第28話:師弟対面
デモ隊はそのまま新横浜駅を抜け、環状2号線から横浜上麻生線へと進んだ。そして東神奈川駅で第一京浜を右折し、横浜駅を右手に見ながらそのまま進むとやがてみなとみらいエリアが前方に見えて来た。そこまで来ると潮の香りがときおり鼻先をくすぐりはじめ、汽笛の音が埠頭の向こうからかすかに
土日はいつも買い物客で賑わいをみせている横浜駅前のポートサイド地区もその日に限っては人影もまばらだった。大勢のデモ隊が横浜駅を通過すると聞き、多くの買い物客が、闘争戦に巻き込まれることを恐れて外出を控えたのだ。
横浜駅前の運河をわたり、みなとみらいエリアに入ると、人通りはますます少なくなった。そして桜木町駅が近づくと、横浜ランドマークタワーの背後に地上32階地下2階建のビルが見えてくる。それが、みなとみらい線の馬車道駅に直結する横浜市庁舎ビルである。横浜港に注ぐ大岡川の河口に面し、みなとみらいの高層ビル群の一角を占めるその立地と優美で真新しい
桜木町駅にさしかかった時、デモ隊はすでに三万人以上にふくれあがっていた。時刻は午後3時になっている。桜木町駅を過ぎると、いよいよ横浜市庁舎ビルは目の前である。
やがて庁舎ビルに到着したデモ隊は、ビル1階のリバーサイドにめぐらされたデッキ広場に集結し、小栗を中心にして巨大な円陣を組んだ。十重二十重に密集する一団を、さらに数千人の野次馬が取り囲み、その中から行進のゴールを互いに
「横浜隊は全面降伏し、隊を解散しろー!」
「神奈川県と横浜市は横浜東北4区の多摩川県への独立を承認しろー!」
「多摩川県の独立と自由を保障しろー!」
次に小栗から参加者に対して、行進踏破への謝意を伝える簡単なスピーチが行われた後、デモ行進は形の上ではそこで一旦解散となった。——おそらく日本市場最大規模でありながら、武力衝突に巻き込まれることなく平和で活気に満ちたデモ行進を終えられたことに小栗も満足感を覚えていた。
そして——そこから先は、中森からの指示に従うなら、小栗だけが進むことを許される道である。もちろん小栗はその指示に従うことにした。ただし、鳥居だけは本人のたっての希望もあって、同道を認めた。
残りのデモ隊参加者たちはデッキ広場から庁舎へ突入する二人を盛大に見送った。
庁舎ビルの1階入口の自動ドアをくぐった小栗は紙袋を提げた鳥居と一緒に、まっすぐエスカレーターに向かって歩いた。もしかするとどこかにスナイパーが潜んでいる可能性もあるため、二人はすぐにでも発砲できるように腰に提げた銃に手を置きながら用心深く前進した。
庁舎ビルの中は、外の喧騒とはうってかわって不気味なまでに静まり返っていた。1階と2階は、一般店舗が入居する商業施設になっているが、店はすべて閉まっているし、もちろん一般客も見当たらない。小栗と鳥居は、互いに息をひそめ押し黙ったまま、1階から3階に通じる長いエスカレーターに身を預けた。そして市役所の入り口である3階に到着した。
3階に行けば受付があると聞いていたが、そこにも一切人影はなかった。その奥には厳重な入場ゲートが立ちはだかっている。どこかで入場パスを入手しないとそこから先に進むことはできない。
「こうなったら、ゲートを飛び越えていくしかないですね」と鳥居が舌打ちしながら小栗にそうもらすと、まるでその声に反応したかのように警備室から一人の初老の警備員が現れた。一瞬二人に緊張が走った。しかし闘争隊員ではなく本当にただの警備員だとわかり、背中の汗が一瞬で引くのを感じた。そして、その警備員は二人の表情の変化になどまるでどこ吹く風の様子で、ぶっきらぼうに入場パスを二人にそれぞれ渡し、18階の会議室で市長が待っているとだけ伝えると、また警備室に戻った。
