第15話:哀哀母母

 堀田襲撃事件の衝撃でなかなか寝つかれなかった夜の明け方、小栗は妻からの電話で目を覚ました。


 一年半前から脳卒中で入院中の母の心音がいよいよ絶え絶えになったというのだ。医者がいうには今晩がヤマだという。小栗は一旦電話を切ると、いつもどおり地下のジムで筋トレをしながら、どうすべきか考えた。


 闘争活動員には一般企業の休暇制度と同じように最長年間14日間の任意の一時闘争戦線離脱休暇が認められている。それ以外に傷病休暇と忌引き休暇を最長5日間取得できた。それとは別に隊長など重要幹部に限っては、3日間の停戦を相手側の同意なしに実行することができた。


 小栗はやはり鳥居と小笠原に相談することにした。


 いつもどおり8時半の打ち合わせに現れた鳥居は一時戦線離脱休暇の取得を勧めた。一、二週間であれば小栗がいなくてもなんとか持ちこたえられるといった。小笠原も同意見だった。しかし、戦況はますます予断を許さないほどに悪化の一途をたどっており、このまま指揮官である小栗なしで闘争をつづければ、その間に取り返しのつかない事態になることも容易に想定された。


 考えた末に、小栗は三日間の停戦宣言を選択することにした。そうすれば闘争員全員がつかの間の休息を得ることができるし、指揮官不在による戦況の地滑り的悪化も防ぐことができる。かりに母の容体が小康しょうこうを得て、それ以上に延命する場合にも、あらたな休暇は決して取得せず、その場合は妻の葵にまかせようとおもった。


 そのかわりにこの三日間だけは母のことだけを考えて過ごそうと心に決めた。


 小栗はすぐに自分の執務デスクにあるパソコンを開き、一時闘争休止宣言を発動した。そして、その受理を画面上で確認をすると、すぐにタクシーを呼んで母が入院する市街の総合病院に向かった。


 ——幼いころに父親を亡くした小栗は、母と二人、母子家庭で育った。母は女手一つで小栗を育てるために、身を粉にして働き、大学にまで行かせくれた。働き者で、負けん気で、曲がったことや嘘が嫌いで、それでいていつも前向きな人だった。


 小栗が中森の秘書になって政治家を志すと言い出したとき、一番に応援してくれたのも母親だった。母心としては、内心一人息子には一流企業に就職してほしいとおもっていたが、小栗の決心を聞いてからは決して愚痴ぐちめいたことを小栗の前で口にすることはなかった。


 それどころか、大学の授業料まで支援してくれた中森に感謝し、常々中森に足を向けて眠るんじゃないよといっていた。だから二年前にその中森と袂をわかつことになったときは、日ごろ小栗の仕事のことに口をはさむことのなかった母親が、しつこく電話をかけてきた。


 小栗はきっと反対されるに違いあるまいとおもい、母親から電話があるたびに居留守いるすをきめこんでいたが、妻の葵からさとされ、ようやく自ら電話をかけたとき、てっきりと逆上しているのではとおもっていた母親は思いの外に冷静だった。


 そして「又市、借りは返したんだろうね」と電話口でいった。

「うん、全部返したよ」

「しっかり返しきったのね。わかった——。なら、いいわ」といって母はあっさり電話を切った。おもえば、貧しさゆえに人から借金ばかりしていた母親らしい会話だった。そのあとしばらくして脳卒中になったので、それが母親との最後の会話になった。


 ——病院では、妻の葵とひとり娘の有紗が小栗の到着を待っていた。


 小栗が病院に到着したとき、二人は母親の病室の前の廊下のベンチに並んで腰かけていた。病室ではちょうど主治医による回診が行われていた。


 インターネット電話では頻繁ひんぱんに連絡を取っているが、二人と実際に会うのは久しぶりだった。


 まず小栗が、「よう」というと、有紗はすこしとまどいながらも明るい顔で「オッス」という。


 葵はこのところほぼ毎日のように病院に通い詰めているので少し憔悴しょうすいしていたが、小栗の顔を見ると安心したように破顔はがんした。


 やがて診断を終えた主治医と入れ替わりに小栗は葵と有紗と一緒に病室に入った。


 母はベッドの上に横たわったまま、酸素マスクを口にあてがわれ、点滴をかぼそい腕に受けながら、穏やかに眠っていた。小栗はその様子をみとめると、二人に一旦家へ帰るよううながした。とくに妻の葵には、もしかしたらさらに長丁場になるかもしれない最期の時を前に、すでに長らく夫の代わりに看病にあたることで疲労した体をすこしでも休めてほしいというおもいもあったが、それとは別に母と二人っきりになり、二人だけの思い出をかみしめたいというおもいも強かった。


