第14話:晴天白雲

 堀田はひさしぶりに外に出た。この三日間庁舎に泊まり込んでいた。


 庁舎から歩いて数分のところにある実家にもどって風呂をあびるつもだった。この三日間ほったらかしにしていた陸ガメのことも気になった。


 いつもどおり近道をするために、宮前平公園を横切りながら歩いていると、公園内で遊んでいた子供たちが集まってきた。犬蔵いぬくら闘争事件の大逆転劇の立役者のことは子供たちもよく知っている。一夜にして人気者になった堀田はたちまち子供たちに囲まれた。——


 堀田が区役所に中途採用されたのは、まだここが神奈川県川崎市宮前区だった二年半前のことである。そのときの採用面接官が当時宮前区の助役をしていた榊原だった。


 堀田は大学も中退だし、就職しても一つのところに二年以上続いたためしがなかった。正直なところ正社員としての就職はあきらめていた。


 が、そんな堀田を榊原は正規職員として採用してくれた。文字通り拾ってくれたのだ。


 榊原はどういうわけか堀田には親切で、なにかと気にかけてくれた。


 なんどかラーメン屋に連れて行ってくれたことがある。特になにか話すわけではないし、なにか堀田が話しかけようとしても理屈っぽい話し方になるとすぐに榊原は気難しい顔でにらみかえすのが常だったので、実はほとんど会話らしい会話をしたことはないのだが、それでも友達らしい友達もいない堀田にしてみれば自分のことを気にかけてくれる榊原の存在は素直にうれしかった。


 小笠原と知り合いになったのも榊原がきっかけだった。いつものラーメン屋に行くと小笠原が一人でカウンターに腰掛けていた。榊原は小笠原を二人がすわるテーブルに呼びよせ、堀田に紹介した。榊原はもともと小笠原のように自己主張の強い女性はあまり好きではない。九州男児の榊原は女性に関する価値観も昔気質なのだ。しかし実際は小笠原のことも気にかけていた。榊原は、男女問わず、孤独な人間を見るとほっとけないたちだった。


 四日前、堀田は小栗と面談するために約束の時間に庁舎の5階に上がった。そこであやうく銃撃騒ぎに巻き込まれそうになったが、すんでのところで榊原に助けられた。


 あまりにも唐突な事件だったので、お礼の言葉もいえなかった。榊原は去り際に堀田の肩をポンポンと二度ほど叩いた。堀田には「多摩川県と小栗県知事代行をよろしく頼むぞ」と聞こえた。


 その結果、自分は無傷のままこうしてのんびりと過ごしている。一方の榊原はゴム弾3発を体に受け、実質、社会から追放されてしまった。


 堀田はあの事件からずっと榊原のことをかんがえている。生まれてこのかた他人からこのように重い負い目を受けたことはなく、どうすればよいかいくら考えても答えは見えてこなかった。こんなにも息苦しいほどにおもい悩んだことはかつてない。どうしていいかわからないのでしかたなくこの三日間、浸食を忘れてシステム開発に没頭していたのだ。現実から目を背けるための突貫工事だったが、思いのほかに能率良く多くの開発を仕上げることができた。


 実際、ここ数日の堀田の仕事には目を見張るものがある。


 犬蔵闘争におけるステルスドローン200機の獲得に始まり、そのドローンを偵察機として県境を自動警備させるシステムを開発すると、さらに敵の闘争員の動きをドローンから動画で送信するシステムや敵の闘争員が半径100メートル以内に近づくとブザーが鳴る警報機、防御線を超えて侵入する敵のドローンを自動検知し、味方の迎撃ドローンが自動追尾するシステムなど、小栗と小笠原からのリクエストに応じ、ここ二週間あまりの間にやつぎばやに設計し、この三日間ですべてを仕上げた。


 今や多摩川県にとって隊員一人ひとりのセキュリティは最重要課題である。それゆえに多摩川県の情報システム部の主任であり、その情報技術開発を一手に担う堀田の存在と能力は内外で急速に重みをましていた。一方、横浜隊が手段を選ばない集団であることは誰の目にも明らかだった。そのため、犬蔵での一件後にネットで実名と顔写真が大きく報道されて以降、堀田が川崎隊の中ではおそらく小栗と並んでもっとも敵から狙われているターゲットとなっていることを自他共に理解していた。


 だからこそ小栗は、庁舎内に住み込むことを提案したのだが、堀田は断った。集団生活は性に合わないとおもったのだ。小笠原からは庁舎の向かいに建つ新しいマンションに引っ越すようにいわれたがどうも気乗りしない。幸い、庁舎からは歩いて数分の古いマンションに両親の住む実家があったので、当分はそこから通おうと考えていたところである。


