第30話:最終決闘
「鳥居くん……」小栗は自分に銃口を向ける部下の目を呆然と見つめている。
「銃を捨てろ、小栗。お前の負けだ」
中森は、そういいながら目の前の長机を乗り越えると、力づくで小栗の手から銃を取り上げようとしたが、小栗はそれでも手放そうとしないので、いきなり
中森はまもなく70に手が届く年齢である。それがゆえに小栗も完全に油断していたし、すっかり忘れていたのだが、大学時代、中森は剛柔流空手部の主将であり、れっきとした黒帯三段の腕前なのだ。
小栗はまるで
「簡単に強制離脱してもらっちゃつまらんからなあ」
中森は、そういいながらうずくまった小栗の顔をサッカーボールでも蹴り飛ばすように激しく蹴り上げた。まともに鼻っ柱にヒットしたため、鼻の骨がグニャリと音を立てて曲がる。
(……きっと折れたな)と遠のく意識の中で感じながら、小栗は大の字に伸びてしまった。
「手ごたえのないやつだ。——まあいい。これで終わりにするぞ。幸次郎、ご苦労だったな」
といって鳥居の顔を
たまらず鳥居が中森の背後から甲高い声を上げる。
「やめてください!」
しかし中森は
「一対一で勝負をつけろといったのはこいつの方だ。小栗だって俺に撃たれれば本望にだろうよ」
「もし小栗さんを撃てば、僕があなたを撃ちますよ」
鳥居は中森に銃口を向けた。
「裏切るのか?」
「最初から僕はあなたに味方した覚えはありません。僕はただ病気の母さんを助けるために——そうすれば、治療費を出してくれるっていうから——あなたとの約束を果たしたまでです」
中森は残念そうに苦笑し、
「わかった」といって銃を下ろす。「だが、俺はお前の父親だぞ」
「ええ、知ってます、生物学的には。でもそれはなんの恩着せにもなりませんよ。とにかく僕は約束どおりここに小栗さんを一人で連れて来た。……そして銃口を向ける——あなたの指示はそこまででした。これで僕とあなたとの貸し借りは終わりのはずです。僕がこのあとどのような行動を取ろうが、約束だけは守ってもらいますからね」
「ふん、勝手にしろ、足元見やがって。その代わり俺もお前の将来にはなんの保障もくれてやらんぞ」
「ええ、結構です。そのほうがかえってスッキリします」
「——そんなに小栗について行きたいのか?」
鳥居はキリリと中森の顔を見つめる。
「ええ、僕にとっては唯一無二の上司であり、本当の親父みたいなものですから——」
さすがに中森もこのセリフにはショックを覚えたようで、心なしかさみしそうな表情でうつむいた。
しかしそれは演技だった。鳥居がほんの少し気を緩めた瞬間、中森の体は鳥居の視界から消えた。そして鳥居の腹部に激痛が走った。下を見ると、中森が大きく足を開いてしゃがみこんでいる。そして拳銃を突きつける鳥居の両腕の下から正拳突きを打ち込んでいた。——鳥居のみぞおちには中森の拳が食い込んでいた。
鳥居はひざをついてそのまま顔面から前のめりに倒れた。
「終わったな……」
中森は『あしたのジョー』の力石徹ばりに感慨深くそうつぶやいた。
「——さあ、そうですかね?」
それは顔面を真赤に染め、
「銃を捨てろ!さもないと撃ちますよ」
小栗は床にあぐらをかいたまま不敵な笑みをたたえ、中森の背中に銃口を向けている。
中森は背中を向けたままゆっくり両手を挙げる仕草をしたが、次の瞬間、身を翻して、転がりながら小栗へ発砲した。
小栗もほぼ同時に発砲するが、二人の弾はそれぞれ相手に命中しなかった。
さらに中森は会議室の中をあちらこちらに逃げ回りながら立て続けに数発乱射した。一方の小栗は床に座ったまま一発ずつじっと狙いを定めながら中森を撃ち続けた。正直いうとさっき後頭部から倒れた際に膝を捻ったらしく、うまく起き上がれないのだ。引き金を引く右手も最初にお見舞いされた正拳突きのせいで十分に力が入らない。
それでも小栗は応戦した。そして両者による激しい撃ち合いが繰り広げられた。——そのうち数発は互いをかすめ、あるいは命中したようにも見えたが、いずれも当たりが浅いのか、三重被弾を示す赤色発光はどちらのプロテクターからも起きなかった。
