第17話:疾風迅雷

 小栗は、頭上から自分を睥睨へいげいする男の顔を懸命ににらみ返しながら記憶の糸をたぐっていた。


 ——そういえばよく見かける顔だ。ストラテジックライフコンサルという名前にも聞き覚えがある。たしか、テロ多発地域対策やVIPへの護衛を必要とする大企業や政府関係者からの要請に基づき、リスク管理アドバイスやボディガード派遣などのセキュリティ商売を手広く行なっている胡散うさん臭いコンサルファームだ。社長自身は、ソルボンヌの大学で東洋史学の教鞭をとるかたわら、フランスの外人部隊にも参加経験もあり、アフリカに国連軍として転戦したこともあるという変わり種で、ミリタリーセキュリティ分野のコメンテーターとしてテレビや雑誌にもしばしば顔を出している。現政権に非常に近い存在であり、内閣調査室傘下に発足したの闘争活動型テロ対策実行委員のメンバーにもなっているという雑誌の記事をつい最近読んだことも思い出した。


 その男が小栗の目の前にいる。年は自分よりも上のはずだが、髪の毛や肌のつややかさと彫りの深い端正な顔立ちのせいか、実年齢よりもかなり若く見える。しかし、その目をあらためて間近でまじまじと見るとまるでサメのように冷たく獰猛だった。


「毬藻、オレは気が変わった。やっぱり小栗さんとは話があいそうもない」

 そういって本多は銃を小栗の肩におしつけた。

「平吾、約束が違う!なんで撃つの?話し合うだけだっていったじゃないか!」

 本多は面倒くさそうな表情でさらに片膝を小栗の頸動脈けいどうみゃくにおしつける。

「うっるせえなあ!だいたい、なんでここにいるんだ?こいつらに自分で顔をさらしてどうする!?裏切り者だってバレたら、オレがこいつらを片づけたって、おまえ、後でこいつらの仲間に半殺しにされるんだぞ!」

「やっぱり、そういう魂胆こんたんだったのね。だから、あんたがちゃんと約束を守るか監視するためにきたんじゃないか!」

 本多は冷ややかな流し目で小笠原の顔を見た。

「毬藻、おまえ、ほれたのか、この男に?」

 小笠原の顔色がサッと変わる。

「ば、っばかな!この人は私たちみたいなけだものとは違うの。みんなが必要としているんだ。だから、お願い、やめて、平吾。政治生命だけは奪わないで!」

「知るか!ますます気に食わねえ」


 本多は黙って銃口を小栗の眉間にあてがった。小栗はその眉間に目一杯のシワを寄せ上げる。そしてうめき声のような言葉を発した。

「話し合いならどんな態勢でも応じますよ!」

 本多はあまり興味なさそうな表情を浮かべてから、

「ほう——いいでしょう。でもあなたは絶対に妥協しないでしょうね。目を見ればわかります」

 といって小栗の首から片膝をはずした。それで、本多はようやく呼吸をすることができた。

「あっ、あなたの、要求はなんですか?」


「治安の回復です」

 と本多は低い声で即答する。

「停戦協定なら、いつでも応じる用意はあります」

「残念ながら先方の要求は無条件降伏、全面闘争解除です。そして多摩川県および旧川崎市の横浜市への完全併合です」

「先方というのはどなたです?」

「雇い主です」

「吉岡さんですか?中森さんですか?」

「この際、それはどうでもいいでしょう。それより、あなたの返答はどうなのです?」

「とうてい無理です。皆が納得しない」

「あなたが降伏すればいいのです。そうすれば五月雨さみだれ式にそちらの部隊は崩壊するでしょうからね」

「そんなことできるわけないだろ。オレは民主主義国家の行政官であり政治家だ。民意と公約に立脚しつづける義務がある。その信条をないがしろにするわけにはいかない!」

「でもいつまでこの状態を放置させるつもりです?平和を犠牲にして、なにが公約ですか?」

「形だけの平和など県民は望んでいない。県民は持続可能で豊かな生活を望んでいるのだ。そのためにはオレがここで屈することは絶対にできない」

「っね、やっぱり話し合いにならないでしょう?あなたはそういう人だ。でも歴史的に見て、ありとあらゆる少数派はいずれ多数派に飲み込まれる運命にある。そして、その際に必ずいざこざは起きるものの、長い目でみればそれが周辺地域の恒久平和に寄与することも歴史が証明している。なぜなら人間は自由や平等よりも平和と安定をもっとも重要視しているからです。まして少数部族や小国家の文化だの宗教だの理想などは全くとるに足りないものだからです。こんな簡単なこと、あなたのように賢い方ならお分かりになると思うんですが、無理ですかね、やはり?」

