第29話:丁々発止
「なんだそりゃ?」
イスに座った中森は、机の上で頬杖をついたままポカーンと口を開けている。
小栗は目の前の長机を大きく両手で前へ押し出し、隣の長机との間に隙間がつくった。そしてその隙間から這い出ると、紙袋を手にしてまっすぐ歩み寄り、中森の目の前の机にドンと置いた。
「これを
紙袋の中に手を入れた中森はあきれた表情を見せる。
「これはお前ら闘争隊員が着るプロテクターだろ?なんで俺が着るんだ。俺は非闘争員だぞ」
「そんなはずはありませんよ。あなたの名前は闘争員番号とともに横浜隊の公式リストに記載されてます。この通り——」
と手に持ったタブレット端末を見せた。
そこには中森本人の顔写真と一緒に氏名、生年月日及び登録日、隊員番号が確かに記載されている。——登録日は昨日である。
「馬、馬鹿な」
すぐに自分のスマホで横浜隊の公式サイトにアクセスして確かめる。
「——いつのまに?………わかった。得意のなりすましだな。ドローンの時といっしょだ。俺のマイナンバーを乗っ取って勝手に闘争隊員登録をしたんだろ!きったねえ奴らだ」
「さあ、なんのことでしょう?」
小栗は露骨にとぼけた表情を見せる。
「さあ、プロテクターを着てください。——着ないなら、撃ちますよ。闘争隊法第46条に明記されているとおり、プロテクターを着用しようがしまいが、闘争員への射撃は相手からの一時離脱の申請がないかぎり許可されています。また一時離脱は発効の3時間前までに申請する必要がある。残念ながらあなたの場合はもう手遅れです。さあ、プロテクターを着てください。
「俺は着ないぞ。俺は
「男らしくないですよ、中森さん。——これはあなたが引き起こした戦争だ!」といって小栗は机に両手をついて詰め寄る。「あなたがきっちり幕引きをすべきじゃないですか!?」
「俺は政治家だ。おまえのようなデモ屋と一緒にするな!」
中森は目の前の長机に足をかけ、机ごと小栗の体を押し返す。
「私もあなたのような卑怯な
「似非とは何だ!お前に政治のいろはを教えたのはどこの誰だ!」
「ええ、あなたです。全部あなたに仕込まれました」
「だったらお前も偽物だろ!」
「そうですよ、私はしょせんでき損ないの政治家です。デモ屋です。でもあなたのように汚い真似はしない」
「俺がいつ汚い真似をした!?」
「あなたはあなた自身の野望のためだけに川崎市を無理やり統合しようとした。あなたの野望はただ一つ——横浜市を特別自治市にすること。そうすれば神奈川県が徴収している法人事業税も横浜市のものにすることができるからです。それを背景に東京都知事にも匹敵する影響力を我が物にしようと考えた。——でもそれだけじゃ横浜市の膨れ上がった借金の山はとても片付かない。そのためにはどうしても川崎市の税収が必要だった。川崎は地方交付税を付与されていない唯一の政令指定都市ですからね」
「……だからなんだ?東京だって大阪だって似たようなことしてるじゃないか。そうじゃないと近代大都市は維持できないんだ。そして横浜がさらに大きくなるためにはどうしても必要な枠組みなんだよ。いわば、俺の野心は——横浜市民の幸福そのものだ!」
「それなら横浜だけでやればいいじゃないですか。あなたのいう横浜市民の幸福は川崎市民の犠牲の上に成り立つあなた自身とあなたを担ぎ上げる一部の享楽主義者だけの幸福だ!」
中森は
「うるせえ!それが俺の正義だ!俺はその正義に命を張ってんだ!文句があるならお前も命をかけてかかってこい!」
小栗はじっと中森をにらみつけながらニヤッと笑う。
「——言いましたね。その喧嘩、喜んで買いますよ。だからこうしてここへ来たんです。——中森さん、いよいよあなたも年貢の納め時ですよ。だったら最後ぐらい正々堂々と戦ったらいかがです?紙袋の中には拳銃もあります。闘争隊員として一対一の勝負をつけましょう。それとも自主離脱を宣言しますか?その場合、未被弾でも半年間は公職復帰出来ないので、実質横浜市長は辞職せざるをえないでしょうから、それでも私はかまいませんよ」と淡々といいながら小栗は床に散らかった紙袋とその中身を拾い上げ、袋に詰め戻して中森の目の前の机に再び置いた。
「馬鹿言え!俺は市長も辞めない。降伏もしない。佐伯が一人で音を上げて多摩川県の独立を勝手に承認したらしいが、俺は知らんぞ。そもそもあいつがこの決着は自分にやらせてくださいっていうから、俺はあいつに任せたんだよ。一気に攻め落とせばいいものを
「ならこうするしかないですね」
といって手にした拳銃の撃鉄を親指で引いた。
「わかった、着る。待て。でも——後悔するなよ」
中森は紙袋の中からプロテクターを取り出すと背広を脱いで急いで身に纏った。
——が、中森がプロテクターの前ボタンを止め終わった瞬間、小栗はいきなり引き金を引いた。ゴム弾は至近距離から中森の右胸に命中したため、さしもの中森も胸を押さえてその場に崩れた。
「や、約束が違うじゃないか!」
中森は唇をわなわな震わせながら小栗の顔を見上げた。その目を冷やかに見下ろしながら、小栗は口元に笑みを浮かべる。
「約束なんかした覚えはありませんね。正々堂々と勝負してはどうですか?と言っただけです」
「どっ、どこが正々堂々だ?——卑怯だろ!」
「そんなことありませんよ。どうせあなたが銃をとったらあなたは私を撃つつもりでしょう?私はご覧のとおりあと一発被弾すると公職追放になります。あなたと勝負をつけるにも同じ土俵じゃなければ話にならないでしょう?」といって小栗は、一発目と同じ箇所へもう一発撃ちこむ。
中森はひざまづいたまま苦痛に顔を
「くそっ……」
「これでようやく同じ土俵に乗りましたね。あと一発で10年間の公職追放です。闘争員が抱える痛みと恐怖をあなたも少しは理解できたでしょう?さあ、立ち上がって銃を手にして下さい」
といって小栗はまた銃口を中森に向けた。
「っくそ、言わせておけば………俺が銃を手にした途端、発砲するつもりだろうが、お前こそ立場をわきまえてないんじゃないのか?」
「どういうことです?」
「うしろを見てみな」
小栗は眉をひそめる。そして、中森に銃を向けたまま、ゆっくりと首を後ろにまわした。
そこには小栗の背中に銃口を向ける鳥居がいた。
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