やがて先に中森の弾が尽きた。
「し、しまった」
小栗は自分の銃の弾倉を確認する。
「私は、まだ一発残ってます。どうやら勝利の女神は我々に微笑んでくれたようだ!」
といいながらゆっくり立ち上がる。そして足を引きずりながら中森に近づいた。
二人の銃撃戦の音でようやく我にかえった鳥居ものっそり立ち上がって背後から中森に近づく。しかし二人とも中森の空手殺法を警戒して不用意にその射程圏内に入ろうとはしないので、中森はどちらにも文字どおり手も足も出ない。
「幸次郎、撃て!さもないと金は出さんぞ」
中森は半分ヤケクソ気味にそう叫ぶが、鳥居は耳を貸そうとせず、のみならず銃口を中森に向けた。
「だから、もうあなたとの約束は果たしたって言ったでしょ?——そういうわがままを言うなら、小栗さんより先に僕があなたを撃ちますよ」といって撃鉄を引く。小栗も銃口を向けた。
「わかった。撃つな。俺にはまだまだ政治家としてやることがあるんだ。公職追放だけは勘弁してくれ!参った。降参だ。お前らの要求をすべてのむ。俺は横浜市長を辞める」
といって中森は両手を挙げながら床にひざまづいた。
「ほんとですか?じゃあ,今ここでそれを会見をしてもらいましょう」
そういうと小栗は、中森に対してプロテクターを脱ぎ、背広を着て、最初に小栗たちが座っていたイスに腰掛けるよう促した。
中森はいそいそと言われた通り、服を着替え、指定された席についた。小栗はスマホのカメラレンズを中森に向け撮影準備を整えた。そのかたわらでは鳥居が中森へ銃を向けている。が一旦覚悟を決めた以上、中森にはもはや迷いはない様子だった。
「ええー、二年近くにわたって続いた多摩川県との闘争戦についてですが、さきほど小栗多摩川県知事代行と停戦協議を行いまして、おおむね合意に達したところでございます。停戦はあくまで両者対等で行います。したがって、双方にこれ以上の強制離脱者は発生しません。しかしながら多摩川県側に生じた被害状況に鑑み、一定の財政支援を横浜市としても神奈川県と協調の上、必要に応じて投入してゆきたいと思います。また多摩川県の独立をあらためて正式に承認するとともに、都筑区、港北区、緑区、青葉区の4区については、先の住民投票の結果もしくは今後各区において自主的に形成される総意を最大限尊重したいと考えます。——ただ、私がこれまで市民の皆さまへの公約として掲げ、私自身も政治生命をかけた宿願としてその実現に向け奔走して参りました横浜第二都心構想は、誠に残念ですが、実現の可能性が絶望的となりました。よって、この現実を重く受け止め、私は全責任を取り、今日、たった今、横浜市長を辞任することといたしました——」
中森は原稿もリハーサルもないまま、堂々とした態度で小栗のカメラに向かってスラスラとスピーチを行った。
「これでいいか?」
小栗はスマホの撮影画像を確認した後、
「ええ、みごとな辞任会見でしたよ」といった。そして鳥居には拳銃を下ろすよう手で指示した。
「ではこれを早速ネットで一斉に公開します」
中森は不承不承うなずいた。しかしこのまま黙って引き下がるような中森ではない。
「ただ、なりすましの件は警察に届けるぞ、お前にもそれなりの制裁を受けてもらうからな」
「なりすましなんかしてませんよ」
「嘘をつけ!俺は断固自分の意志では隊員登録してないぞ」
「その通りです。あなたは隊員登録はしてません」
小栗は思わせぶりな表情でうなずいた。
「どういうことだ?」
「さすがに私もお国のデータベースをハッキングするなんて大胆なことはしませんよ。ご覧になった画面がフェイクなんです。特定の時間の特定の条件下の人間だけが横浜隊のホームページにアクセスすると本物の画面の上に自動的に上書き表示されるよう堀田というウチの天才プログラマー——そうです、あなたが狙撃を命じ、戦線離脱に追い込んだ男ですよ、その彼に、私がいずれこういう時が来るんじゃないかと予測して、あらかじめプログラミングするよう指示しておいたんです。だからあなたは正真正銘今も非闘争員です。あなたがまとったプロテクターも銃もすべて偽物なんです。だからあなたの撃った弾は私のプロテクターに当たっても反応しないし、私が撃った弾もあなたのプロテクターには反応しなかったんです」