二人は手渡されたパスで入場ゲートを通り、エレベーターで18階に登った。
そして小栗たちはエレベーターを降りると、指定された会議室にまっすぐむかいそのドアを開けた。まず鳥居が銃を構えながら部屋の中に入り、スナイパーや伏兵闘争隊員がいないか確認した。
「おいおい俺を誰だと思ってる?これでも元総務副大臣かつ現横浜市長の中森浩太だぞ。——狙撃隊を潜ませるなんてケチな真似しねえから安心して入って来い」
中森は真っ白い上下のスーツを身にまといながら、ロの字にレイアウトされた会議用長机の奥の窓際に背を向けたまま立っていた。
60人はゆうに収容できると思われる、広々とした明るいその会議室には、確かに中森一人だけしかいなかった。それでも二人はややぎこちない足取りで部屋の中に入った。
「日曜日だっていうのに、ご苦労なこった」
中森は二人の方へふりかえることなく窓の外を見下ろしている。窓の外には水陸両用バスが海から対岸の陸へちょうど上がろうとしていた。
やがてフウと息をもらしながら景色を一望した。
「どうだこの景色、すばらしいだろう。日本でこんなに優雅で開放的で機能的な市役所は他にない。まさに日本一の市役所にふさわしい眺めじゃないか。そう思わんか?小栗よ」
真正面にはランドマークタワーからクイーンズスクエアへ連なる白亜の高層ビル群、そして西側にはそのシルエットにあたかも呼応するように富士山を頂点として丹沢、大山山系へと連なる青い山容がうっすらと広がっている。
小栗は何も答えずに空いている長机の席に腰かけた。鳥居もその横に座った。
中森は、遠くの眺望から大岡川沿いのデッキ広場に視線を移し、苦々しい表情を浮かべる。
「これは今の日本の
とつぶやきながら怒りをはらんだ表情でゆっくりふりかえると、冷ややかな視線を二人に向けた。そして小栗たちから見ると正面の長机の上にどっかと腰を下ろした。小栗とはほぼ二年ぶりの対面である。
「さあ、話を聞こう。用件を言え」
中森はまるで怒りに震えるブルドッグのような野太い声で二人をひと睨みした。しかし、小栗は動揺することなく、淡々と要求を述べた。
「一つ、横浜隊の全面降伏、
二つ、今回の闘争戦における多摩川県側の物理的及び経済的損失に関わる賠償金の負担、
三つ、多摩川県の独立と横浜東北4区の合流承認、
四つ、中森浩太氏の横浜市長即時辞任……」
中森は内面のいらだちをアピールするかのように足をぶらぶらさせている。——そしておもむろに口を開いた。
「まず、一つ目だが、俺たちは降伏はしない。——あくまで対等の停戦だ」
小栗は身を乗り出して立ち上がる。
「あなたたちは完膚なきまでに叩きのめされたじゃないですか!」
「どんな手を使ったか知らんが、米軍が国内の闘争活動に介入するなんて許されるのか?あれさえなければ圧倒的に俺たちの勝利だったし、お前らだって見ただろう?新横浜大橋にいた連中の顔つきを。ああいう闘いに飢えた奴らが俺たち横浜隊にはまだまだ大勢いるんだよ。いいか、俺が本気になればお前らなんかひと捻りなんだぞ。ただ、米軍からの圧力で政府からも停戦を急ぐようにと指示が来ている。だからこうしてバリケードを解除してお前との話し合いに応じてるんだ、わかってるのか?」
中森は口角泡を飛ばす剣幕でまくし立てるが、小栗は平然と聞いている。
「その割には、日曜日とはいえ、このビルにはあなた以外誰もいないようです。もうすっかり職員からの信望を失ったんじゃないですか?」
「ふざけるな、今日は日曜だろ。——それにお前らが押し寄せるって言うから安全面を考慮して休日出勤もするなってわざわざ俺がみんなに通知したんだ。——いずれにせよ、横浜市のために戦ってくれた前途ある若者たちを強制離脱扱いにするわけにはいかない。一般市民に罪はないだろう?」
