第10話:暫時安息

 宮前庁舎内にある多摩川県知事代行執務室。窓から見える西の空が絹雲をなびかせながらゆっくりと赤く染まっている。


「今日は平穏でしたね」

 鳥居がうれしそうにテーブルの上に紙コップを並べた。

「ああ、さすがにあれだけこっぴどくやられたんだ。向こうも立ち上がる気力がなくなるだろうよ」

 小栗はいつもの応接用のソファイスにゆったり腰掛け、天井を見上げながら前日の犬蔵交差点での激闘をあらためて回想している。

「本日時点の敵方の犬蔵バリケードは完全に戦力ゼロでした。有馬や神木、馬絹方面も急激に隊員が減少したようです」

 普段から青筋を立てていることの多い小笠原もいくぶん穏やかな表情でテーブルの上に三人分の割り箸とお皿を並べている。

「ネットのニュースもすごいですよ。SNSでの再生回数も過去最高になりました。多摩川県への応援メッセージも3万通を超えてます。すごいのは、堀田さん。一躍ヒーローですね」

「ちょっとあおりすぎじゃないか。あんまりうかれなけりゃいいが。とくに堀田くんは心配だな」

「まあ、今日ぐらい、一息つきましょう。ひさびさの大勝利ですよ。久しぶりにビールで、乾杯しましょう」

 と、いって鳥居は缶ビールを3本、両手で抱えている。

「うーん、まあ、いいかな」っといいながら、小栗はチラッと小笠原を見る。ーー表情を変えることなくうなずく小笠原。

「そうだな、缶ビール一本ぐらいならいいだろう、小笠原くんもどう?」

 にべもなく断られるかとおもったが、案に相違して小笠原は躊躇ちゅうちょなく小栗が差し出した缶ビールを受け取った。

「さあ、さあ、乾杯ですよ」

 と、鳥居が率先して紙コップにビールを注ぐ。そして、二人がそれにならってそれぞれの紙コップにビールを注ぐのを見とどけると、もどかしそうに乾杯の掛け声を行った。


「さあ、スルメもあるし、ナッツとポテチもありますよ」

 鳥居がいきよいよく次から次へと菓子袋を開封する。部屋中にいろんな匂いが充満しはじめた。


「ところで座間の方はどうだ?」

 小栗が小笠原に聞く。

「まだなにも反応はありませんが、たぶん、2、3日中になんらかの反応があるとおもいます」

 いつも慎重な小笠原にしてはどこか自分の見通しに自信をのぞかせるような言いぶりだった。

「そうか、まあ、昨日の戦果で少しは時間稼ぎができそうだ」

「うん、そうですね。これで、一気に世論も含めて流れが変わるといいんですけどね」

 鳥居はすでに一杯目のビールを飲み干していた。

「あまり油断しない方がいいですよ。昨日のことで敵をかえって刺激した可能性もありますし」

 小笠原は冷静だ。


「でも、小笠原主任の戦略が奏功して、座間が救援に来てくれたら、戦況は一気に変わりますよ。そしたら、休闘調整に入りましょうね」

 鳥居は二杯目を注ぎはじめた。

「まあ、そううまくいけばいいが。もしそうなったら、俺は引退するよ」

 小栗はゆっくりと一口目を味わったあと、虚空を見つめながらそうつぶやいた。

「それは困ります。僕は小栗さんのためだとおもってがんばってるんですから」

「俺のため?冗談じゃない。俺は君たちのために戦ってるんだ」

 そういって小栗はゴクリとコップに残ったビールを飲み干す。

「俺は、今の政治に危機感をもっている。——こんな年寄りばかりの国じゃ、日本は駄目になってしまう。政治家はみな無責任。何が闘争隊法だ。一般市民同士で戦わせるなんて無責任のきわみだ。ていのいい責任放棄じゃないか。政治家がきちんと自分たちの使命を理解し、責任を負おうとしないからこうなる。それもそのはずだ。政治家はすっかりボケた年寄りばかり。歳をとるっていうのは、どんな人だろうが体だけじゃなくて頭の動きも心の動きもどんどん鈍くなる。だから、今こそ若者が立ち上がり、世代交代を一気に進めるべきだと俺はおもう。でも若者は力も金もない。年寄りを蹴落とすのは俺たち、ジェネレーションXの役割だ。そしたらとっとと辞めるつもりだよ。でないとすぐに俺自身が老害になるからな。あとは君らに任せるんだ」

「でも僕らに舵取りができるとはおもえないです。小栗さんのようなリーダーがいてくれないと、やっぱり駄目ですよ、ねえ、小笠原主任?」

 小笠原はふいに話を振られて少しとまどっているように見えた。

「大丈夫だ」

 小栗は心配そうな表情の二人の目をしっかり見つめた。

「人生や政治の舵取りの仕方を今、ここで学んでいるじゃないか?緻密ちみつな戦略と十分な準備、臨機応変りんきおうへんな決断力、そして粘り強い実行力さえあればたいていのことはなしとげられる。その意味で闘争活動もまんざらでもないかもしれないな」