 ——おもいかえせば、小栗には母親と水入らずで過ごした時の記憶がほとんどない。とくに一番甘えたい盛りの小学生のころ、小栗は二年ほど三重の祖父母のところに預けられた。父が不慮の事故で亡くなったあと、母子が生きていくために母親は昼夜休みなく働かなければならず、子供の面倒を見る余裕がなかったからだ。


 年末やお盆にはおみやげを山のようにかついで帰省するのだが、別れ際に小栗が駄々をこねると、決まって「又市、人間は働けるときにせいいっぱい働かねばならないのよ」と自分に言い聞かせるようにちょっと悲しそうな表情でいうのだった。


 そのときに必死に働いて貯めたお金が小栗の高校進学の資金になったことを知ったのは、小栗が大人になってからである。


 ——祖父母の家がある町はなにもない田舎だった。転校生の小栗は、クラスメートから都会っ子とはやされ、本人も心を開かなかったために友達もなかなかできなかった。祖父母は遊び相手にならないし、気の利いたおもちゃもなければ、周囲には公園や広場すらも皆無である。ただ田んぼが一面に広がっていた。


 しかたなく、家の中の古い本棚にあったかび臭い文学全集を積み木がわりに手なぐさみしているうちに、その中身にも興味をもつようになった。


 文語体で書かれた文章はひときわむずかしかったので、長い小説ではなく、短い短歌や詩を好んで読んだ。


 そのうち斎藤茂吉に出会った。


 茂吉がいいかどうかはわからなかった。好き、というほどの自信もなかった。ただ単に啄木や朔太郎さくたろうよりも平明でわかりやすかった。


 それ以来、母のことを想うと、文学全集を読みふけるいじけた半ズボン姿の自分と月夜にひびくカエルの鳴き声と母に会えない寂しさと孤独——そして茂吉の歌が胸にこみ上げるのだった。


 死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはず天にきこゆ

 我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生ましちたらひし母よ

 のど赤きつばくらめ二つ梁に居てたらちねの母は死にたまふなり


 この三つの歌だけは今でもそらんじることができる。それほど特別な想いがあった。おもえばずっと前からこの時がいつかくることを小栗は知っていた。働きづめの母を失うかもしれないという恐怖は、あのころの小栗にとって最も現実的で切実なことだったからだろう。そのあとも、この歌を胸に刻み続けたのは、いずれは必ず訪れるその時への心構えだったのかもしれないとおもった。


 ——母の穏やかな横顔を見ながらどうしようもなく、涙が溢れてくる。


 そのまま、数時間が経ち、やがてなんの前触れもなく最期の時が訪れた——。


 小栗は妻に電話し、淡々とそのことを告げた。もうすでに葵は涙ぐんでいる。


 医者や看護師が慌ただしく病室に出入りする中、小栗は母の青白い手を握りしめつづけた。母にはもはや握り返す力はなかったが、ほのかなぬくもりは残っていた。


 大急ぎでタクシーで病院に駆けつけてきた葵と有紗もどうにか死に目に間に合った。


 そしてほんとうに最期の瞬間に母親は横たわったままカッと目を見開いた。——その目は小栗をとらえている。かわいた唇が「又市……」とつぶやき、かすかに小栗の手を握りしめたようにかんじられた。そして、まるで親に叱られた少女のように泣きべそをかいてから静かに息絶えた。


 小栗は最後に母の手を固く固く握りしめ、その冷たい手を涙のつたう自分の頬によせた。


 隣で葵は声を上げて泣き始めた。有紗はただ祖母の死に顔を見つめながら呆然と立ちつくしていた。目の前の現実を受け止められずにいるようだった。


 ——翌日と翌々日に家族だけの通夜と葬儀がおこなわれた。小栗は、火葬場で最後のお見送りをした時、母の亡骸なきがらを包み込む猛火のうねりを耐熱扉越しに聞きながら、恥ずかしくない生き方をつらぬこうとあらためて母の霊前に誓った。


 停戦三日目の夜、小栗は予定通り宮前庁舎にもどった。道すがら、タクシーの中から見た平和の街の灯が、いつまでも胸に焼きついてはなれなかった。

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