第13話:報恩復仇

 元多摩川県知事の最戸史恵がふいに宮前庁舎を訪れた。杖をついている。


 武蔵小杉で背後からスナイパーに狙撃されたとき、階段から落ちて足の骨を折ったのだ。もう70歳近いため傷の治りは遅く、その足取りは見るからに痛々しい。


「なんとか頑張ってるみたいね」

 それでも表情は明るく以前同様に矍鑠かくしゃくとしている。

「どうしたんですか急に?」

「文字通り陣中見舞いよ。昨日の事件のことはネットでも流れてたわ。災難だったわね」

 最戸は応接イスに少しばかり大儀そうな面持ちで腰を下ろした。

「まったく、九死に一生を得た気分です。絶体絶命でした」

「まだ運は残ってるってことかしら?」


 小栗は、唇をギュッとかみながら笑顔をみせた。

「だといいのですが——」


「あなたの元上司もえげつないことをするわね」

 小栗は苦笑しながら「昔からああいう人です」と答える。

「私も表立っては動けないから、裏で各方面に支援を要請してみてはいるけど、なかなか色良い返事は得られないわね」

「そうですか……」

 小栗は一瞬残念な表情を浮かべうつむくが、すぐに顔を上げた。

「昨日の件といいショッキングなことが次から次へとおきますが、僕はまだ希望をうしなっていません。まだ逆転の可能性はあると信じてますよ」


 最戸はイスの上でのけぞりながら少しあきれたような表情を見せる。

「あいかわらずの楽天家ね。まあ、それぐらい、のんきでいられるんだから、メンタルがやられるってことはなさそうね——けど、ご家族は大丈夫なの?もうずっとここに泊まりこんでるっていうじゃない」

 小栗はもう三ヶ月以上自宅に帰っていなかった。

「闘争員は基本的にずっと泊まり込みです。前線の人間にくらべれば一日中クーラーのきいた場所で過ごせるんですから遥かに楽ですよ。贅沢はいえません」

「最後に頼りになるのは家族だけなんだから。ほったらかしにしないで、ちゃんとかまってあげなさいよ」

 その言い方は、まるで小栗の母親にでもなったかのようである。

「大丈夫ですよ。よくできた妻と娘なんで」

 妻の葵と娘の有紗の顔が頭に浮かび自然と表情が和らぐ。

「さぞかし良妻賢母りょうさいけんぼの奥さんなんでしょうけど、食うに事欠くようになったら、家族の絆にだってほころびは生じるものよ」


「大丈夫です。そのときはそのときでなんとかしますから」

 と、それでも小栗は柔和に微笑する。

「楽天的すぎるわよ——。いい?ご家族のためにもくれぐれも短気は起こさないこと。あなた、私にくらべたらまだまだ若いんだから。家族を路頭に迷わすようなことだけはしちゃだめよ。がんばるのはうれしいけど、公職追放になったら台なしなんだから。そうなる前に降参してちょーだい」

 やにわに小栗は顔を上げ、眉間にシワをよせた。

「そんなことをしたら僕について来てくれる人間は誰もいなくなりますよ。そもそも最戸さんが今も知事をしてくれたら、僕はこんな目に合わずにすんだんです。だいたいなんで隊長になったんですか?」

 最戸もやや気色ばむ。

「仕方ないじゃない。国がなにもしてくれないんだから!闘争活動に頼るほか川崎の自治を守る道はなかったわ。その過程で私が隊長に祭り上げられたのは当然のなりゆき。多摩川県の独立のためには、それ以外に選択肢はなかったのよ!」

「もしかして、独立のこと、後悔してるんですか?」

「してないわ!」

 最戸は間髪かんぱつ入れずに答えた。

「してるわけないじゃない。だって、川崎市はこれからの日本の郊外型モデル都市になるべき存在なんだから。日本に必要なのは自然と共存する小さな行政区域よ。東京は一つでたくさん。なんで横浜に飲みこまれなくちゃいけないの?横浜市なんて二つか三つに分割してもいいぐらだわ。東京と横浜にはさまれた川崎は、大都市のアンチテーゼとして、日本人の目指すべき新たなライフスタイルを追い求める格好の場所なのよ。川崎と未来の若者の郊外型ライフスタイルを守ることは川崎市民の義務であり総意だった。そのためには闘争隊の力を借りるしかなかったし、多摩川県として独立したことも必然だったとおもうの。それに多摩川県は規模といい、環境といい、理念といい、まさに理想の行政単位よ。ほんの一瞬かもしれないけど私の理想に共感してくれたたくさんの都民や横浜市民がいてくれたことにも私は満足してる。決して後悔なんてしてないわ」

