第7話:密偵追放
すぐに小栗は水野を再び執務室に呼んだ。
部屋に入るなり、小栗のプロテクターにばっくりとあいたみぞおちの穴を見て、水野は心配そうな顔をした。
「ど、どうしたのですか?」
しらじらしい。すべて聞いていたはずだ!……と小栗は内心その場で怒鳴りつけたかったが、その衝動をかろうじて押さえつけ、表面的にはただ眉を動かした。
そして二人は午前中と同じ場所に着席した。
すぐさま小栗は本題へと話をふる。
「あなた、ここでさっき私が外を見ている間に何をしたんです?」
水野は大きな目を見開いたままキョトンとして、しばらく無言の間があった。
「いえ、なにもしていません」
が、あきらかに表情がおびえている。
「ほんとうです」
「さっき、盗聴器がこの机の下から発見されました。今日の午前中にここへ来たのは、鳥居くんと小笠原くん以外、あなた一人です」
「あっ……いえ、私はそんな大それたこと、する理由もないし、ほんとう、できるわけないです」
水野はそういいながらすでに半ベソをかいていたが、小栗は容赦しない。
小栗は懐から拳銃を取り出して、机の上に置いた。
「本来であれば、あなたをこの銃で私に撃たれても文句はいえないはずです。しかし残念ながら、あなたは闘争活動に参加していない、非闘争員です。この場で私があなたを撃つわけにはいきません。しかしこのままここにおいておくわけにもいきません」
「すみません、私、本当に知りません」
「なら、仕方ありません。あなたは本日限りで休職にします。本来ならしかるべき調査を行ったうえで処分を下すべきでしょうが、残念ながら、そういう余裕はありません。よってあなたは不服かもしれませんが三ヶ月間の休職処分にします」
水野は座ったままうなだれる。それからしばらくまた無言の時がながれた。が、その沈黙は水野がいきなり顔を上げたことでうちやぶられた。水野はくちびるをキッと結んで小栗の顔をにらんでいる。
「私、小栗さんを裏切るような真似は絶対しません」
小栗はその必死の形相を見て、一瞬息をのんだ。その真剣で怒りを帯びたまなざしがウソをいっているようには見えなかったからだ。
そして、とおい昔のとある光景が突如脳裏によみがえった。
——あれは高校三年生の時。小栗は応援部の主将だった。
小栗は、卒業式の前日に校舎の廊下で一人の後輩部員から声をかけられた。それは二つ下の女子部員。かといってチアリーダーではない。彼女はれっきとした応援部員であり、服装も男子部員と同じ、袖と裾をたくし上げた勇ましい学ラン姿だった。
「オッス!」
いきなり目に前に立ったその後輩部員は大声で挨拶した。小栗はすでに部活から離れて久しかったため同じトーンで返すことに気恥ずかしさを感じた。そこで右手の拳を咳払いするように口に当てがいながら遠慮がちに「オッス」と応答した。するとその女子部員は大きな目で真っ直ぐに小栗を見上げながら、お世話になりました!というなり廊下を走りさった。
三年生にとって一年生はまだお客さんであり、実質的にいっしょに活動を共にした期間も三ヶ月弱だった。さらに今にして思えば珍しい紅一点の女子部員とはいえ筋金入りの硬派だった当時の小栗には女性への関心そのものがそもそもなかったので、正直その時は彼女の名前すらも記憶に残っていなかった。しかし、その後輩部員の真っすぐな瞳は、小栗の不安定な心の奥にグサリと短刀を突きつけた。それはこの期に及んでも中森に従って政界へ進むべきか迷い続ける自分の未練を一瞬にしてバッサリ断ち切るほど強烈な一撃だったのだ。
その時の瞳が、いま目の前にあった。
「——あっつ、すみません、あなたはいい方です……しかし」
珍しく動揺した小栗は、視線を水野から外し、小さく深呼吸した。
「やはり休職です——が、その前に万が一嫌疑が晴れたら処分は取り消します」
「もし晴れなければ?」
水野はいままで聞いたことのないような低い声で間髪入れずに聞き返した。その勢いに押されて、小栗はまた水野の目を見る。水野の目からはひとすじの涙が頬を伝っていた。
「そ、その場合は三ヶ月後に改めて調査を行います。その頃にはすべてかたもついているでしょうから」
かろうじてそう言い終えると小栗は大きく呼吸した。正直、それまで多摩川県が持ちこたえられるとは思えなかったからだ。
「わかりました」
そういって水野は力なくうなだれた。
「悪く思わないでください」
小栗は立ち上がると、気持ちを落ち着かせるかのように所在《しょざい
》なく窓辺に向かってうろうろした。そして水野の細い肩を見ていたら、徐々に正気を取りもどした。
「最後にひとつお願いします。あなたの休職中の代行は小笠原くんにお願いするつもりなので、引き継ぎがある場合には今日中に行ってください」
と小栗はつとめて事務的な口調でいった。
水野は、顔を上げることもなくうなづいた。そしてガッカリと肩を落としたまま立ち上がり、軽く一礼をして部屋を出て行こうとした。
「ちなみにもちろん、休業中も給与は保証します」
小栗がそういうと、水野はだまって振り返り、少しほつれた前髪越しに小栗の顔をチラッと見たあとかるく一礼し、退出した。
小栗は、強い味方を失ったような気がして、ふいに目の前が真っ暗になった。
が、すぐに入れ替わりで小笠原がやってきた。その紺のプロテクターの横っ腹には銃創がパックリと開いている。
「失礼します」
「大丈夫か?」
小笠原は銃創を軽くなでながら、「ええ、業務には支障がないと思います」
とめずらしくはにかんだような表情をうかべた。
「そうか、ならよかった」
「今、廊下で水野さんとすれ違ったのですが、なにかあったのです?」
「うん、水野さんはーー休職処分にした」
小笠原はもちろん事情を察している。
「そうですか。ーー残念です」
「ついては、広報関係の仕事は君に一任するので、よろしく頼みます」
小笠原は表情を変えず、黙ってうなずいた。
「うかぬ顔だな」
「ええ、水野さんにはいろいろとお世話になっていたので」
「そうか……」
小栗の目にも30年前の女子部員の顔がふいに浮かぶ。
「それより、敵の動きですが、犬蔵と有馬にそれぞれ総攻撃の指示を出したようです」
「両面攻撃か……」
「主戦場は犬蔵でしょうね。敵は明日にでもバリケードの強行突破をするつもりでしょう」
「——東名川崎インター入口前か……よし、私も明日は犬蔵に行く」
小栗は自分のデスクのイスに腰掛け、真一文字に口を結んだまま天井を見上げた。
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