第19話:完全封鎖

 宮前庁舎エリアの全面封鎖が完了してから三日目の夜。一日中食料工面と作戦伝令でんれいに走り回った鳥居は、青白い顔を浮かべて小栗の待つ県知事代行執務室に戻ってきた。その第一声にも力がない。

「庁舎の食料在庫も尽きました」

 いつも通りプロテクターの下にネクタイ姿の小栗は、深いため息をついた後、自分の行為をいましめるような表情を浮かべながら執務机から腰を上げ、鳥居の方へ歩みよる。

「俺たちは、どうにでもなるが、前線の守備隊はたまらんな」

 鳥居は疲労困憊ひろうこんぱいした様子で背中から応接ソファに倒れこむ。小栗もいつものイスに腰を下ろした。

「なんとかスーパーやコンビニに置き去りにされた在庫を前線に配布しましたが、あと二日で町中の食料が底をつくでしょうね」

 小栗は眉間にしわを寄せた。

「そうか……スーパーとコンビニにはちゃんと代金を払っておいてくれ。俺たちは盗賊とうぞくじゃないんだから……」

「もちろんですよ、でも県の口座も市の口座もそろそろ払底ふっていしそうです。県債けんさいの発行も考えていますが、果たして引き受け手がいるかどうか……。駄目ならクラウドファンドに頼るしかないです」

 小栗は姿勢を正してあらためて鳥居の顔を見る。

「悪いな、君には苦労ばかりかけて」

「いえ、このくらいは大丈夫です。——でも佐伯さんもえげつないですね」といって鳥居はつとめて明るい顔をした。

「ああ、まったくだ。むかしは可愛かったけどなあ。セクシーキャスターっていわれて人気もあったよ」と小栗も表情を緩める。

「へえ、今の様子からは想像もつかないですけどねえ。こんなことをしてもあの人にはなんのメリットもないじゃないですか——そんなに中森さんが怖いんですかね」

「そりゃそうだろ、俺だってあの人は怖い。それと吉岡さんや政府からの圧力もあるんだとおもうぜ。まあ、それも本人次第でいくらでもやりすごそうと思えばやりすごせるんだろうが、きっと根が残酷なんだ。——まったくセクシーでもなんでもねえ。ただのひでえおばさんだ」

 鳥居は怒った表情のまま笑い声を立てた。

「ああ、もうあらためて腹が立ってきたら、無性に腹が減ってきましたよ」

「ああ、オレもだ。——カップヌードルのシーフード味が食いてえ」

「僕は吉牛を食いたいです」

 小栗は声を立てて笑う。

「この籠城戦が終わったらオレがおごってやるよ」

「あ、ありがとうございます。大盛でお願いします」

 小栗はだまってうなずく

「でもその時、僕たちはどういう境遇で吉牛を食べてるんでしょうね?」

 小栗は表情を一瞬曇らせる。

「わからん、考えてもわからんもんは考えてもしょうがねえだろ。それにオレは牛丼は嫌いなんだ。鳥居くん、そんときは一人で行ってくれ」

 鳥居は首を前に伸ばしておどけた表情をする。

「それにしてもこんなに弱ってるところに、あの本多って人や特殊部隊みたいなのが来たら、もう、イチコロですね——。あーあのときのあの目は、思い出すだけで涙がでてきそうです。もう、ほんとうに殺されるかとおもいましたよ」

 小栗も本多の顔を思い浮かべてながら、緊張した表情で激しくうなずく。

「あーあ、小笠原さんがいたらな。いまごろなにやってんだろ?メールとかないんですか?」

「ないよ」

 小栗の返答はにべもない。

「やっぱり、小笠原さんって、ただのスパイだったんでしょうか?」

「彼女には彼女の事情があったんだろ。もういちど彼女の履歴書を見返してみたらストラテジックライフコンサルの名前があったよ。大学卒業と同時に一年だけそこへ就職してたみたいだ。正直に履歴書に書いてあるぐらいだから、だますつもりは少なくとも最初はなかったかもしれないな。でも本多からは最初からなんらかの意を受けていたんだろ」

