第2話:小栗又市

 2年前まで小栗は横浜市長をしている中森浩太の第一秘書だった。


 もともと母子家庭で育った小栗は人一倍出世欲が強く、遠からず国会議員になり、さらに大臣になっていずれは国家権力の中枢に身をおきたいという野心を抱きつつ、高校卒業と同時に中森の事務所の門を叩いた。


 中森は数年前まで自民党の有力国会議員だった。政界のみならず財界にも顔が広い。しかし、とにかく手法が強引だったためとりわけ内部に敵も多かった。それがゆえに生じた内部抗争に破れ、いま現在は地方都市の市長の座に甘んじているが、決して国政復帰をあきらめたわけではない。また、東京都知事の吉岡健とだけは、同じ政治塾の同期ということもあって互いに兄弟のように信頼しあう関係にあった。


 中森の事務所にまずアルバイトとして採用された小栗はお茶汲みやメールボーイをこなしながら持ち前の才気を発揮して、やがて中森の目に止まるようになる。そして二年後には秘書として正式採用された。


 まず地方の有力行政区で力を蓄え、国政に打って出ることを考えていた小栗にとって中森はかっこうの足がかりだった。しかし中森は人使いが非常に荒く、夜中でも叩き起こすことをなんとも思わない生来の暴れん坊将軍である。言葉使いも乱暴で、時に打擲ちょうちゃくを加えることすらあったため、ほとんどの秘書は一年も持たずにやめてしまうのが常だったが、小栗は8年続けた。実務能力、調整力、そしてなによりも度胸や忍耐力に長じた小栗を中森はかわいがり、ありとあらゆることに利用した。後に中森が掲げる横浜第二都心計画の素案と骨格は、ほとんど小栗の手によるものと言っても過言ではない。


 しかし、中森は、4期目がいよいよ視野に入る頃から、さらに慢心するとともに、国政復帰の目処が立たない焦りから、その政治手腕は一層強引になった。


 国政復帰を果たし、閣僚となるためにはどうしても派手な演出と成果が必要だった。そこで考え出したのが、横浜市そのものを第二の東京にする案である。具体的には横浜、川崎、藤沢の3市を統合し、新生大横浜市を発足し、都知事並みの権力の集中をもくろんだ。藤沢からは賛同を得られたものの、川崎市長の最戸さいど史恵は首を縦にふらなかった。おおぜいの川崎市民も、自らの野心のためだけに意味もなく川崎を吸収合併するような中森のやり方に拒否反応を示した。そして小栗は早々に説得の難しさを悟った。


 小栗はその旨をすぐに中森に報告したが、中森はあきらめが悪い。まずは川崎市民の同意を取りつけることが先決と考え、川崎から横浜へのアクセスをさらによくするため、市営地下鉄ブルーライン、グリーンラインの延長工事を提案した。また結局は後々道路公団の反対で破談になったものの、川崎市民に対しては、第三京浜、横浜羽田線など横浜市と川崎市の高速道路の使用も無料にするアイディアを矢継ぎ早に発表した。とにかく、平日休日を問わず東京方面に流出している川崎市民の人の流れを横浜方面に方向転換させることで、川崎市を実効支配しようとしたのだ。しかし、最戸も川崎市民も中森の魂胆こんたんにいちはやく気づき、その提案を歓迎するどころか、積極的に反対の声をあげる始末だった。


 そして、小栗は途中から無理だとあきらめつつもなおも上司のいいつけどおり最戸のもとに日参するうちに、その懸命な態度に心を動かされ、いつしかミイラ取りがミイラになってしまったのである。


 もともと中森のやり方には抵抗感があったし、あまりに身勝手で強引なやり口に不満を感じるようになっていた。一方で、それまでの自分を支えてきた、自分の出世のためなら自分の感情も家族の団欒だんらんも犠牲にしてしまうような生き方にも疑問を感じはじめた矢先に、娘の有紗から「パパは悪党の子分なの?」といわれたことが決定打となった。


 当時有紗は小学校6年生だった。もともと動物や自然が大好きな有紗は小さい頃から植林や川の清掃活動などに積極的に参加する子供だった。最上級生になるとさらにその意識が強まり、学校の環境保護保護クラブに入部を決意した。しかし同級生の一人からそういわれて入部を拒否されたのだ。その同級生の親が筋金入りの中森嫌いだったらしい。旧世代の政治家である中森は、その経済最優先の箱物行政的政治手腕により、実際、環境保護や社会的弱者支援を訴える一派からは巨悪の権化のように見られていたのだ。


 結局担任の教師のとりなしで有紗は環境保護クラブへの入部を認められたが、同級生部員との溝は埋まることなく、むしろかえって気まづくなったため、一か月もたたないうちに退部を余儀なくされた。それからしばらく小栗と有紗のと関係もギクシャクした。


 その結果、小栗は、中森とたもとを分かち、最戸の懐刀ふところがたなとなった。そしてすぐに最戸の推薦で川崎市宮前区の区長に就任した。


 中森は、小栗と最戸を裏切り者と公然とののしった。ぜったいにたたきのめすと心に決めた。一方、川崎市の横浜併合についてもみずからの政治生命を賭け、必ず実現すると誓った。


 すぐに、神奈川県知事の佐伯涼子を動かした。佐伯は、元芸能人で政治にも行政にも定見がなく、もともと中森の支援で県知事なれたようなものだから、中森には頭が上がらないのだ。近頃ではあたかも中森の舎弟のように何をいわれても唯々諾々いいだくだくとふるまっている。


 一方中森は、経済対策にも抜かりがなかった。経済界とのコネクションを活用し、みなとみらいには、大企業の本社機能や宿泊、イベント施設を多数誘致した。本牧にはカジノをオープンする一方、シーサイドラインを藤沢まで延伸し、本牧、八景島、湘南を東洋のモナコにする計画を打ち出した。さらに上瀬谷の米軍通信施設跡地には世界最大級のショッピングモールの建設と中山からの市営地下鉄グリーンライン延伸工事、そして戸塚には人気アニメキャラクターがVRゴーグル越しに現れては物語の世界へいざなうデジタルアニメシティの設立を押し進めた。また関内をさらに埋め立て、霞ヶ関の機能の三分の一を移転する案についても東京都知事である吉岡から内々に合意をとりつけていた。


 東京都にしてみれば、コロナウイルスや防災対策として、都市機能と過密人口の分散することは急務であった。川崎市の労働力を失うことは短期的には痛手ではあるが、長い目で見れば代わりは埼玉や千葉からいくらでも補充できると考えている。——つまり、両者の思惑は一致したのだ。



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