全て現実だと訴える。しかし混乱し切った少年の頭は都合の良い方を信じた。それだけ少年にとっては非現実的な出来事だったのだ。
「いやー! なんてお強い! あんなたくさんの悪党どもを一蹴とは! 流石は巷でも噂の正義の騎士、ジャスティスナイト様ですね!」
「あ。へ。え? ま、まあ、それほどのことでも、ありますけど?」
不意打ちのように声をかけてきたのは、やたら腰が低い痩せぎすの男だ。
小奇麗な身なりは身分の確かさを窺わせるが、この裏路地ではかえって怪しい。
しかし悪夢めいた体験をした直後の少年の耳に、男の世辞は甘美なほど心地よく響いた。吐瀉物で汚れた制服をマントでそれとなく隠しつつ、慇懃な態度で男に応じる。
「貴方様の偉大な強さと、高潔な正義の心を見込んでお願いします! この王都に人知れず危機が迫っているのです! どうか、弱く憐れな我々王都市民をお救いください!」
「うんうん。この僕に助けを乞うとは、なかなか賢明じゃないですか。僕も正義の騎士として、助けを求める切実な声に応えるのは吝かではありませんよ?」
「おお、感謝します! 実は、愚かな冒険者どもが怪しい企みを――」
もう先程の出来事など記憶の片隅に放り投げ、少年は気分良く男の話に耳を傾けた。
跪いて首を垂れる男が、口元に嘲笑を浮かべていることなど知るよしもなく。
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