第3話:闘争隊法

 折しも大規模な市民運動と暴動が世界規模で起きていた。日本も例外でなく、憲法改正や環境問題、差別問題などをめぐり、いたるところで賛否双方の社会運動がおきるようになり、時には暴力や略奪行為に発展することも少なくなかった。


 やがて日本の社会はもてるものと持たざる者との間で完全に二局化してしまった。それに伴い政治はますます大衆迎合化し、ますます政治問題が自分たちの生活に直結するようになったのだ。


 過熱する民衆のエネルギーはいたるところで暴発し、しかも過激になるばかりであった。しかし軍隊や警察を介入させ鎮圧させることは、民主主義国では既に困難になっていた。かといって手をこまねいていれば取り返しのつかないことになるところまで事態は悪化していたのである。


 すべての始まりは、2020年、米国で起きた警官による黒人男性に対する暴行致死事件だった。


 黒人容疑者に直接暴行を加えた警察官自身が、免職になり起訴までされたたため、多くの警察官がデモへの介入を嫌がるようになった。為政者から見ても、警察の介入は、実際、過熱する民衆の反抗心をかえって刺激することも多く、むしろ逆効果だった。公権力によるデモの排除はもはや時代遅れとなっていた。しかもますます世界中がデモに飢えていた。このままでは政府だけでなく国家の屋台骨そのものが民衆の暴発によって根底から揺らぎかねないと感じた世界中の為政者たちは、適度にガス抜きする必要にせまられたのだ。日本も例外ではなかった。


 むしろ日本はある意味で最も切迫した事態に追いこまれた。折しも新型コロナウイルスによる長期の経済低迷の影響とオリンピック特需の反動から日本の失業率は10%まで悪化しており、若者を中心に政府や大企業に対するフラストレーションが充満していた。そこへデモ参加者にはじめての死者が出た。平時であれば、機動隊とのもみあいの中で起きた小さな悲劇として取り扱われたであろう。しかし、時期が時期だけに、マスコミの過剰な報道も手伝って、集団ヒステリーを引き起こす起爆剤になった。それをきっかけに日本中に60年代安保を彷彿ほうふつとさせるようなパニック状態が生じたのだ。そこで日本政府は、諸外国の例にもならい、苦肉くにくの策にうって出た。


 憲法21条に定められた表現の自由を拡大解釈して集団的かつ直接的な力の行使による抗議運動を限定的に認める法律を制定したのである。


 それが、通称、闘争隊法。


 あくまで人体には害を及ぼさない範囲での一定の暴力を法律上で許容したのだ。


 そのための条件として義務づけられたのがゴム弾銃とプロテクターの使用である。いわゆる闘争活動に参加する者は、指定のヘルメット、フェイスマスクの他、プロテクターと腕章を着用することが義務づけられた。着用せずに闘争行為にくみした場合、懲役刑が適用された。闘争活動への参加は18歳以上の国民全員に認められるが、事前許可が原則となっている。まず最初に内閣直属の闘争活動管理局に対して組織の登録を行わねばならない。この組織は、闘争隊と呼ばれる政治結社兼武装集団であり、管理局による許可に先立ち、各組織ごとに名称、スローガン、そして腕章にあしらう絵柄の登録が必要となる。インターネットで登録できるので誰でも手軽に登記ができた。


 プロテクターは銃弾を3発受けると自動的にブザー音とともに赤く発色する仕組みになっており、その時点で公職追放となる。その場合、警官(RCP:騒擾そうじょう監視警官)によって戦場退避のために一時的に拘束されるが逮捕されるわけではない。RCPは犯罪行為が行われる場合のみ違反者を逮捕できるが、ルールに定められた闘争行為が行われる限り闘争活動やデモそのものに対する手出しは一切認められないのだ。RCPはルール通りに戦いが行われているかを監視する責任を負っており、いずれかが宣闘を布告すると同時に闘争戦場へ急行する。いわば審判のような存在である。


 闘争隊法では、指定されたゴム弾銃による発砲は、それが、敵方のプロテクターを狙うものである限り、基本的にすべてルールに則っているとみなされる。もちろん故意によるケースは別だが、原則その攻撃の最中にプロテクター未着用の肢体へ命中させ怪我を負わせてしまったり、器物を破損させてしまっても罪には問われることはほとんどない。のみならず、目的達成のための直接的事前行為についてもルールでは認められている。すなわち相手を狙撃そげきするために行うガラスや扉を壊す行為も許容されるのだ。しかしながら、プロテクターの両脇に縫いつけられた紐を同時に引っ張るとプロテクターは青色に発色する。これは降参の合図であり、その時点で攻撃の対象ではなくなるため、仮に降伏を宣言した者に発砲した場合は刑事罰の対象となることもある。


 戦場では、3発のゴム弾を受け、公職追放となるケースはほとんどない。たいていの人間は、ゴム弾を2発受けると、みずから降参を宣言する。なぜなら公職追放処分となると、闘争活動への参加権剥奪はくだつはもちろんのこと、社会運動だけでなく政治的活動や公務への参加も認められなくなるからだ。また民間企業であっても上場企業の幹部就任は内閣府からの許可制となる。たいていの場合は恩赦おんしゃが適用され減刑となるものの、なにもなければ10年もの間、表舞台に立つことができなくなる。若者であればやり直しがきくが、一定以上の社会的な地位を有する人間にとって10年間の沈黙は、十分に致命的な処分といえる。


 これは国家への反逆行為にまで闘争活動が発展することを事前に阻止そしするための措置なのだが、結果として国民は、闘争活動への権利行使に際して相応以上ともいえる覚悟と自制を強いられた。しかし、それでも多くの人が運動に加わった。むろん、ゲーム感覚の参加者も少なくない。不思議なことに略奪行為や暴力行為による起訴はほとんどなくなった。人々は他人任せや無関心な態度にはあきあきしていたのだ。しかし、一方で無秩序な略奪や暴力行為にもうんざりしていた。秩序ある実力行使による参加型の社会変革を求めていたのだ。だから、たとえ動機がゲーム感覚であろうとなかろうと、闘争隊法の制定は人々のニーズに適合していたのである。


 いずれにせよ、闘争隊法の公布により民衆は正々堂々とデモに参加し、思い切り暴れることができるようなった。


 しかし、それは行政側にも都合がよかった。常軌じょうきを逸した暴れ者は容赦ようしゃなく検挙したり社会の片隅に追いやることもできるようになったからだ。


 つまり、自分の意に沿わない者は誰彼なく徒党を組んで誹謗中傷ひぼうちゅうしょうし、時には力でねじ伏せたいと考える民衆の思惑おもわくと、あくまで政権の安定と効率的な治安維持を第一に考える政府側の思惑が一致したのである。

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