第12話:乱射乱撃

 すぐにトイレの扉が中側から勢いよく開き、鳥居と小栗があいつで転がり出て、ゴム弾を乱射した。狭く薄暗い密室での銃撃戦。しかし勝負はあっという間についた。


 小栗と鳥居は被弾ゼロ、清掃員も被弾なし。それに対して敵方は一名が3発被弾による強制戦線離脱、二名が2発被弾した時点で自主離脱宣言となり、全員トイレから退散。勝負はあっけなく奇跡的に川崎隊の勝利となった。


 清掃員の横顔を見て、小栗は驚きのあまり声を上げる。

「榊原さん!」

 その清掃員はかつて助役をつとめ、引退後も顧問として宮前区の行政を支えてくれた榊原だった。


 しかし、闘争活動の激化に伴い、平和主義者である榊原は、闘争活動そのものに反対の立場を取りつづけた。闘争活動とは一線を画し、横浜市側と友好的な対話を通じて多摩川県の独立を守るべきというのがその主張だった。当初は榊原の意見に同調していた小栗だが、最戸が失脚すると、榊原の諫止かんしをはねのけ、川崎隊の隊長を引き受けた。そして闘争活動への全面参加を宣言した。その結果、榊原は小栗とたもとをわかち、半年前に退職してしまった。


 もともと小栗とはあまり馬が合う方ではなかった。榊原は頑固で自由奔放な性格のため、小栗にも遠慮がなかったし、ときには面と向かって小栗の意見に反対することも少なくなかった。とはいえ、宮前区の事情にうとい小栗には、40年以上の奉職ほうしょくを通じてつちかわれた榊原の経験や人脈は欠くべからざる存在だった。だが、小栗の川崎隊長就任とともに、ふたりの関係はますますギクシャクし、とく退職するまでの数週間は口論が絶えなかった。


 ——その榊原が、あれほど嫌っていた隊員のかっこうをして、目の前に立っているのだ。

「どうしたんですか、榊原さん、いったい!?」

「暇なんですよ。家にいるとね。みんなのことがなつかしくて、時々こっそり清掃員になりすまして様子を見に来てたら、いつのまにか隊員になってたよ。まさか緊急用に各階のトイレに配置していた拳銃を自分自身が使用するとはね」


 半年前、小栗が庁舎内への緊急用拳銃の配備を提案したとき、榊原だけが猛反対した経緯があった。

「さあ、あと二人、さっさと始末しておかないと」

 廊下にはまだ二人いるはずだが、トイレの中に突入する気配はない。きっと小栗たちが出てくるのを待っているのだ。


 もしかすると他にも隊員がいるかもしれない。もしそうなら完全に袋のネズミ状態——万事休すである。


 小栗がいらだたしげに鳥居に聞く。

「小笠原くんとはまだ連絡が取れないのか?」

 鳥居はスマホを見ながら苦渋の表情で答える。

「駄目です。LINEに送っても既読になりません」

「なに、やってんだ、こんな時に……」

 と、こぼしながら拳銃を見る。

「駄目だ、もうタマがない。あと2発だけだ」

「僕はゼロです」

 と鳥居。


 ふたりは榊原を見上げる。清掃服の上にライフル用の弾帯をたすき掛けにまとっている榊原はさしずめ川崎のランボーである。


 その神々しいまでのいで立ちに、小栗も鳥居も、もう榊原に頼るしか他に道はないとおもった。


「榊原さん——こうなったらこちらからうって出ましょう」

 小栗の提案に榊原は力強くうなずいた。

「じゃあ、鳥居さん」

 といって榊原は手に持っていた一丁のライフル銃を鳥居に渡す。

「ふたりで小栗さんを援護しましょう。そのすきに小栗さんには非常階段から逃げてもらうんです」


 小栗も鳥居も迷いや異論はあったが、すぐにそれがこの場合の最善策だと腹をくくった。


 外の非常階段に通じる非常口は、男子トイレからだと目と鼻の距離だ。うまくいけば3人とも逃げおおせることができるかもしれない。


 なんとなくその場の雰囲気で一番年少の鳥居がまず先陣を切ることになった。


 鳥居はライフル銃の先で恐る恐るドアをあけた。わずかなすきまから非常口が見える。少なくともそこから見るかぎり廊下に敵の気配はなかった。しかし、扉の裏、すなわち非常口とは反対方向の様子はそこからは確認できない。


 鳥居はふたりに目で合図を送った。まず、鳥居と榊原が扉の外へ飛び出してライフル銃で応戦する。そのすきに小栗が身をかがめて非常口へすべりこむ寸法すんぽうだった。


 鳥居と榊原は呼吸をあわせて扉の前に躍り出た。しかし、すぐに

 ふたりとも扉の陰からはねあげられた足で銃を蹴りとばされてしまう。


 小栗はそのすきにどうにか非常口の前までころがりこむが「動くな!」という隊長格の男の声で動きを止め、すぐに振りむいて銃をかまえる。


「小栗さん、無駄な抵抗はやめるんだな。このふたりがどうなってもいいのか?」


 鳥居は女隊員に後ろから捕らえられている。一方の手で腹部に銃口を押しつけられたままもう片方の手で頸動脈を裸絞めされ、すでに白目をむいて失神状態だ。一方の榊原は隊長格の男に激しく腹部を蹴りあげられたと見え、廊下にころがりもだえている。


「さあ、拳銃を捨ててください。へんな真似したらぶっぱなしますよ。まず前途有望なこの若い方から。いいんですか?言うことをきいたら、小栗さん、みんな助けてやってもいい。とくにあんたは生け捕りにしろって言われてんでね」

