第20話:絶体絶命

「もうダメなんでしょうか?」

 小栗はゆっくりと目を開ける。

「いつかきっと、って希望を抱きながら、そしてそれが自分たちの正義だと信じてみんなもオレ自身もだましだましここまできたが、結局、抜き差しならないところへみんなを追いつめた」

「それでもみんなまだあきらめてませんよ。だってSNSやネットでは大半が僕らに対して同情的だし、むしろ日に日に応援熱が高まってるぐらいなんですから」

 といって鳥居はスマホのツイッター画面を見せるが、小栗は伏目がちのまま静かに首を横にふった。

「でもなにも起こらない。ヴァーチャルな世界と現実はちがうんだ。現実では行動でしか世界を変えられないってことなんだよ。SNSの限界だ。ああ、風穴さえ、どこかにポッカリ、ひとつだけでいいから風穴が開いたら状況は変わるはずなのに。——どうしても開かない」

「榊原さんも堀田さんも小笠原さんもみんな、風穴を開けようと、必死に行動してくれたじゃないですか——」

「——でも駄目だった。もしかしたらあと一押しなのかもしれないが……どこを押せばいいかもわからん」

「もう空いているかもしれませんよ。だって、こんなに頑張っているし、こんなにたくさんの人から支持を受けてるんですから」

 といって鳥居は小栗を勇気づけようと再び公式ツイッターサイトの画面を見せたが、小栗はチラリとしか見ない。

「——ひょっとしたら、それもただの幻想なのかもしれない。オレたち、もしかしたらネットやAIに踊らされてるだけだったりしてな」

 そう自嘲じちょう気味にいいながら小栗は、両手で最近さらに薄くなってきた頭髪をかきむしった。


「もしネットのニュースや投稿がぜんぶフェイクだとしたら——僕らはただのアホですね。本多って人が言うように、歴史の流れにあらがっている僕らのことを、ほんとうはみんな、ひややかに見てるのかもしれません。——もう、そろそろ潮時しおどきなんでしょうか?」

 そこで小栗は腹をくくったような表情を見せた。

「そうだな、明日一日、もう一度だけジタバタしてみよう。無駄むだかもしれないが、座間や横須賀、あきる野へ支援を要請してみてくれ。それで駄目ならスパッとあきらめよう。降伏だ!」

 鳥居は驚きの中に悔しさと安堵あんどをにじませたような複雑な表情でうなずいた。


 すると、小栗のスマホが電話の着信を知らせた。発信先は自宅となっている。てっきり妻の葵からだろうと思いこんで小栗はスマホに耳をあてた。

「もしもし」

「オッス」

 声の主は、娘の有紗だった。

「——オッス」

「どう、元気?」

「ああ——そっちはどうだ?」心なしか元気がないように感じられた。

「大丈夫、なんとかやってる」

 四十を過ぎてはじめてもうけた子供だけにちょっとでも不安の種が脳裏をよぎると気になってしょうがない。

「——そうか。学校、楽しいか?」

「うん、まあまあ」

「ほ、ほんとうか?」

「うん」

「いやなこととか、ないか?」

 有紗は父親のしつこさにいら立ちをかくそうとしない。

「大丈夫だって!——あのさあ、闘いが終わったら、温泉、行こうよ」

「——うん、温泉か?そうだな。いいな、温泉」

「ぜったいだよ」

「ああ」

「じゃあ、ママにかわるね」

「うん」

 やや名残惜しかったが、とりあえずいら立ちまぎれとはいえ娘の声に張りがもどったことにはホッとしていた。

「もしもし」

 葵である。葵とは三十代後半で横浜市のイベントで知り合い、今どきの若い女性にはちょっとめずらしい奥ゆかしさと優しさに惹かれ、結婚した。小栗に対してもどちらかというと物静かでしかも歳も九つ離れていたので、新婚の頃は小栗に対してもずっと敬語だった。結婚して十年、さすがに敬語は抜けたもののあいも変わらぬ思慮深さと年とともにめざましくなるたくましさには頭が下がる。——とくにこの二年間の目まぐるしく打ちよせる過酷な試練の期間は、葵抜きでは決して乗り切れなかったと今さらながらにおもうのである。


