レゾンデートル

手袋と風船

レゾンデートル


 青空に手を伸ばした。

「羊雲とウロコ雲ってどう違うの」

「さぁ。キメの細かさかな」

 私のどうでも良い質問に、同じくどうでも良さそうに答えた彼女は、ストローをずずずと鳴らして、プラスチック製のカップに入った、なんたらフラペチーノを飲み干そうとしている。

 おそらく近くにゴミ箱が無いから、ほとんど惰性で持っているだけなのだろう。その証拠に、上に乗っていたホイップは溶けた細かい氷と混ざって、半透明の白い液体になりつつあるし、彼女の唇に隠されているストローの先は、無惨にも噛み潰されている。

「最近さ、公園にゴミ箱無いの、なんでかなぁ」

「さぁ。テロ対策とか、野良猫対策とか?そんな感じじゃないの」

 やっぱり彼女はそのなんたらフラペチーノのカップを持て余しているらしく、私のどうでも良い質問に、ちょっと顔を顰めて適当に答えた。

「なんか、住みにくいね。やだな。いつからだろ」

「知らなかっただけでしょ。前からそうだったよ」

「前?前からって?」

 公園からゴミ箱が消えたのが何年前からなんて正確に答える人なんてごく稀だと思う。だから、この質問は、ほとんど反射的に口にしたものだった。相槌と一緒だ。

 むしろ今までの質問のなかで一番受け流して良いような、質問だったのに。

 彼女は、答えた。

「×××年前からだね」

 途端、私のなかで、誰かが「あっ」と声をあげた(いや、これはあくまでも私の脳内イメージだけど)。

 そして私は、青空の下、緑泳ぐ公園のベンチで、隣に座る彼女の首筋の電源を落とした。

 スリープモードになったとしても、彼女は人間のように、なんたらフラペチーノを地面に落としたりはしなかった。

 こうなるともう、今しがたまでの彼女の「人間らしさ」は消え、カチコチに固まった姿は、どちらかというと、よくできた人形のようだった。

「ちょっと惜しかったなぁ。あともうちょいって感じ。またプログラミングし直さなきゃ」

 ベンチの後ろに立てかけておいた台車を組み立てながら、私は独りごちる。

 ×××年前に滅んでしまった「女子高生」という概念を、私は、いま、再現しようとしている。

 文献を洗い、長命な老人たちに取材をし、それでも頼りなくおぼろげな彼女たちの輪郭を何とか辿ろうとしている。

 彼女達は何となくふわふわとしていて、可愛いものが大好きで、漠然とした平和と不安に怯える。

 ただの記号にも等しい「誕生日」を迎え、次の研究材料を探していた時に、彼女達を知った。

 彼女達は、発する言葉も行動パターンも思考回路も知れば知るほど興味深い存在だった。

 なんだか全然違う星から来たみたい。

 私と、同い年なのに。

 台車に彼女を固定して、私はガラガラとそれを押しながらバーチャルルームから出て行く。

 もうこの世界には、なんたらフラペチーノを売ってるお店はないし、ゴミ箱もないし、野良猫もいないし、緑に輝く公園もないし、なんなら見上げる青空もない。

 みんなみんな、彼女達を再現する為に調べて得た情報だった。全て手探りでようやくここまできた。

 私は知りたいのだ。

 いつか女子高生の再現に成功して、何にもなくなってしまったこの世界を見せたとき、彼女にはどんな風に世界が見えるのか。

 最早この世界に感想を無くした私に、彼女は何と言うのか。

 何故そこまで彼女達にこだわるのかと尋ねられたこともある。

 確かに小さな頃から適正を定められ、ある程度の未来を用意され、そのように育てられる私たちに比べて、同い年の彼女達はあまりに未熟で不安定で非合理の塊だった。

 そんな存在を再現して意味があるのか。私の研究に彼らは決まってそう言う。

 彼らの指摘はいつだって的確だ。そしてだからこそ、きっとこの世界には何にもなくなってしまったのだろう。

 彼らはそうやって、答えのない不安定なもの達を削ぎ落としていったのだろう。

 もしかしたら、私は期待してるのかもしれない。彼女達のような「余分」で「不安定」で「非合理」の塊のような存在を、もう一度この世界に置いて、答えのない質問と、合っているかも分からないもやもやとした返事を、欲してるのかもしれない。

 だってほら、今日も。

 全てに正しい答えがある世界では、「私が生きる意味」という答えはどこにもなかった。

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