 といいながら床に転がる榊原の腹にもう一発蹴りを入れる。


 すると廊下の奥からホイッスルが鳴り響き、一人の男がかけよってくきた。防具に身を包んだRCPの立会官である。立会官は減点カードを男の頭上にかざし、ペナルティ0.5を言い渡した。


 しかし、部下3名を失った男の怒りはなおもおさまらないらしく、

「うるせえ!」とわめくなり、榊原の腹を容赦なく蹴り上げ、さらにペナルティ0.5がいいわたされた。これで1発銃撃を受けたのと同じ扱いになる。


「これ以上暴力行為を継続した場合は現行犯で逮捕する」と立会官はくぐもった声で隊長格の男に警告した。が、それ以上はなにもしてくれない。そのまま壁ぎわへ移動して、かかしのように立ちつくしている。


 なぜなら、RCPにとって闘争活動はすべて民事であり、不介入が原則だからだ。あくまで民事を逸脱するようなルール違反を取り締まるためだけに闘争現場に派遣されている。だから、違反行為がなにもなければ沈黙を決め込むだけなのだ。


 そこへふいに中階段から人影が現れた。これだけの騒ぎが起きているというのにまるで無警戒にニヤニヤしながら周囲をキョロキョロと見まわすその人影は、まぎれもなく一昨日の犬蔵闘争の立役者、堀田だった。小栗は、昨日堀田に執務室へ来るように小笠原へ指示したことを思い出し、愕然がくぜんとなる。

「しまった!」


 隊長格の男はすかさず堀田に向かって銃を向け、引き金をひいた。ところが満身創痍のはずの榊原がやにわに起き上がり、男の前に飛び出し、至近距離でその銃弾を体で受けた。榊原はよろめくが倒れず、そのまま背中を向けたまま堀田へかけよる。堀田は恐怖で凍りついたのか一歩も動けない。男は榊原の背中へさらに一発。

「どけっ!」

 そして、榊原はとうとう倒れながら堀田の体におおいかぶさった。男はゆっくりと背後から近づきさらに大声を上げる。そしてうつ伏せに倒れたままの榊原の横っ腹をしたたかにつま先で蹴り上げた。

「やめろ!」

 と小栗がなおも拳銃を両手でかまえながら叫ぶが、RCP立会官も見て見ぬふりだ。

「あんた、邪魔なんだよ」

 と隊長格の男は仰向けに横たわる老体に向かって吐き捨てるようにいうと、その心臓めがけておもむろに銃口を向けた。


「やめろ!」

 小栗が猛然と隊長格に向かって声を上げながら突進する。が、なおも鳥居を後ろ手にとったままの女隊員の脇を横切ろうとしたところで女隊員のぶちかましにあい、壁までとばされてしまう。


 すぐに起き上がるが、脳しんとうをおこしたため、意識が朦朧として足元もおぼつない。


 すると、目の前の非常口から突如光がさす。


 そしてそこから「代行、伏せて!」という叫びが響いた。


 小笠原たち、味方の巡察部隊がもどってきたのだ。


 その声を聞いて一等すばやく動いたのは、その中でもっとも体力の限界に近づいているはずの榊原だった。榊原はスクッと起き上がると、隊長格の男に背後から飛びかかり、そのまま羽交いじめにした。


 そのとたん銃弾が双方から炸裂するが、決着はすぐについた。


 特殊工作員の二人のプロテクターは赤色に変わっていた。ふたりとも銃をかまえたまま呆然としている。強制退場になると自動的に銃がロックされ発射できなくなるのだ。


 そこで、榊原はようやく男から手をはなした。しかしそのプロテクターも赤く発色している。どうやら銃撃戦の中で、流れ弾を浴びたらしい。


 ようやく正気にもどった鳥居が、訳のわからない様子であたりをキョロキョロしている。小栗はというと、壁ぎわでひざまづきながら、呆然と榊原を見つめていた。


 すぐに小笠原が小栗のもとにかけよる。

「大丈夫ですか、代行?」

 小栗は安心したような表情でしっかりとうなずく。


 すぐに立会官が来て、がっかりとひざをついていた二人の特殊隊員の腕をかかえ、立ち上がらせた。強制離脱となった隊員は、一旦最寄りの警察署に連れて行かれ、そこで正式に武装解除と公職追放処分への適用を受けてから、解放されることになっている。すでに先に戦線離脱となった3名の特殊隊員もRCPの手で軟拘束されていた。

 榊原にも同行が求められる。榊原はすなおに立会官に従って歩きはじめた。

「榊原さん!」

 小栗が声をかけると、榊原は足を止め、静かにふりかえり、

「ではお先に」

 と小栗に向かって軽く頭を下げた。


 そして顔を上げると、プロテクターと清掃着をいきなりその場で脱ぎはじめた。そして床にかなぐり捨てたかと思うと、大声で笑いはじめた。


 まわりは呆気にとられている。


 榊原は川崎フロンターレのユニフォームを着て立っていた。


 そして、どうだ!といわばかりのドヤ顔を浮かべたまま二本指をおでこの前にかざし、カウボーイふうの敬礼をした。

「じゃあ!」


 それはまるでこれから等々力スタジアムに試合観戦へでも出かけるような様子だった。


 60歳をすでに超えている榊原にはもはや公職への未練などはないだろうが、腹に受けた蹴りと銃撃はこの先もきっと骨や内臓にまで達するような痛みを残すだろう。にもかかわらず、やせ我慢をして颯爽さっそうとしたポーズを決めこんでいる榊原の表情には全身から哀愁があふれていた。


 小栗は、前かがみになって廊下を歩く老公務員の後ろ姿を深々と頭をさげながら見送った。

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