中森は呆気にとられている。
「だ、だましたのか!——お前そんなことして許されるとおもってんのか!?」
小栗は悪びれた様子は少しもない。
「——ええ、どうしても同じ土俵に乗ってもらわないと勝負のしようがないんですから仕方ないじゃないですか。——ただ、これでちょっとはわかったでしょう、隊員の気持ちが。そしてあなた自身も内心はホッとしているはずです、三重被弾の恐怖から解放されたことに。——あなたにとっては将棋の駒程度の存在かもしれないが、隊員は皆、人生をかけてそれよりも大切な何かのために必死に戦ってるんですよ」
中森はさすがに苦々しい表情を浮かべ、返す言葉がなさそうだった。しかし、すぐに反論に転じた。
「だが非闘争員である俺を闘争員がゴム弾で撃ったことはまぎれもなく闘争員法違反だろ?出るとこに出てお前の悪事を洗いざらいぶちまけてやるぞ!」
しかし小栗は血だらけの顔でひきつりながら笑って聞いている。
「そんなこと言ったら、私のこの顔はどうしてくれるんです?これこそ立派な傷害罪でしょう。出るところの出たらあなたこそ起訴されるんじゃないですかねえ」
「相変わらず、いけすかねえ奴だ。——だが、覚えてろよ」
中森はそういって悔しまぎれの笑みをわずかに浮かべた。
「まあ、好きにしてください。でも、鳥居くんとの約束はできれば守ってやってください。——では」
そういって小栗は鳥居に目配せすると、くるりと背中を向け、足を引きずりながら出口にむかって歩き始めた。
鳥居は床に落ちた中森のプロテクターと銃をすばやく回収し紙袋に詰め込む。そしてその紙袋を小脇に抱えて小栗の後を追いかけた。
そこへ中森がバリトンばりの太い声で呼び止めた。
「おい、幸次郎!」
鳥居は足を止めてチラリと振り返った。中森は渾身の悪人面を浮かべている。
「ちょっとは成長したな!」
鳥居はわずかに目で返答しただけで、小走りに会議室を後にした。
エレベーターが来るのを待つ間、小栗は、
「鳥居くん、あとの処理は任せた」といって自分のスマホを差し出した。
鳥居はすまなそうな顔で驚く。
「信じてもらえますか?」
「ああ、もちろんだ。オレは、一ヶ月前に執務室で君らを撃った時、自分自身の未熟さを心から恥じた。だからもう、小笠原くんのことも鳥居くんのこともこの先何が起ころうとこの闘いが終わる最後の最後まで絶対に信じぬくって決めたんだ」
といってニカッと笑い、ポンとスマホを鳥居の手の上に置いた。
鳥居はエレベーターに乗っている間に撮影した動画のアップロード処理を手際よく終えた。
3階に到着すると、さっきの無愛想な警備員が警備室から現れ、二人からそれぞれ入場パスを受け取った。
そして、ほんの少しばかり柔和な表情で、
「お疲れさん」といって二人に敬礼をした。
二人がエスカレーターで3階から1階に降りようとするころには、中森辞任の会見映像はすでにSNSに流され、あっという間に千件を超えるリアクションがあった。その映像をもっとも心待ちにしていたデモ隊参加者たちは、デッキ広場からどっと館内に押し寄せた。そして大歓声でエスカレーターを降りてくる二人を迎えた。
その光景をエスカレーターから見下ろしながら、鳥居は満面の笑みを浮かべ大きく手をふって歓呼にこたえたが、小栗は照れ臭そうに血だらけの顔を両手で隠しながら背中を向けた。そしてお尻のポケットからハンカチを取り出し曲がった鼻を気にしながら、顔面に付着した血のりと汗と、そして涙を1階に着くまでになんどもゴシゴシ拭いた。
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