「なんかただならぬ関係みたいでしたね。やっぱり小笠原さんも女だったんですね」

「さあ、彼女には彼女なりのやむにやまれない事情や義理みたいなものがあったのかもしれない。まあ、しかたないさ、だまされた方も悪いんだ」

「なにかご存知だったんですか?」

「——いや、確証はなかった。けど、このまえの盗聴器事件のとき、彼女は広報部の水野さんを暗に犯人だって示唆したけど、水野さんは、今思い返してみるとやっぱりシロだった。だとしたら、もしかすると犯人は小笠原くんだったのかな?っておもったよ。でもオレ自身、信じたくなかったし、その後の彼女の活躍はほんとうに献身的で八面六臂はちめんろっぴだったから、いつしかその疑問さえわすれたつもりになってたんだな」

「ほんとうは本多って人に仲裁役を頼もうとしたのかもしれないし、裏切るつもりもなかったのかもしれませんね」

「ああ、もしほんとうに裏切るなら本多が言ってたように、あの場に顔を出す理由がないもんな。やっぱり俺たちを助けたかったんだろ。内面には、きっとそうとうな葛藤かっとうもあっただろうとおもうよ」

「だったら、相談してほしかったです。仲間なんですから」

「まあ、言ってもしかたない。小笠原くんは小笠原くんで新しい人生を歩んでもらうしかないんだ」

 そこで、テーブルに置いてある鳥居のスマホのメール着信音が鳴った。鳥居はスマホを取り上げて画面を見る。そして少し明るい表情を見せた。

「弁護士の支倉はせくらからです。横浜地裁にかけあって、仮処分を認めさせたそうです。ロックダウンが解除されます」

「おお!やっとめしにありつけるか!」

 小栗はひさしぶりに大きな声を上げた。

「事象そのものは多摩川県内で発生していますが、訴えられた佐伯さんが横浜市民であることをたてにして力づくで横浜地裁に受理させたようです」

「そうか、すごいな。——こんどちゃんとお礼しないとな。支倉さんにはよろしく言っておいてくれ」

 鳥居は返信を打ちながらだまってうなずく。そして送信ボタンを押したあとに顔をあげると、

「よかったですね」といってニッコリわらった。しかし小栗の表情ははぎこちない。

「さあ、いくら一般市民の往来が認められるようになっても我々がのこのこバリケードの外に出て行くわけにもいかないし、こんな物騒なところにわざわざ食料を差し入れに来てくれる奇特きとくな人間もきっといないだろう」

 鳥居も口をへの字にして考え込む。

「——なら、休暇を取ればいいんじゃないです?一時離脱休暇を。みんなまだ消化し切ってないでしょうし、休暇中は非闘争員扱いになるし、だれも手だしできないですよ。いっそのこと一週間ぐらい全員で休暇をとりませんか?」

「そりゃあいいアイディアだ」といいながら、小栗の顔はさえない。その表情を見て鳥居も、

「でも、ここで休暇をとったら誰も前線に戻ろうなんて思わなくなるでしょうね」といって鼻で笑う。

「ああ、だれも戻らないだろう。きっとそのまま降伏、終戦だ」

「そうですね……」と一旦思案顔に戻ったが、すぐにまた明るい表情を見せた。

「——だったら、ここを抜け出して敵の本陣に殴り込みをかけるっていうのはどうです?一か八かで中森さんと刺し違えるんです!」

「ばか、どうやってここを抜け出すんだ?」

「そうですよね、ヘリコプターでもチャーターできればいいんですけどね。……なんかオレ、腹が減って自分でも何言ってんだかわかんなくなってきちゃったな」

「——会話に指向性がないな。君らしくもない、それに中森さんは非闘争員だ。グテングテンになってきてるぞ」

「ええ、酩酊めいていしてますね。でもこのままだとジリひんですよ」

 小栗は目をつぶり腕を組んだままだまりこむ。

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