 とそれまでの柔和な表情を一変させ、まるで現役時代の勢いそのままに一気呵成いっきかせいに話した。

 小栗はニヤリと笑いながら、

「その話し、耳にタコができるぐらいなんども聞きましたよ」

「私の信念は変わらないわ」

 と最戸は自嘲じちょう気味に鼻で笑いかえす。

「安心しましたよ。もうろくされてなくて——」

「いいえ、私は、もうただのおばあさんよ。年甲斐としがいもなく隊長なんかになるもんだから!——でも、私は隊長になるしかなかったの」

「でも吉岡さんや中森さんは隊員登録してませんよ」

「そうね、そうね。彼らは安全地帯にいながら、実質、闘争隊を裏から全面的にバックアップして高みの見物をしてるんだから、ほんとにいいご身分だわね!」と言葉に怒気をにじませた。


「僕が必ず報復しますよ」

 小栗は両手のこぶしをテーブルの上でぎゅっと握った。


「なに、いってんのよ。あなたこそ、自分の政治生命終焉しゅうえんのカウントダウンが始まってるのよ。もう一発くらってるみたいだし」

 といってみぞおちにある空洞をあごでしゃくりながら示した。

「まあ、これはちょっとしたハプニングで。昨日の事件とは関係なく……」

 小栗は頭をかく真似をした。

「なにがハプニングよ。わからないの?中森くんにとっての本当の標的は私じゃなくてあなたなの。お願いだから、復讐とかは絶対にやめて」

 小栗はなおも困った表情のまま首を横にふった後、小さく息を吐いた。

「いえ、そうはいきません。これはもう僕自身と中森さんとの問題でもあるんです。中森さんだって、やり方は違っても、ある意味政治生命をかけてるんですよ。中途半端な気持ちでは勝負にならないことぐらい、最戸さんならよくご存知でしょ?」

 最戸は小栗の血走った目を凝視しながらごくりと息をのんだ。

「まあ、わかったわ。覚悟のほどは。——わかった。あなたの骨ぐらい、私が拾ってあげるわ。でも、いいわね、くれぐれも身辺には注意なさいよ」


 そこへノックの音がした。扉が開き、鳥居が現れる。鳥居は、お盆の上に二つのティーカップをのせ、不器用な足取りで部屋の中へと歩みを進める。


 最戸は新種の野生動物にでも出くわしたかのようにその動きを興味深く見つめていた。

「あら、坊や、だいぶ見ない間にすっかり男っぽくなったじゃない」

 鳥居は緊張と羞恥しゅうち心で顔を耳まで赤らめ、ガタガタと食器を鳴らしながら二つのカップをテーブルに置く。


 やがて、鳥居が退出する。それから最戸は足を組みながら優雅に紅茶を一口飲んだ。それを見届けた小栗は、

「ほんとうは何しに来たんです?」

 といってじっと最戸の顔を見つめた。


 最戸はなにもいわず、ただ微笑を浮かべると、そっとハンドバッグから二つ折りのメモを取り出し、テーブルの上に置く。

「それ、裏切り者のリストよ」

 そういって最戸はソーサーの上にカップを勢いよく置いた。

「こんな老いぼれにも、いろんなゴロツキがいまでも情報を売りつけにくるのよ。これが確かな筋かっていわれると私には答えようがないけど、裏を取るのにそれなりの金と労力をかけたってことだけは間違いないらしいわ。デタラメもあるかもしれないけど、参考にはなるとおもうの」

 小栗は手を伸ばしてそのメモを開き、表情を変えずに一読した後、

「ありがとうございます」

 と頭を下げた。


「——じゃあ、帰るわ」

 そういって最戸は杖をつきながら腰を上げた。

「見送りは結構よ」

「では、エレベーターまで」

 といいながら小栗はメモを背広のポケットにつっこんだ。


 小栗が執務室のドアを開くと、鳥居が二人に近よってきた。

「もうお帰りですか?せっかくですから夕飯のお弁当を用意しようとおもっていたのですが」

 最戸は微笑を浮かべ首をふりながらエレベーター乗り場へ大股で歩く。あわてて鳥居がエレベーター乗り場へかけより、ボタンを押す。エレベーターはすぐに開いた。鳥居がまず乗り込み、内側からドアを押さえると、最戸は「ありがと」と鳥居の気遣いに礼をいった。


「じゃあね、小栗さん、健闘をいのるわ」

 最戸はエレベーターの中から少しかなしげな笑顔で小栗にエールをおくった。


 執務室に戻った小栗は、もう一度最戸から手渡されたリストを手に取った。10人近い名前が手書きで書かれている。そこには鳥居と小笠原の名前もあった。


 小栗はその紙を両手で無造作に破り、足元にあったゴミ箱に投げ捨てた。


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