第17話:悪魔は笑う
保健室。
薬品の匂い。清潔な白のシーツ。怪我や流血沙汰の絶えない騎士王学院生徒のため、魔法薬や医療用魔道具が揃えられた聖域。それでいてどこかインモラルな空気を漂わせ、生徒が良からぬ妄想と期待に胸とか色々膨らませる危険な場所。
しかして隠された裏の顔は――悪魔の手術室!
「再調整終了だ。お疲れ様。しかし繰り返すようだが、足の不自由はそのままで本当に良かったのか? 変身せずとも普段から自由に歩けるようにもしてやれたが?」
「いいの、よ。私が私の才能を、自力でコントロールできるようになれば、自然と解消される、んでしょ? 自分でどうにか、できることくらいは、自力で頑張りたい、の」
手術台から変形して戻ったベッドの上で、私は荒い呼吸を整える。
ソアラを倒した後、体が限界を迎えた私は、ギルの手で再調整を施された。私の肉体的・技量的な成長に合わせて、今後もその都度調整が必要らしい。正直、ちょっと困る。主に乙女的というか、羞恥心的な意味で。今も下着一枚だし。
そう。ついにこの手で、いえ、欠陥品と蔑まれ続けたこの足で、私はソアラに勝った。なのに、思ったほどの感慨がないのはなぜ? 改造されて、与えられた、ソアラが言う偽物の力だから?
でも後味が悪いわけでもなく、むしろスッキリしているのに。
……それにしても、ガシャンガシャンって壁や床が動くこの光景。何度見ても目を疑うわ。壁や床の間にあんなアレコレ入るスペースあったかしら?
「学院の保健室を改造してるとか、よくバレてないわね?」
「そりゃあ、学院長は半分俺の操り人形だからな」
「はい? 今、サラッととんでもないこと言わなかった?」
「俺が個人的に運営している《ゼット商会》は、裏で禁制品や奴隷売買などの非合法な商売をやっているんだがな。学院長はそこの常連だったんだ。おかげで拉致して洗脳するのは簡単だったぞ? ちなみに販売禁止になったハード性玩具買ってた」
世界の前に学院がギルの手でとっくに征服されていた件。ていうか学院長の性癖とか知りたくなかった……。
ベッドに腰掛け、他愛ない世間話のようにギルの外道発言は続く。
「まあ、人でなしの俺が人の頭の中いじると大抵ぶっ壊すから、深層意識で俺の指示に従うよう刷り込んだくらいだが。権力者の傀儡はなにかと便利だぞ? 面倒なだけで面白味もない後始末とか事後処理とか、全部丸投げにできるからな」
「うわあ、悪い笑顔。正直、君の悪っぷりを見くびってたわ。いやもう、そのやり方で王国も乗っ取れちゃうんじゃないの?」
「世界征服を掲げてはいるが、支配に興味はない。俺という脅威を前にして人類が、世界がどんな抵抗を見せてくれるのか。そこをアレコレ悪事で実験して試すのが楽しいんだ。特に《騎士王》なんてお楽しみ、洗脳で片づけてしまうのは勿体ないだろう? 騎士王様には是非とも伝説に相応しい活躍で、この俺を楽しませてもらわないとな」
――これが、この男の底知れなくて恐ろしいところだ。
まるで大人をからかう悪戯小僧の笑顔で、人類を世界を、超越者とされる騎士王すら敵に回すと言ってのける。戯れてはいても冗談はなく、お道化て見せても愚かではなく。正気を疑うような大それたことを、誰よりも大真面目に考え実行しようとしている。
しかも、そこまで彼を突き動かす動機がただ「楽しいことがしたい」と来た。
多くの物語で魔王が悲願とする世界征服や人類滅亡さえ、この男にとっては楽しい遊びに過ぎないのだろう。遊びだから勝敗に執着しないし、執着がないから怖いものなし。きっとこの男は、たとえ負けても「ああ楽しかった」と最期まで笑うのだろう。