「あなたらしくない殊勝なセリフですね」
中森はふんと鼻で笑う。
「わかりました。そこは同感です。折れましょう。対等停戦で結構です」
そういって小栗は腰を下ろした。
一方の中森は腕組みをしたままはすに構える。
「二点目だが、負けたわけでもないのに賠償金の負担はできん」
小栗も眉をひそめる。
「多摩川県の財政は瀕死の状態です。たくさんの制度やインフラをいち早く復旧させるためにも、信用力を回復するためにも復興資金はどうしても必要なんです!」
「それはわかるが、だがもとをたどれば闘いをけしかけたのはお前らの方だ。俺隊横浜側も多大の損害をこうむったんだ。喧嘩両成敗が順当だろ?ただ——名目を変えて支援金とするなら考えてもいい。たとえば特別低金利の融資になら応じよう」
「それでは不十分です。我々はロックダウンの影響もあって、街そのもの機能が破壊された。あなたたちはの被害とはくらべものになりません。そもそもあのロックダウンは不当ですよ。裁判でも争うつもりです」
「それなら神奈川県に言ってくれ」
「ええ、もちろん、まずは神奈川県です。しかし、その伏線を描いたのはすべてあなたたち横浜市だ」そこで小栗は一息おく。「でも——まあ、いいでしょう。この件は、もう少し話せば妥協点を見出せるかもしれないので、後回しにしましょう」
しかし、中森は腕を組んだままなおもしかめ面をくずさない。
「三つ目は、絶対駄目だ。お前らこそ神奈川県に復帰しろ。そうすれば復興に必要な予算もすぐにつけられる。俺も協力する。どうしてもっていうなら、独立すればいい。だが川崎市だけでやれ。横浜市からの
「都筑、港北、青葉、緑の東北エリア4区の多摩川県への合流は、いずれも二年前の住民投票の結果で決まったことですよ。投票結果を尊重せずになにが民主主義ですか?」
「今とあの時では事情が違う。多摩川県なんて、ほんの一週間前まで風前の
「新しいことをする以上それなりの試行錯誤はつきものです。でもすぐに神奈川県のレベルに追いつきますよ。多摩川県民は意識も高いし、団結も強固なのでそのうちきっと神奈川県よりもずっと良くなります。とにかく川崎市でいる限り、あなたと佐伯さんは必ずまた市政に介入し、川崎市の乗っ取りを企むでしょう。それに我々には横浜4区だけでなく東京都西南エリアの仲間もいます。彼らと一緒に多摩川県としてもう一度独立することは我々にとって悲願であり、最低限の条件です!」
中森は、だったら好きにしろ,という顔でそっぽをむく。
「もちろん四つ目にも応じられない。論外だ。俺は政治家だ。俺自身の進退は俺自身が決める。だれの
中森はくるりと反転しながら長机から下りると、立ったまま顎をしゃくりあげた。
「以上、これで交渉は終わりだ」
小栗も憤然と立ち上がる。
「そりゃあ、横暴です。せっかく宮前平からはるばる大勢で来たんですから、ぜひ要求を認めていただかないと困ります!」
中森は顔色を紅潮させ、
「だったら交渉決裂だ。返答次第では、すぐにでも海援部隊に出撃を命じ、デッキ広場に集まった連中に大岡川から総攻撃をしかけることだってできるんだ!」と吠えながら机を叩いた。
海援部隊?——どうせ口からの出まかせにきまってるとおもったが、もし今ほんとうにモーターボートや水上バイクにまたがる水上闘争隊が海上に繰り出して一斉に大岡川河口から攻撃を行ったらデッキ広場に密集する味方のデモ隊は大混乱に陥るだろう。
その気になればなんでもやりかねない人間だ。ほんとうなら、やれるもんならやってみろ!と
「では、仕方ありません」
小栗は何食わぬ顔でそういうと、足元に置いていた紙袋を長机の上においた。
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