第5話:内通疑惑

 旧多摩区こと、南多摩市陥落のニュースは、もちろんショックだったが、それにもまして小栗には気がかりなことがあった。


 南多摩市長の藤浪は小栗の大学時代のゼミの後輩であるが、その縁で小栗にとっては最も信頼する市長の一人だった。藤浪はことあるごとに東京都や横浜側の動きだけでなく内部の穏やかならぬ情報も小栗に耳打ちしてくれた。


 一週間前にその藤浪から小栗に穏やかならぬメールが送られてきた。それは内通者に関する情報だった。


 藤浪によれば南多摩のバリケードの動きがすべて敵方につつぬけになっているというのだ。もちろん双方ドローンを飛ばして敵方の動きは探っているのでバリケードの場所ぐらいは特定できて当然なのだが、その日の動員人数や作戦までもあらかじめ敵方に漏れている可能性があるのだという。その情報はおそらく作戦本部から漏れている可能性が高いと藤浪は指摘するのだ。


 すぐに鳥居の顔が浮かんだ。すべての機密情報にアクセスできるのは鳥居一人だからだ。


 小栗は、同じような情報リークの指摘を麻生市の広報部長である宝来からも数日前に受けていた。彼は、広報部長の周辺が怪しいのではと付け加えていた。宮前市の広報部長は水野里美である。社会人と大学生のお子さん二人を持つ、人の良いおばさんだ。彼女がスパイだとは思えない。しかし、その職制上の部下であり、実質的に広報関係の仕事を仕切っているのが小笠原なのだ。かんがえてみれば、今や小笠原は完全に作戦本部の一員でもあり、おそらく鳥居と同じぐらい機密情報を共有している。


 小笠原毬藻まりもは学生時代に英国のクランフィールド大学への留学経験がある。そこはサイバーセキュリティの分野では最も名の知られた大学の一つである。実際にMI6の新人が多数、学生に混じっているといわれていた。そこで博士号を小笠原は取得している。つまり諜報ちょうほう撹乱かくらん偽計宣伝ぎけいせんでんのプロなのだ。


 鳥居と小笠原、二人のうちいずれかが裏切っているというのか?


 さっきは本人たちの前で座間との共闘作戦を承認しその実行を二人に任せると威勢よく言ったものの、二人が自分の指示通りに動いてるという保証はどこにもないのだ。もしかすると裏では宮前陥落のシナリオを中森と相談しているのかもしれない。二人とも殊勝な顔つきをしているが、ほんとうは慌てふためくおろかな自分の様子を陰でほくそ笑んでいるのかもしれない。………そうおもうと、たまらなく不安になった。


 小栗はすぐに立ち上がり、ドアを開け、廊下に向かって大声で二人を呼んだ。


 しかし、やってきたのは鳥居一人だった。小笠原は巡察じゅんさつに出かけたばかりだという。肝心の作戦遂行をほったらかしにしたのではと思ったが、鳥居によればどうやら部屋を出た後すぐに小笠原はパソコンに向かって何通かのメール発信を行い、確認の電話も数件入れていたらしい。内容はよくわからなかったが流暢りゅうちょうなクイーンズイングリッシュで会話していたとのことなので、きっと米軍関係者ともなんらかの連絡を取り合っていたのだろう。ただ、もしかすると、その人物が中森と結託している可能性だってありうる。その後、すぐに外出したというのも、考えてみればあやしい。確かに体力がありあまっているというか疲れ知らずというか、とにかく行動力の塊のような女性である。いつも通りといえばそれまでだ。数週間前に、体の様子をそれとなく気遣う小栗に対して、「自分はメンスフリーのホルモンレス闘争員ですから心配ご無用でお願いします」とさらりといいはなったことがある。本人にいわせれば、もはや女でもない、ということなのだろう。


 しかたなく小栗は鳥居に対して、小笠原が戻り次第二人して執務室に来るように伝えた。


 そこへ来訪者があった。


 広報部長の水野だった。闘争が激化し、日々県庁兼市役所の雰囲気が殺伐となる中でこの人の表情だけはいつもとまったく変わらない。年中春風が吹いているような人だとみな感心しているが、仕事はほとんど部下の小笠原に任せっきりで、直接仕事に関して小栗と接点をもつことはほとんどなかった。


 その彼女が、なぜ執務室を訪れているかというと、小栗自身が今し方チャットで執務室に来るように伝えたのだ。


「知事代行、お呼びでしょうか?」

「うん、お掛け下さい」

 そういいながら、小栗は自らも立ち上がり、執務デスクの前に置かれている応接セットのイスに着席するよううながした。

「実は——」

 といいつつ、小栗は深々とその若干小太りな体を手前のソファに預けた。そして目を閉じながら重々しく麻生市あさおしの宝来から聞いた噂を伝え、思い当たる節がないか聞いてみた。


 水野はまるで借りてきた猫のようにかしこまって座ったまま大きく首を左右に振った。よく見ると大きな目がうるんでいる。


 このままだと泣かれるかもしれないと思った小栗は、おもわず顔をそむけて立ち上がった。そして、窓から外の風景をながめた。


 眼下では、保育園帰りの親子や小学生が公園に通じる道をのどかに行き交っている。一見するととても平和な光景だ。敵の進軍はすぐそこまで迫ってはいるが、闘争活動に参加しなければ一般住民が危害を加えられる心配はない。流れ弾にあたる可能性もゼロとはいえないが、基本的に戦闘開始とともに住民には自宅待機アラートが発信されるため、今のところ非闘争員の重軽傷者はゼロである。しかし、住民が銃弾の音に不安を感じているのは間違いないし、市内各所に築かれた敵味方双方のバリケードのせいで生活物資の流通にも支障が出始めていた。なによりも度重なる闘争戦そのものの影響により、市政も県政も完全に麻痺している。住民の多くは今も多摩川県の独立を支持してくれているが、戦いに明け暮れて行政をおろそかにする役所には、内心絶望しているはずだ。


 とはいえ、住民からの闘争隊参加者があとをたたないというのもまた事実である。ここ数週間は連日のように100人単位の新たな志願者が県庁に押し寄せるようになった。老若男女問わず、みな多摩川県の独立のために仕事や学業を犠牲にして戦おうとする人々だ。


 もともと小栗は闘争活動そのものには否定的だった。あくまで

 政治家のひとりとして、対話を通じて改革を推し進めるべきと考える小栗には、いかなる理由があろうと暴力に訴えて力づくで相手を従わせるというやり方には賛同できなかった。


 だから当初は多摩川県の独立運動には全面的に賛同しながらも闘争活動そのものとは一定の距離をおいていた。しかし、多摩川県の本丸であった川崎市が、中森の非情な強硬手段により、いとも簡単に陥落したことをきっかけに、考えを変えた。暴力には暴力で対抗する以外にとるべき道はないとさとったのだ。そして、闘争隊への参加を決めた。


 それ以来——とくに最戸が凶弾に倒れてからは——多摩川県と自らの運命をともにする覚悟で、多摩川独立貫き隊の隊長として闘争活動に明け暮れた。時には疑問に思うことや戦線離脱の衝動に駆られることもあったが、多くの志願者や住民の期待を考えると、いつしか自分ひとりの意志では自らの進退を決めることすらできなくなっていた。


「わかりました。結構です」

 小栗はそういってから水野の方にふりかえり、ニカッとわらった。緊張した様子でイスに腰掛ける水野もつられたように相好そうごうを崩した。


 そしてそのあと世間話を二、三してから水野は部屋を退出した。出て行くときにはいつも通りの人のよいおばさんに戻っていた。



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