「ああ、無理ですね」

 本多はニヤッと笑って小笠原の顔をチラリと見る。

「毬藻、そういうことらしい」


 小笠原は小栗の横顔をじっと見つめた。

「——しかたないじゃない。どう、平吾、気は済んだでしょ、説得はあきらめて。ねっ、いいでしょ。もう、十分、手を引きましょう」

「だめだ、先方の依頼は、その場で息の根を止めろってことだ。もう議論の余地はない」

「そんな!」

「うるさい!つべこべいうな!女はだまってろ!」


 本多は小栗の口の中に銃口を押し込む。そして、

「このまま発砲したら、さすがに大怪我するでしょうね。残念ながら、先方はできれば永久にあんたには政界にも財界にも戻ってきてほしくないようですよ」

 といってケタケタ笑い、

「さあ、どうする、小栗さん」と引き金に力をこめた刹那せつな


「ざっけんな!」

 と言い終わらぬうちに小笠原の銃が本多の横っ腹を撃ち抜いた。


 本多は無表情のまま横っ腹につき刺さったゴム弾をゆっくりと撫でると、次の瞬間まるで疾風しっぷうのような身のこなしで小笠原の目の前へ移動し、銃をもつ手を蹴り上げると、それとは反対の膝でそのみぞおちを激しく蹴り上げた。小笠原はウッとうめいてその場に崩れるように倒れこむ。


 本多は鬼の形相のまま小笠原の腹の上に馬乗りのなった。

「このアマ!おまえ、なにをやってるのかわかってるのか!」

 血管の浮き出た太い腕が小笠原の細い首にくいこんでいる。

「ああ、わかってるよ」

 小笠原は顔をゆがめながらも負けじとその顔につばをふきかけた。


 本多は顔についた唾をぬぐうこともなく、こんどはなにもいわずにさらに強烈なパンチを横っ腹にお見舞いする。


 小笠原はたまらず口から激烈な悲鳴といっしょに鮮烈な血のりを吐いた。


「拾ってやった恩もわすれやがって。だから女は信用できねえ」

 本多は困った顔でそうつぶやきながらゆっくりと小栗のところに戻ってくる。


「案外、いろ男なんだな、小栗さん」


 そして、途中で床に落ちていた小栗の銃を拾うと、仰向けに横たわる小栗の腹の上にその銃をぶっきらぼうに放り投げた。


「さすがに無抵抗な人間を撃ったとあっちゃ、私のキャリアに傷がつきますからね。——さあ、銃を手に取ってください。でも引き金を引こうとした瞬間に、こっちが先に撃ちますよ」


 といいながら本多は悠然と小栗の体の上に大股を開いて立ったまま、少し小太りのその腹に銃の照準を定めた。


 この時点で被弾数は小栗2、鳥居2、小笠原2、本多1である。無論、小栗、鳥居、小笠原の三人はあと1発被弾すると強制戦線離脱、10年間の公職追放となる。


 小笠原はくの字に体を折り曲げながら、同じようなポーズで同じ目線上に倒れている鳥居へ目で合図を送る。鳥居は本多には気づかれないように少しとまどいながらも一瞬うなずいた。


 それを確認した小笠原は、足元に転がる鳥居の拳銃を鳥居にむかっておもいっきり足で蹴りとばした。鳥居は床に横たわったまま、その銃を首尾よくつかむ。その合間に小笠原は2メートルほど離れた床下に落ちている自分の拳銃にむかって大きくダイブして、回転しながら銃をつかんだ。


 しかし、本多はすかさず体を反転させ、小笠原の右手の人さし指の動きよりも早くその右肩を正確に撃ち抜く。さらに寸分の無駄のない動きで鳥居にむかって引き金をひいた。しかし、本多の銃は炸裂さくれつしなかった。小栗と鳥居の拳銃が本多の二発目よりも一瞬早く同時に火を吹いていたのだ。二人が放ったゴム弾はどちらも本多の胸に命中していた。本多のプロテクターが鈍いブザー音を立てながら赤く発色している。本多は顔面をヒクヒクさせたまま眼下の小栗の顔をにらみつけていた。


 それと同時にまるで騒ぎの終息を見すましたかのように、数人のRCP立会官が部屋になだれこんだ。そして屈強の男二人が本多の体を両側から抱え上げる。一方、部屋の片隅に倒れている小笠原のところには女性立会官が駆けつけ、ケガの状況を確認しつつ一人で立ち上がれるかどうか聞いている。もちろん小笠原のプロテクターも赤く発色していた。


「ばっかやろー、全部ウソだったのか!全部計算づくでオレたちをはめたのか!」

 鳥居はしゃがみこんだまま脱げかけの自分の革靴の片方を小笠原にむかって放り投げた。


 小笠原はうなだれながら「……ごめん、なさい」と蚊の鳴くような声でつぶやいたあと立会官にうながされて立ち上がった。その動きにあわせて小栗も立ち上がる。が、鳥居は床の上で大の字になったまま子供のように大声で泣きわめいていた。


 小笠原は立会官に付き添われながら出口にむかってゆっくりと歩き始めた。


「小笠原くん」

 小栗が声をかけると小笠原は背中をむけたまま足を止めた。

「大丈夫か?」

 ほんの少しだけ振り返りながらコクリとうなずく小笠原の顔からはすっかり生気が失われている。

「助けてくれてありがとう」

 ——そういう小栗の目にも涙があふれていた。

 小笠原は、ほつれた前髪越しに上目遣いで小栗の顔を見た後、すまなそうに目礼した。そして脇腹をおさえながらいそいそと部屋から出て行った。

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