 そういって小栗は大声で笑った。


 小笠原が小栗の言葉に真摯しんしに耳を傾け、ときおり感心するような表情までも浮かべる一方、鳥居はまだ不安そうだった。


「県知事代行は引退したら何をするつもりですか?」

 唐突とうとつに小笠原が質問した。いつのまにか一杯目が空になっている。

「ああ、そうだな。盆栽ぼんさいか、釣りか、俳句か、まあ、そんなとこかな?」

 と、鳥居はスルメを頬ばったままポカーンと口を開けている。

「へえ、小栗さん、そんな高尚な趣味を持ってたんですか!?知りませんでしたよ!」

 鳥居はそういいながら二缶目をあけようとしていた。

「いや、そんな趣味はないが、これから探すつもりだ」

 そういって小栗は、鳥居の手からビール缶を取り上げ、そのコップにビールをそそぐ。鳥居はうれしそうに口をコップによせた。そのあと、小笠原にもビールをそそぐと、小笠原は黙って小さく会釈した。

「人生は長いぞ。普通に生きてゆけば、人生の三分の一は老後なんだ。退職後の人生設計も若いうちから考えておかないと、それこそ、後悔先に立たず、だからな」

 小笠原は手も口も止めてじっと小栗の顔を見つめていたが、鳥居は、まったく興味がなさそうにビールを飲み干すと、恍惚の表情で大きくフウと息をもらした。


「そんな先の話、僕には実感わかないですよ」

「まあ、そうだろ。今はそれでいい。とにかく、今はこの闘争に集中しよう」

 そこで小栗は紙コップをテーブルに置いて両手をひざにおいたまま二人の顔を凝視した。

「きっと最近の活躍で、君たち個人もおそらく敵からマークされているだろうからな。くれぐれも注意を怠らないように!——それとすまんが、小笠原くん、堀田くんのことは特に注意してほしい。いっそ庁舎に寝泊まりしてもらってはどうかな?」

「ええ、私もそうおもったのですが、集団生活は嫌らしいです。私のマンションの向かいの部屋が空いているのでそこに住んでもらいます」


 小笠原は庁舎の目の前にあるマンションの一室に仲間の女性隊員と一緒に寝起きしている。丘の上に立つマンションの最上階の部屋なので、日当たりも抜群だし、テラスから見渡す東京方面の夜景もすばらしい。今どきのマンションなので、二重窓、二重壁の防音や湿気対策も万全だし、ビルトイン洗浄機や床暖房もついている。しかし寝るときとシャワーを浴びるとき以外、ゆっくり過ごすことがないため、小笠原がその価値を享受しているとはいえない。


 一方、男性隊員の多くは、小栗も含めて庁舎内で共同生活を送っている。小栗だけは、執務室の横にある書庫を寝室にしているが、他の男性隊員は、それぞれの階の会議室に簡易型の二段ベッドを持ち込んで設営された寝室で一緒に寝ていた。


 ちなみに男性隊員は、庁舎から歩いて数分のところにあるスーパー銭湯に交代で出かけ、入浴をすますようにしている。小栗もいっしょだ。オーナーの好意により川崎の闘争員は通常の三分の一の価格で入湯できる。お湯も天然温泉だし、施設も充実しているが、残念ながら闘争員たちにはゆっくりとお湯に浸かっている余裕はない。しかも最近では外出、とりわけ公衆入浴時に襲撃される可能性も現実味を帯びてきたことから、庁舎内に急ごしらえされた男性用シャワー室を利用する者が多くなっている。


「そうか、なら仕方ないけど、大丈夫かな?」

「——堀田さんが外出の時は安全衛生部の隊員を交代でボディガードにつけます」


 そのとき、執務室のガラス窓が小さくカタカタと音を立てた。


「ドローンです!伏せて!」小笠原が叫ぶ。


 三人はすぐにテーブルの下に隠れた。


 ダダダダッ!


 窓ガラスが割れ、数十発のゴム弾が撃ち込まれる。


 銃声はすぐに止んだ。幸い、被弾者はいなかった。


 すぐさま、小笠原が立ち上がり、壁にかけてあったライフル銃で割られた窓からドローンめがけて立て続けに数弾発射するが、すぐに悔しそうな表情を浮かべた。

「——だめです、逃げられました」

「狙撃というには攻撃が荒すぎる。威嚇だな」

 小栗が床におちた缶ビールを拾い上げながらいった。

「はい、本気になればお前らなんていつでもひとひねりだぞっていうメッセージでしょうね」

 とこたえながら、小笠原はなおも周囲に伏兵がいないか窓の外から注意深く見渡している。

「ガラスも粉々だね」

 小栗は割れた曇りガラスにかけらも拾う。

「やはり防弾ガラスに変えましょうか?」

 と突然の銃撃に直面して、すっかり酔いが覚めた様子の鳥居が両膝を床についたままボソッといった。小栗は、見るからに臆病風おくびょうかぜにふかれている鳥居の表情を横目で見ながらすこしいらだたしそうにぼやく。

「実弾じゃないんだから、そこまでしなくてもいいんじゃない?ペアガラスみたいな強化ガラスでいいとおもうけど」


 小笠原がそこで口をはさむ。

「ドローン対策として、庁舎周辺の電磁防御でんじぼうぎょシールドを強化しておきます」

「あんまり強化しすぎてスマホが使えなくなったりテレビの映りが悪くなるのは困るよ。近隣の住民にも迷惑がかかるしね」

 ため息まじりの小栗の顔を見つめながら、小笠原は、そこでようやくライフルを床におく。

「明日、堀田さんにも他にいい方法がないか相談してみます」

「よろしく頼む。——それと、頼みついでに、明日の朝でいいから堀田くんにここへ立ち寄るようにいってくれ、聞きたいことやちょっと頼みたいことがあるんだ」

「わかりました」

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