 ——群がる小学生は歓声を上げながら堀田に握手を求めたり、サインをねだったりする。さらにベビーカーを押す母親たち3人がスマホで写真を撮り始める。さしずめ有名人にでもなったかのようだ。


 しかし、どういう顔をしていいかわからないので居心地が悪い。こんなことなら小笠原のいうこと聞いて庁舎から徒歩30秒の新しいマンションに住むのも悪くないかもしれないとおもったが、すぐにこんなことに時間を費やしている自分自身が猛烈に不毛におもえてきて、子供たちを振り払うように早足で公園を横切り、家路を急いだ。


 そこへ背後から女が声をかける。ベビーカーの一人だ。もう一度一緒に写真を撮らせてほしいという。堀田はしかたなく応じることにした。


 堀田は気の利いたポーズをとることはできないので、眠たげな表情のまま路上に棒立ちしながら撮影が終わるのを待った。しかし、次の瞬間、カメラのシャッター音の代わりに、堀田の耳に響いたのは乾き切った発砲音と腹部への振動だった。


 目の前には、さっきまで笑顔ではしゃいでいた3人の母親が土偶のような表情のままベビーカー越しにそれぞれ堀田に銃を構えた姿勢で立ちつくしている。


 堀田は首を横にふった。闘争隊員が近づけば、どんな服装であろうと腰に付けた警報機が鳴るはずなのだ。しかも3人はそれぞれ上着の下にプロテクターを着ている。自分の作ったディテクションシステムに不具合や抜け道はないはずだ。しかし鳴らなかった。なぜなのか?という疑問が頭の中でグルグルまわる。すぐに3人のうちの一人が嗚咽するのを見てすべてを悟った。——3人とも味方の闘争員だったのだ。


 ——3人はいずれも多摩川県都筑市の住民だった。そして夫婦そろって多摩川独立貫き隊員(川崎隊)の闘争員でもあった。都筑が陥落し神奈川県横浜市都筑区に再編入されたときに、夫は隊を脱退し、妻だけ残留した。


 それが夫を横浜市職員として復職させるにあたり、横浜市側からつきつけられた条件だった。妻たちには川崎隊に潜入し続け、横浜隊への内通活動を行うことが命じられた。生活を維持するためにはそれ以外に選択肢はなかった。横浜市で暮らしてゆこうすれば、川崎隊として闘争活動で敵対した者には、自主的に戦線離脱を選択した投降者であろうと周囲からの白眼視は容赦なく、日々の生活の糧を得ることすらままならぬ厳しい現実が立ちだかっていたからだ。


 しかたなく夫婦はあやしまれないために形式上の離婚もした。そして妻たちは幼い子供と一緒に川崎隊へ身を投じたのだ。


 その妻たちに堀田は撃たれた。


 母親たちはベビーカーをおいて一目散に逃げようとしたので、堀田はおもわず声を上げた。

「子供たちは!?」

 3人のうちの一人が立ち止まり、子供のようにかぶりをふった。


 よく見たらベビーカーにいたのはどれも人形だった。きっとすでに子供たちは夫のもとに送り届けられたのだろう。


 ——彼女は走りながら堀田に向かって頭を下げた。


 堀田は微かに笑ったまま少し手をあげて彼女たちを見送りながら、道路の真ん中にひざからへたりこんだ。そして無事に逃げてほしい、でもきっと無理だろうなとおもった。


 サイレンサー銃を使った場合でも、宮前区域内で起きる発砲事件は、監視カメラの撮影画像といっしょにすべて中央監視室に送信されるようになっているのだ。すべて自分が設計し、敷設したシステムなのだから完璧なはずだ。


 案の定、すぐに携帯が鳴る。小笠原からだ。

「堀田さん、大丈夫?」

「すみません、撃たれました」

 自分のプロテクターが赤く発色しているのを確認して、路上に仰向けによこたわった。

「誰に?!」

「……しっ知らない人です」

「特徴は?」

「いや、その、あ、あの……」

 堀田はいつもどおりまだらっこしい説明をおこなった。結果的にそれが母親たちにとって時間をかせぎになることをおぼろげに理解しながら。——


 空を見上げたら、飛行機雲が一直線に青いキャンパスに白い線を走らせている。堀田はこのままずっと途切れずにいてくれたらいいのにとぼんやりおもいながら、ボサボサの髪をかき上げた。榊原の笑顔がさっきから脳裏で明滅してしょうがない。


 パトカーの音が近づいてくる。クマゼミの鳴き声にも似た独特のサイレン音はRCP立会官の緊急車両だ。上空には銃撃用ドローン3機が、逃走する母親たちを猛スピードで追いかけていた。


 堀田敏正、29歳、独身。ほんのわずかな間だったが、この風景こそが俺の青春の日々の残像だ。——もしかしたら、そんなふうにおもいかえす日が自分にもあるのかもしれない、と、おもった。

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