第27話:敵中突破
小栗本人にも各方面からたくさんのメールが寄せられた。あれほど県債の引き受けを渋っていた金融機関からもまるで手のひらを返したように祝勝メッセージや花が続々送られた。さらに地元の農協や政治団体、さらに労働組合や事業協同組合、はたまた見たことも会ったこともない宗教団体の教祖からも称賛と激励のメールがわんさか来る。また、昨日まで横浜市への後方支援をしていたはずの吉岡都知事や内閣の幹事長からもあけすけな祝電が届いた。そうしたいかにも日和見的でしらじらしいメッセージとは対照的に、もちろん川崎隊の勝利を心から祝福する一般市民や友人、知人からのメールもたくさんあった。
その中でも小栗にとって一番嬉しかったのが、高校の応援部OB一同からのメールである。その祝勝メッセージには元広報部長の水野里美のメールアドレスもCC欄に記載されていた。ーー水野は、やはりあの日の学ラン姿の一年生だったのだ。
小栗はすぐにOB会への返信を打った。その後水野個人にも返信を書いた。
『水野さん、ご無沙汰してます。貴職の休職処分についてですが、再度調査を行った結果、内通に関する貴方への嫌疑はすべて誤解であることがわかりました。よって休職処分は来週から解除します。すべては私の早合点でした。心から謝ります。すみません。もちろん当然のことながら待遇はすべて以前同様もしくはそれ以上のポジションを用意させていただきます。どうか今後も多摩川県のために力をお貸しください。以上/小栗』
メールの送信ボタンを押した後、小栗は立ち上がって外出の支度をはじめた。——ようやく喉のつかえが取れたような気がした。
——気持ちのいい日曜日の朝だった。すでに玄関前の広場にはたくさんの人々が集まっている。しかし大多数は川崎隊の闘争隊員だった。一昨日までの闘争戦の興奮が各隊員ともまださめやらぬ様子のせいか、ものものしい緊張感がそこかしこに漂っていた。そのため、一般市民にはやや近よりがたかったのかもしれない。
とはいえ、デモ隊は予定通り午前9時に宮前庁舎を出発した。多くの家族連れにも見送られながら、先頭に多摩川県の旗や多摩川県独立貫き隊の隊旗を掲げ、約五千人の参加者を付き従えての堂々たる行進の始まりである。
気がつくといつのまにか多くの一般市民の姿があった。大多数は、工場の作業着を着た中小企業の従業員、病院や養護施設の看護師、そしてサラリーマンや専業主婦などいずれも多摩川沿いで暮らす人々である。さらに草野球チームやフットサルチーム、楽器を背負った音大生やバンド仲間、バードウォッチャーや釣り仲間たち、ランニングウェア姿のジョギングチーム、犬の散歩をする夫婦連れにラクロススティックを担いだ女子大生やコスプレ集団など、多摩川の岸辺をこよなく愛する人々も行進に加わっていた。
デモ隊はまっすぐ南を目指した。富士見坂を下り、宮前平駅を越え、有馬を過ぎ、横浜市との境界線を超えると、県外というより敵地なのだが、もはや緊張した様子はまったくない。むしろさらに歓迎ムードがヒートアップし、多摩川県の元県民である都筑区、青葉区、港北区の人々が続々一団に合流し始めた。
その多くは、デモ隊の参加者にとって、かつて前線で一緒に苦楽を共にした元闘争隊員や同じ行政区域の市民サービス向上に共に力を尽くした多くの元同僚である。もちろん、その中にはふつうの市民、すなわち掃除夫やベビーカーを押すママ友たちやオタク系のボサボ頭の若者もいた。手作りのプラカードや横断幕もあちらこちらに見ることができる。
デモ行進はあたかも多摩川の流れのようにすべてを飲み込み、すべてを洗い流しながら一つになってなごやかに進んだ。——その様子を見ていると、鳥居はなぜこうして小栗が徒歩での行進を選んだのかわかるような気がした。
やがて前方に鶴見川が近づいてきた。町田を源流とし横浜市鶴見区から東京湾に注ぐ全長42.5kmの一級河川である。とはいえ同じ一級水系の多摩川や相模原川にくらべても流域面積ははるかに小さい。しかしこの新横浜では、大きくくの字に曲がるため遊水池も含めた河川区域面積は非常に広くなっている。ゆえに長さ300メートルを超える橋が数本架かっているが、小栗たちはすでに偵察用ドローンからの報告により、すべての橋が横浜隊によって朝から全面封鎖されていることを知っていた。また最も大きな橋の一つである新横浜大橋には大規模な横浜隊のバリケードが築かれていることも承知していた。それでもデモ隊はあえて新横浜大橋に向かって進むことにした。そのため続々と各橋から横浜隊の隊員が新横浜大橋に集結しているとの情報が入った。とはいえ、その数は1500ほどである。ほんの一週間前までは日本最大最強の闘争隊として30,000近い隊員を誇っていたことを考えれば、あわれな
しかしほんの二日前にあれほど
