第26話:示威行進
大祝勝会は宮前庁舎館内で盛大に行われた。それは、川崎隊の守備隊員にとっては久々に籠城戦の緊張から解き放たれ、心ゆくまで仲間たちと酔いしれることのできる機会だった。
さらに相模原、横須賀、蒲田隊からの同盟隊員も大勢参加していたため、おそらく五千人近い隊員が一堂に集う前代未聞の大宴会となった。館内の一階および二階のいたるところで車座になって思い思いに酒を
こうして一人一人と顔を合わせるのは、日々執務室で大隊長としての作戦業務と県知事代行業務に忙殺され続けた小栗にとって実は初めてのことだった。それまで漠然と隊員の多くは若い男性によって占められているとおもっていたが、実際はだいぶ違っていた。全体の四割近くは女性が占めていたのだ。それに男性の場合、確かに一番多いのは10代後半と20代の若者層なのだが、その次に多かったのが60代、70代の熟年層だった。そしてむしろ彼らの方が若者以上に生き生きとした表情をしていた。また最高齢者は84歳の男性だった。
女性の場合も20代を中心とする若者層が最多なのだが、それとほぼ同じくらい40代、50代の脱子育て世代もいた。また外国人の姿も少数だがみとめることができた。
彼らの一人一人におそらく言葉では言い表せないような苦労や困難もあったはずだが、小栗に対しては愚痴めいた発言はほとんど聞かれず、代わりに耳にしたのはほとんどが小栗への感謝の言葉だった。彼らは、男女を問わず老いも若きも空虚で現実感の乏しい毎日につくづく
ひととおり各隊員との対話が終わると、小栗は米軍からの支援物資の中に、大型冷凍庫ごと供給された牛肉やソーセージが大量にあったことを思い出した。そして何人かの部下を集めて、庁舎の正面入り口前のアプローチでバーベキューを始め、隊員たちに自らふるまいはじめた。すると、まるでその匂いにつられるかのようにロックダウンの発令以来ほぼ五日ぶりに自宅への帰還の途についていた一般市民も小栗のまわりに集まり始めた。そのため、バーベキューはあたかも屋台のような活況を呈し、その様子はさながら遅れてやってきた夏祭りを
祝勝会は夜中過ぎまで続いたが、やがて皆、日中の闘争戦の疲れと酔いのため、あたりかまわず眠りに落ちた。足の踏み場もないほどに折り重なった
翌日は、小栗の配慮で一部の隊員以外はほぼ全員に休暇が与えられたので、一晩中庁舎を埋め尽くした人波も朝になると潮が引くように三々五々それぞれの家に帰っていった。
——不思議なもので、午前8時半になると小栗は執務室にいた。夜更け過ぎには赤ら顔にネクタイ鉢巻き姿で正体不明になるまでヘベレケになっていた小栗だが、長年のサラリーマン生活の習い性なのか、夜明けとともにすっかり酔いは覚め、就業開始にあわせてこうしていつも通りのネクタイ姿で自席に座っている。
そこへヨレヨレシャツに髪の毛ボサボサの鳥居が興奮した様子で飛び込んできた。
「佐伯涼子が、10時から会見を開くらしいです!どうやら、多摩川県の独立を正式に認めるみたいです。朝一番で神奈川県庁で局長級以上会議が招集され、川崎、幸、中原、高津、多摩、麻生のすべてを多摩川に返還することが決議されたって聞きました。それとさっき藤沢湘南太陽隊が横浜との連合解消を発表しましたよ」
「相模原大連合の動きが活発化して、相模県の独立への機運がにわかに高まったから火消しに躍起になってるんだ。その上アメリカ政府まで敵に回せば、国際問題に発展するからな」
「米軍サマサマですね」
「いつの時代もこの国は外圧がないと何もかわらん」
「これで横浜は孤立したといっていいでしょう。ようやく各隊との休闘調停に入れますね」
しかし小栗は腕を組んで険しい表情をする。
「いや、あの人は調停になんて応じないよ。一気にかたをつける。横浜ベイマリノス隊を全面降伏に追い込む」
「どうするんです?」
「決まってるじゃないか——横浜市役所に乗り込むんだ。中森さんに退陣を要求する!」
鳥居は子供のように無邪気に喜んだ。
「でも、中森さんは非闘争員ですよ」
小栗はニヤッと笑う。そしてタブレットを開き、とあるスプレッドシートを見せた。そこにあったのは堀田の残した極秘開発リストである。その一つを小栗は黙って指さした——。
鳥居は驚きの表情を浮かべながらも大きくうなずいた。
「堀田さん、こんなにいろいろものを開発してたんですね……。早速情報システム部と相談します」
「頼む」
鳥居は小さくうなずき、いったん体を反転させると出口に向かいかけたが、すぐにまた振り返った。
「——桜木町への移動はヘリコプターをチャーターする手もありますが、やはり車でしょうね。横須賀隊、相模原連合にも加勢をお願いして移動手段を確保したいと思いますが……隊員はどの程度同行させましょうか?」
小栗は眉をひそめ、決然として窓の向こうに頭の先だけ小さく見える横浜ランドマークタワーを指さす。
「あそこまで徒歩で行こう。最後はデモ隊らしく堂々と徒歩で敵陣を突破しようじゃないか!参加者は……来たいやつは全員来ればいい」
鳥居は一瞬呆気に取られながらもすぐに小栗の意図を理解した。
「——どうせなら、隊員だけでなく、一般市民にも参加を呼びかけてはいかがでしょう。私に任せていただければ、文案は私の方で作ります」
「わかった、頼む。リリースの方法は広報部長に相談して進めてくれ」
多摩川県の広報部長は水野が休職となったあとしばらくは小笠原が代行していたが、麻生市の広報室長だった宝来が同市の陥落とともに失職したため、その後しばらくして小栗は宝来を水野の後任として採用していた。
「わかりました、宝来さんに相談します」
「おい」小栗は鳥居を呼び止める。「その前に顔洗ってこいよ」
鳥居は照れ臭そうにボサボサの頭を押さえながらも嬉々として執務室を飛び出した。
『……横浜市は東京都、神奈川県の電力需要の約半分を供給するための火力発電所を川崎エリアに一局集中しようとしています。また将来的に多摩川沿岸にはゴミの一大集積地を作ろうとしています。さらに横浜藤沢エリアに巨大カジノ、アミューズメント施設を建設するための労働者を全国から川崎地区に集めようとしているのです。外国人労働者も大量に受け入れる計画です。今でこそ旧多摩川県市区に対しては当面の
鳥居が作成したこのメッセージは、小栗本人による力強いスピーチ動画としてその日の昼過ぎに多摩川県のホームページやSNSで一斉に流された。そして、翌日の午前9時に宮前平庁舎を出発し、一路横浜馬車道にある横浜市庁舎を目指す一大デモ行進の決行も同時に告知された。
反響は予想をはるかに超えるものだった。その日のうちに100万件以上のアクセスと、二日酔いの職員では処理仕切れないほどの電話やメールでの問い合わせが殺到したのだ。
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