多摩川県独立闘争攻防記‼︎

床崎比些志

第1話:孤立無援

「た、多摩が、陥落です!」


 鳥居はそう叫びながら市長兼県知事代行執務室に息咳いきせき切ってはしりこんできた。小栗は立ち上がり、ぼうぜんと鳥居の青ざめた表情を数秒凝視したが、すぐに椅子にへたりこんだ。それもそのはずである。南多摩市はいわば多摩川県の象徴のような存在だったのだ。


 小栗はショックのあまりデスクの上に両方の拳をにぎりしめたまま、ガックリとうなだれた。その横には、ヘルメットとフェイスマスクこそはずしているものの紺のプロテクターを上半身にまとい、ライフル銃を肩からさげた臨戦態勢そのものの小笠原が、顔色一つ変えることなく立っている。


「昨日、高津と都筑つづきが陥落したばかりだというのに……」

 小栗は歯がみしてくやしそうに右手の拳でデスクをたたいた。たちまち重苦しい沈黙が執務室を支配した。秘書の鳥居は、入り口のところで血走った目を見開いたままただ立ちつくしている。


「すでに横浜、藤沢連隊約2000が有馬周辺のバリケード前に陣を張ったとの情報があります。調布、狛江連隊の南下はどうにか神木しぼくバリケードで食いとめていますが、日野、府中連隊1500は、多摩市陥落かんらくの勢いをかって王禅寺方面から尻手黒川しってくろかわ道路を一気にそのままなだれ込んでくるでしょう。となると宮前への総攻撃は早ければ明日かもしれません」

 広報主任の小笠原が低い声で淡々と状況説明をした。


 この籠城戦が始まる以前は、20代の年相応のごく一般的な華も愛嬌もあるOLだった。しかし闘争戦が始まり各地を転戦するようになってからは、まるで本物のスナイパーか軍司令官になったかのように人相も様相も地味で険しくなり、そして人格までも変わってしまった。小栗でさえもここ数日、彼女の笑顔を見たことがない。


 一方の鳥居は彼女と同じ歳の男性だが、見るからに落ち着きがなく、ちょっとしたことでも慌てふためくし、動揺を隠さない。臆病なのだ。しかし、なぜか逃げ出さないし、逃走を匂わすような言動もなく、いつも小栗のそばに付き従っている。もともと東大卒で日銀行員というエリートなのだが、小栗らが掲げた多摩川流域新県独立構想の精神と理想に共鳴し、出世の道を自ら捨てて小栗の秘書になった変わり種なのだ。見かけによらず意気込みだけはツワモノなのである。


「市長、いや県知事代行、提案があります」

 そういって小笠原が、小栗の目の前に立ってデスク越しに体を乗り出した。

「これは最後の手段にとっておいたのですが——座間を味方に引き寄せてはいかがでしょう?」

 座間は多摩川流域ではない。小栗も鳥居も突拍子もない提案に耳を疑った。

「だいたい座間は相模原連合じゃないか。相模県の独立の動きはあるが、あそこは結束力が弱い。実現しないだろう。——ねらいは何だ?」

 小栗は小笠原の顔を凝視した。

「米軍です」

 鳥居が息を飲む。もともと広報部の所属だけのことはあり、小笠原はとりわけ広報、諜報を得意としてきたのだが、戦略や交渉術は鳥居の方が一枚上手だった。実際、今回の闘争の実質的な参謀役はずっと鳥居に任されてきたのである。しかし、小笠原は実戦を重ね、修羅場しゅらばをくぐることで確実に生来の才能に磨きをかけた。近頃では鳥居でさえも小笠原の戦略家としての枠にとらわれない斬新ざんしんな発想には舌を巻くことが多くなっている。

「米軍基地を通じて米国政府にも支援を要請するのです」

「さすがに無理だろう」

 小栗は苦笑いを浮かべながら、鳥居の顔をみた。鳥居は口を閉ざしたままでいる。


「いえ、可能性はあります。座間さえ、味方になってくれれば、伊勢原、相模原、厚木、大和も味方し、後方から横浜、藤沢連隊を急襲し、はさみうちにできるかもしれません!」


「いや、それよりも俺はあきる野や青梅など、多摩川上流地域に救援を頼むべきとおもう。多摩川そのものの存立に関わるのだから、同じ流域の市民として、きっと無下にはできないはずだ。——どう、おもう?鳥居くんは」

 といって再び小栗は鳥居の顔を見つめる。鳥居は小さく息をついて、ゆっくりと口を開いた。

「あきる野や青梅は、八王子に行く手を阻まれています」


 西東京の盟主めいしゅを自認している八王子は、東京都下の市町村が多摩川県に合流することには断固反対しているのだ。歴史的に江戸時代から幕府の天領てんりょうだった八王子エリアは、江戸(=東京)に対する帰属意識が比較的強い。さらに同じく江戸時代、八王子千人同心と呼ばれる武蔵国八王子を本拠とする治安維持組織が、かつて同じ武蔵国に属していた都筑つづき郡、橘樹たちばな郡と呼ばれていた現在の多摩川県主要エリアの多くを管理していたという歴史的経緯もその反感の背景にあるのかもしれない。


「八王子が頑強に抵抗する以上、たとえ彼らが味方になってくれたとしても、我々の救援にはかけつけられないでしょう。その間に我々は攻め落とされます。かりに有馬、犬蔵いぬくらなどの主要バリケードが破られ、この庁舎を包囲されたら食料は三日分しかありません。このまま救援がなければ敵の総攻撃を待つことなく自滅します。それに今回の抵抗運動は、もともと東京と横浜という二大都市の狭間はざまで自らのアイデンティティを確立できずいた都市部のサラリーマン層が発端ですが、地理的条件が異なる奥多摩方面で同じような支持や共感が得られるとはおもえません。それよりも横浜市への不信感を募らせている相模原連合の方が、共感を得られる可能性はあるし、米軍の後ろ盾というのはやはり魅力的です。横浜、藤沢連合だって、表面的には静観を決め込んでいる東京23区だって、米軍やホワイトハウスを敵にまわしたくはないでしょうから、少なくとも敵のモメンタムをくじくぐらいの効果は期待できます。非常に難しいミッションですが、一か八か、小笠原主任の提案にかけてみるしかないとおもいます」

 と顔はあいかわらず青ざめているのに口調や論理はいつもどおり冷静で明晰だった。


 そう言われると、小栗は何も言い返すことはない。もともと小栗は二人に絶大な信頼を置いていた。

「わかった。二人のいうとおりかもしれない。——任せる」


 小栗の返答を確認した鳥居と小笠原は互いに顔を見合わせ、うなずきあうと、一礼をしながら足早に退出した。


 一人、執務室に取り残された小栗は、デスクの上で、近ごろすっかり髪の毛のボリュームが減ってしまった頭を両手で抱えた。


 降伏するか?それとも最後まで希望を捨てずに戦い続けるか?


 小栗は静寂の中、虚空を見つめながら自問したが、あらためて自答するまでもなくもう腹は決まっていた。

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