「ご飯、食べてる?」

「ああ、どうにか、やってる——」心配させまいと嘘をついた。

「体は、大丈夫?」

「ああ、心配ない。——それより有紗が温泉に行きたいっていうから、来週の土日に温泉予約しておくよ」

「えっ、休みが取れそうなの?」

「うん、大丈夫だとおもう。——いや、必ず休みを取るから、もうしばらく、家のこと、頼むな」

 葵は正直なところ半信半疑だったが、夫の覚悟を察してあえて不信感をおくびに出すようなことはせず、

「うん、わかりました」そういってもう一度有紗にかわろうとした。しかし、有紗はすでにベッドに入っていた。心なしか元気がなく感じられたのも単に眠たかっただけらしい。そのあと二人は、有紗の学校での最近の様子などを話してから電話を切った。


 小栗が電話をしている間、鳥居はスマホでLINEをしていた。電話が終わったあともまだスマホの画面を見つめ、なんどかうれしそうな笑みをうかべていた。

「どうした、いいことでもあったか?」

「いや、たいしたことないです」

 そういって鳥居はスマホの画面を逆さまにしてテーブルの上に置く。

「ひょっとして——彼女か?」

 小栗の冷やかしに鳥居は一瞬ティーンエージャーのように顔を赤らめた。

「いえいえ、そんなんじゃないです。——母です」

「ほんとか?」

「ほんとですよ」

「別に隠す必要はないぞ」

「隠してません」

 鳥居はにわかにまじめな表情になってまっすぐ小栗の顔を見た。

「実は、私、私生児なんです——。母には子供の頃から苦労をかけっぱなしで、しかも重い病気にかかっていて、ほんとは手術が必要なんですけど、いろいろ事情があって、受けられないんです。だから——元気な様子で返信してくれるとホッとするんです」

 小栗は、しんみりとうなずく。

「そうか——お袋さんか、いいもんだな」

「す、すみません、まだご不幸から日も浅いのに思い出させるようなことを言ってしまって」

「いや、気にしなくていい。うちの母親は寿命だ。けど君のところはまだお若いだろうし、きっとまだまだやり残した親孝行もあるだろう。——大事にしなきゃな」

 鳥居は素直に「ええ」とうなずいた。


 その時、二人ともかすかな機械音を耳にした。そしてその音は窓の外から確実に自分たちの方へ近づいてくるようだった。

「いやな予感がします」

「ドローンか?」

 一瞬、鳥居は息を止めて耳をすました。

「いえ、ヘリです。しかもそうとうデカイやつです」

 といって鳥居は窓ぎわにかけよる。エンジン音はますます大きくなり、それに伴って廊下や階段も、足早に行き交う隊員の足音で騒がしくなってきた。


 やがてそのエンジン音は、頭の上で急旋回音と混じりながら最大音に達したあと、少しづつ小さくなってきた。


「やばいです。どうやら、庁舎の屋上に着陸したみたいですよ」

 小栗もとうとう来るべきものがきたという表情でゴクリと息をのんだ。

「逃げますか?」

 といって鳥居は横目で小栗の顔を見た。小栗はイスに座ったまま腰にげた銃に手を当てがいながら首を横に振る。

「アラート4——拳銃携帯指示を館内の全隊員に発令してくれ」

「わかりました」

 鳥居はすぐに執務机の脇の壁に取り付けられたタッチパネルの前に立ち、片手で手際よく操作した。


 すぐにアラート4を告げるアナウンスが全館に流れる。


 やがてエンジン音はしなくなるが、代わりに人々の怒声と物をはげしく叩く音が部屋の外から聞こえてきた。どうやら屋上通用口をはさんでの押し問答が始まったようだ。鳥居は部屋の中から扉に耳をあてながらじっと外の様子をうかがっている。


 と、しばらくして、一つの俊敏な足音が屋上階段から廊下を伝って近づいてきた。

 ドンドン!

 ノックの主は若い女性隊員だった。

 鳥居は執務室の扉を開けた。女性隊員の顔色は血相けっそうをかえている。その表情を見ただけでただごとでないことだけは、二人ともすぐに理解できた。


「た、大変です。屋上に人がいます!」

「誰ですか?」

 鳥居が冷静に問いかける。

「それが——」

「誰なんです?」

「あの、っていうか——」

「誰なんだ!」

 たまらず小栗が立ち上がってさけんだ。

「ドアを開けろと言ってるみたいなんです……けど……」

「だから、誰なんだ!」

 女性隊員は半ベソをかいている。

「が、外人なんです」

「外人!?」

 二人の声は期せずしてハモった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る