牧野は隊を二方、もしくは三方にわけ、左右の近接する橋を別動隊でそれぞれ同時に攻略し、そのまま敵の背後から襲い、正面の本隊とで挟み撃ちにする作戦を小栗に進言した。誰が考えてもそれが最も現実的な策のようにおもわれた。実際横浜隊は守備隊のほぼすべてを新横浜大橋に集結させており、他の橋に人員をまわす余裕などないはずだった。——しかし小栗は首を縦にふらなかった。
「闘争戦の犠牲者は敵味方ともにこれ以上は出したくない」というのが理由だった。
「ではどうするんです?」鳥居にも犠牲者は最小限にとどめたい思いがあるがこれといった妙案はなかった。
「オレが乗り込む。話せばきっとわかってくれる」
「無茶です!」
ここで小栗がゴム弾に倒れ、戦線離脱となれば、間違いなく川崎隊も多摩川県も壊乱し、いままでの苦労が一瞬で水の泡となる。万が一、被弾を免れ得たとしても捕らえられて人質にでもなれば、それこそ敵の思う壺だ。小栗の存在価値を誰よりも理解している鳥居としてはなにがなんでも止めなければならなかった。
「ならば、私が行きます」
小栗はそう言われて、言葉に詰まった。悔しいが鳥居の提案を却下するだけの理由が見つけられない。——渋々その提案を受け入れた。
鳥居は白いハンカチに『使者』と書いて高々と両手でかかげた。そしてそのまま敵のバリケードにむかって歩き始める。しかし、すぐに
「これ以上は無理だな。一気に正面から突破しようぜ!」と菅原が小栗の耳元でささやく。その隣で牧野もやむを得まいという様子でうなずいている。味方の多くの隊員は横浜隊の
「仕方ない、突入しよう——」
と苦渋の表情で総員への攻撃開始準備と一般市民への一時退避を指示した。
その様子を見て敵もシールドをすきまなく道幅いっぱいにめぐらし、いわゆる鶴翼の陣形で迎撃態勢を整える。
「よし、最後にひと暴れしてやるか!」と小栗は菅原と牧野に対して気炎をあげた。しかし、すぐに小栗の体は、菅原の部下たちの手によって両脇を抱え上げられ、後方にズルズルと運ばれてしまった。
「悪く思わんでくれよ、大隊長。あとは俺たちに任せてくれ!」と菅原は前方の敵を見据えたままそう叫び、愛用のメガホンを手に取った。
「攻撃準備!」
——ライオットシールドを前方に構えた味方の突入隊の一団が体勢を低くしてじりじりと間合いをつめる。その一方で両脇を固めるライフル隊の精鋭が一斉に射撃体勢を取った。敵陣との距離はすでに100メートルを切っている。
それと同時に攻撃用ドローン300機が
また牧野隊はすでに新横浜大橋の上流600メートルのところに架かる亀甲橋へ駆け足で向かっている。若者中心に構成された牧野隊は健脚が多い。若さにまかせ、橋を渡り、対岸の日産スタジアムを右手に見ながら敵の横腹を一気に突く作戦だ。
その時、敵の守備隊でざわめきが起きた。一人の男が戦列の前に飛び出し、隊員に対して大きく手を広げながら大声で叫んでいる。
「かいほー!」
声の主は元南多摩市長の藤浪だった。
藤浪は小栗とは大学のゼミの同窓であり、その縁で学生時代に中森のところでバイトをしていたこともある。その後、市議会議員に立候補し、市議を二期つとめたあと、川崎市長だった最戸に請われ川崎市多摩区長となり、そのまま多摩川県の発足とともに南多摩川市長に就任したが、一ヶ月前の南多摩市陥落により市長を辞任していた。
その藤浪がなぜ横浜隊の中にいるかというと、
その藤浪が大声を張り上げながら、道をあけるように守備隊を両脇に寄せている。
その騒ぎを聞きつけた小栗はいつのまにか隊の最前列に立ってその様子を見守っていた。
「藤浪!」
藤浪は小栗にむかって大きく手をふる。
「小栗、バリケードを開放する!攻撃はやめてくれ!」
するとあたかもモーゼの
小栗はまわりの制止をふりきるようにズカズカと前へ歩み始めた。鳥居もあわてて小栗には続き、さらに菅野や突入隊もゾロゾロとその後を追った。
藤浪は万が一の偶発事故を危惧して、横浜隊の守備隊全員の銃を地面に置かせてさらに回れ右させた。
つまり道幅いっぱいに立錐の余地もないほどに立ちならぶ後ろ向きの人垣の中央にポッカリ空いた穴に向かって小栗たちはズンズン一列になって進んだ。
そして敵陣のすぐ前まで来て小栗は足を止めた。小栗のすぐ横には守備隊の暴発を体を張って防ごうとすする藤浪がいる。本音をいえばその場で藤浪の体を抱きしめ友情への感謝を示したかったが、互いの部下の面前でそれを行えばきっと藤浪の面目に関わるだろうとおもい、むしろことさらぶっきらぼうに話しかけた。
「中森さんの指示か?」
「ああ、そうだ」
「どういうつもりだ?」
「中森さんからの伝言をつたえる。『馬車道で待つ。一人で来い』」以上だ」
それだけ聞くと小栗は大きくうなずいた。そして、人垣の中へ再び大股で歩きはじめ、敵陣を文字通り中央突破した。
敵陣を無事通り抜けた後も、小栗はペースを緩めることなく、前方にそびえるランドマークタワーを目指して歩き続けた。そして
「たぶん、罠だろうな……」と隣を歩く鳥居につぶやいた。
「ええ、罠でしょう——でも私はついて行きますよ」
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