第9話:このちっぽけな世界を値踏みする者


 私――シンディ・アロンダイトにとって、世界はただ狭く窮屈で息苦しかった。


 生まれつき感覚が鈍く、不自由なこの足ではどこにも遠くへは行けなくて。

 どこに行っても、嘲りと蔑みと憐れみの目が私に付き纏ってきた。


 誰もいない、誰も追いつけない遠くへ行きたい。こんな酷い現実をぶち壊して、こんな醜い世界から飛び出して、どこか綺麗で美しい場所に行きたい。

 ずっと、そう思っていた。願い続けてきた。


 だから……。


「わ、キャアアアアアアアア!?」


 まさに世界から飛び出すかと錯覚させる跳躍は、生まれて此の方味わったことがない、怖いくらいの快感を私に与えた。


 大地が遠のき、空が近づく。放物線の頂点に達して数秒の浮遊感。

 重力に捕まった体は急速に地面へ落下するけど、恐怖はなかった。

 そんな心配は無用だと、短剣から流れ込む力が教えてくれている。


 異形の足は着地の衝撃をいとも容易く受け止め、また高々と跳んだ。


「うわ!?」

「なに!?」

「なんだ今の!?」


 跳躍の度に、道を行き交う人々が驚愕の声を上げる。

 着地しては一瞬で空に消える私の動きを、誰も目で追えていないのだ。


 私は高さを抑え、屋根と屋根の間を縦横無尽に飛び跳ねる。やっぱり私の動きが速すぎて、誰の目もついて来れない! ああ、なんて痛快なんだろう!


「あはっ。ははは。アハハハハハハハハ!」


 私は気でも触れたみたいに笑いが止まらなかった。


 実際、頭がおかしくなっちゃったのかもしれない。こんな異形の、バッタの足で飛び跳ねて喜ぶなんて。ああ、だけど誰に理解できようか。自分の足でこんなにも力強く駆けられることの喜びを。当たり前にまともな足を持って生まれた連中なんかに。


 魂が燃え上がるような高揚感に浸っていたところへ、突然声をかけられる。


「お気に召したようでなによりだ」

「ギル!」


 風を纏って私に追随してくるのは、私にこの足を与えてくれた張本人だった。

 ギルダーク・ブラックモア。下級貴族ながら魔道具の発明で才を発揮し、幼くして商会まで立ち上げた変わり者だと、風の噂に聞いたことがある。


 しかしそんな風評など些事に思えるレベルで、この少年は変人で不遜で非常識で摩訶不思議だ。魔力でない謎めいた力といい、魔物の能力を人間に付与するなんて正気を疑う道具といい……公爵家をホブゴブリンと同列に扱う一方で、障害持ちの私のことは宝物かなにかみたいに、キラキラした目で見ることといい。


「しかし、この程度の高度で満足するのは勿体ない。もっといいものを見せてやる!」

「え? 『エンチャント』『《ストームグリフォン》』わ、わわわ!」


 ギルに手を掴まれると、体が一気に上昇を始めた。

 風を推進力にぐんぐん高く、雲にまで届くほどの高さに達したところで停止。

 腰に手を回して私の体を支えながら、ギルはもう一方の手で下を指し示す。


「どうだ、ここからの眺めは?」

「――――」


 言葉を失う景色が、眼下に広がっていた。


 王都アヴァロン。騎士王が興した我が王国ペンドラゴンの中でも最も栄えた、理想郷とまで謳われる栄光の都。


 しかし……東西に地平線、北に山脈、南は海洋の水平線まで見渡せる、無限に広がった世界の中で。私たちがいる高さから見下ろした王都は、笑いが込み上げるほどに小さかった。

 無意識に伸びたこの手のひらに収めて、握り潰してしまえそうなくらいに。


「ああ……私が世界の全部だと思っていた場所は。私が身も心も囚われてきた場所は、こんなにも小さかったのね」

「そうだとも。本当の世界はこんなにも広いというのに。ちっぽけな物差しでしか世界を測れない、ちっぽけな連中の尺度で作られたちっぽけな枠組み。その中で満足する一際くだらない連中が、お前を出来損ないと嘲笑う。本当の愚か者がどちらかも弁えず」


 ギルの手が私の手を包んで、握り込ませる。

 私の仄暗い欲求を見透かした上、それを肯定するかのように。


「見ろ、あのちっぽけな王国を。虫けら同然のちっぽけな連中が作った、ちっぽけな虫籠だ。こんな狭苦しい所、お前には随分と窮屈そうじゃないか。なあ、こんなくだらない国――めちゃくちゃにぶち壊してやったら、最っ高に楽しそうだと思わないか?」


 夕陽とそれが落とす影で、血溜まりのような赤黒に染まった世界を見下ろしてギルは嗤う。悪魔のように邪悪で、小さな子供みたいに屈託のない笑顔で。冗談でも妄言でもなく、心の底から本気なのだとわかってしまう。


 異常だ。異質だ。異端だ。魔王よりも遥かにどうかしている恐ろしい人だ。

 それなのに。ああ、それなのに!


「君は、一体何者? どこからやって来て、これからなにをしでかそうっていうの?」


 どうしようもなく、身も心も骨の髄から痺れて、魅せられる自分がいた。

 まるで、底無しの暗闇が発する引力に捕まってしまったみたいに。


「……我が名は《フィアー》。悪の組織を統べる《大首領》。我が目的は世界征服。俺の物差しは全ての人類、全ての世界を値踏みする物差しだ」


 しまいには本当に魔王みたいなことを言い出すから、私はもう笑うしかなかった。

 荒唐無稽としか思えない、彼の大言壮語の極み。それを疑うより先に、『なんて楽しそうなんだろう』と引き込まれている自分に気づいちゃったから。


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