出会ってまだ一週間程度。そんな短い時間で、「そういう男だ」と否応なく理解させられるほど、ギルダークという少年はどうかしていた。
「ま、それはいずれのお楽しみとしてだ。シンディも実際に使ってわかっただろうが、スフィアダガーの技術はまだまだ発展途上にある。さらなる研究のためには、実戦データの収集が必要だ。大勢の人間の手で、こいつの力を試してもらう必要がある」
「まさか、生徒を実験台に……この学院を実験場にするつもり?」
「そういうことだ。お前の戦いは、実にセンセーショナルな宣伝になった。上級はおろか、五大公の才女すら凌駕できる力を与えてくれる魔剣。この触れ込みを聞けば、誰も彼もがこぞって欲しがるだろう。この、魔性の短剣をな」
これから楽しくなるぞ、と悪魔は笑う。
幕を開けるのは悪逆非道。人々の希望、未来の騎士を育む学院が、恐怖で真っ黒に塗り潰される。絶対と思われた強者と弱者の序列は壊れ、腐った秩序が崩れて混沌が訪れる。栄光を約束されたはずだった生徒たちが、絶望の中でのた打ち回る。
想像するだけで、ゾクゾクと全身が震えた。ああ、それはなんて。
「なんだ。俺について行くことに今更怖気づいたか?」
「まさか。――最っ高じゃないのよ。世界を笑い者にしてやる、前代未聞の茶番劇。私も張り切って踊りましょう」
嘘くさい英雄譚でも、お涙頂戴の悲劇でもない。
きっとこの世界の誰も見たことがない、最高に最悪な物語が動き出す。
英雄譚でも悲劇でも、笑い者にされる道化だったはずの私が、舞台の真ん中で世界を笑い者にしてやるのだ。こんなに痛快なことはないと、興奮で武者震いする。
そうとも。ソアラに勝ったことなんて、今の私にとってはただの通過儀礼。いちいち心揺さぶられてなんかいられない。だって、これからが楽しくなるんだから。
どうせ真っ当に生きたところで、惨めな弱者の人生が待つだけだった。いっそ、とことん堕ちてしまおう。空に向かって、あの地平線を見渡せる高さまで真っ逆さまに。この最悪に最高な悪魔と一緒に、とことん踊り狂って見せようではないか。
歪んだ喜びと期待に胸を熱くしながら、私は邪悪に微笑み返して見せた。
「……ああ、お前は本当にイイ女だなあ」
酷く楽しそうに笑いながら、ギルが私に覆い被さってくる。
ギシリと軋むベッド。優しく肌を這う指先。体の芯が甘く疼く。
「え、ちょ。す、するの?」
「ん? するのはただの触診だぞ? 再三言ったが、無理やりどうこうというのは俺の嗜好に合わないみたいでな。本気で嫌ならそれ以上のことはしないさ。尤も――可愛い顔でおねだりされると、俺も辛抱堪らなくなるが」
人でなしのくせして人並みの性欲はある悪魔が、悪辣なまでに優しく笑う。
……改造されてからの一週間。診察と称してギルに触れられなかった部分は、もう私の身体のどこにもない。
確かに、ギルは一度たりとも私に無理を強いることはなかった。今も本気で拒めば、二度と必要以上には私に触れて来ないだろう。
だけど「人体は壊し方も治し方も苦しめ方も、ついで悦ばせ方も熟知している」と豪語する男の手つきは、あまりに甘美で。
恐怖も苦痛も嫌悪感もない、いっそ慈愛すら錯覚させる快楽に、身も心も溶かされた私は『それ以上』を求めずにはいられなくて。
愛などわからないと公言する通り、せいぜいが飼い犬に対する愛玩程度の感情と知りながら。悪魔に組み敷かれる悦びに、私はすっかり溺れてしまっている。
「嫌か?」
「好きに、しなさいよ。逆に食い散らかされてもいいなら、ねっ」
憎らしい笑顔に対する精一杯の抵抗として、私は自分から唇に噛みついてやった。
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