1ー1 サバク ノ ヨル
銀月が砂の大地へとその光を落とす。完全な闇と比べれば、その視界は十分すぎるほどに通るといえるだろう。
そんな月夜の砂漠を、小さな影が音もなく疾駆する。足場としてはこの上なく悪いといえる砂地を、闇夜にあってなお暗いコンバットブーツが踏みしめていく。
「数はひとつ……か」
若い、少女の声。息も切らさず呟きを漏らす。
直後、進路上にあった構造物へと飛び移る。
高層ビル……の、成れの果て。
栄華を極めた遠い時代の象徴であり、今は風化し、見るも無残に倒壊した、かろうじて一部その形を残したその中を、人影ーー少女は駆けて行く。
その後ろを、大きな一本の影が追う。
巨体をくねらせ、威嚇に口を開き長い舌を人影へと伸ばしながら迫る巨大な、蛇。
その舌を、少女は振り返りもせずに小さな蛇行でかわしていく。
砂避けに羽織ったローブをたなびかせ、被ったフードの端から僅かに覗く髪色も夜闇ではいかなる色合いか。構造物の隙間から差す月光を受け、ほのかにきらめくようにも見える。
「サンドサーペントに遭遇なんてね」
寝付けず、サンドトレイルから軽く夜の散歩に出てみたらこれだ。
サンドサーペントは基本単独行動をする生き物であり夜行性とされているから、遭遇そのものは別段珍しいわけでもない。が、柔らかな砂地を好むかの砂蛇が、どちらかというと岩盤とコンクリだらけの都市遺跡付近に居るとは少々予想外ではあった。
発した言葉の内容の割にさして焦るでもなく、少女はなるべく平坦な箇所を選んで駆け抜ける。
そしておもむろに、腰後ろのホルスターに右手を伸ばして得物を握りこみ、
「悪いけど、おやすみ」
進路の先、ビルを支えていた柱へとソレを横薙ぎに振るう。
一閃。返す手でまた一閃。
拳銃型のその得物、その銃身の下部から銃口にかけて発生した光の刃。
高密度エネルギーを固定した、非実体の剣。
レイガン・ブレード。
さしたる引っかかりもなく次々にビルを支える柱を切り裂いていき、勢いのままビルから飛び出した少女は、危うげなく数メートル下の砂地へと着地する。
そして少しの間を挟んで、支えを失ったコンクリートの塊が夜の静寂を飲み込んで崩落する。
「……ん、さすがに仕留めきれないか」
倒壊した瓦礫の隙間を縫って、サンドサーペントが頭を覗かせた。動きは封じられたが、それだけのようだ。それにあの砂蛇のりょ力は凄まじい。抜け出られたら厄介だ。
小さく息を吐くと、頭を覆っていたフードを下ろす。
露わになったのは、十代半ばか後半に差し掛かったかくらいの少女の顔。怜悧な印象を与えるやや切れ長の目は空よりも澄んだ蒼い色にも見える。そして月光を受けてなお銀に耀く長い髪は、邪魔にならないように首筋あたりで無造作に括り流している。
だが、なにより目につくのは─左頬に走る一筋の傷痕。
精緻な造型の中に生々しく残るその傷が、一種人形めいた少女のカタチに生を感じさせる。
少女は流れるような動作で右手の得物のグリップを倒し変形させる。
ガンモード。圧縮した非実体、高密度のエネルギー塊である光学弾頭を撃ち出す形態。
その銃口を砂蛇へと向け、ろくに狙いをつけることもなく発砲。
レイガン特有の、空気を切り裂くような発砲音。と同時に、砂蛇が大きく奇声を上げる。2、3度首を振り回したあと投げ出し、そして動かなくなった。よく見れば、脳天のど真ん中に3発分の弾痕がある。
「……ふぅ」
《始末はついたか、リース》
不意に流れるヘッドセット越しの合成音声。男性のように響くやや低音の、硬い声音。
「おかげさまで。ていうか探知してたなら手伝ってよ、アル」
《静音待機モードのため不可能だった。そもそも、たかが非武装のトレイルに無茶を言わないでほしいものだ》
「元戦闘用AIがよく言うよ」
《ならば武装のひとつでも取り付けたまえ。こちらの堪が鈍ってしまう》
ああ言えばこう言う。口の減らない相棒に少女ーーリースは小さく嘆息した。
《それで、合流しないのか。現在巡航待機、いつでも迎えに行けるが》
……口は減らないくせに気は利くのだから、ホントこのAIは始末に負えない。頼れるのだけども。
「こっちの位置は把握してるでしょ? 待ってるから早く来て」
《了解した。徐行で向かうとしよう》
内心で評価すればこれだ。何度目ともしれないため息を返事代わりとして、リースは夜空を仰ぐ。
月光が空全体を青みを帯びた黒に染め上げ、その空に幾つもの星が瞬いている。それを遮る地上からの光もない夜空は、文字通り満天の星空だ。
昔の人間は、その星の並びに規則性を見出して、星座なるものを当て嵌めていたという。
ロマンだなと、リースは思う。
実際は、宇宙に浮かぶ幾億もの恒星の光が、時間差でこの星に届いただけだ。それに意味を見出すその意気にロマンを感じ、その感性に憧れる。
……かつて、戦争があった。
殲滅戦争によって地球環境は激変し、海は干上がり、地表はほぼ一面砂の大地へと変貌したという。
だがそれは、遠い昔の話。今を生きる自分達には、その結果しか知る由はない。
爪痕はいくつも残り、その時代の建造物や物資、兵器などが各所に埋もれていても、それが存在した理由は推察しかできないのだ。
そこにロマンを見出す者、使えれば良いと言う者など様々に居る。それで良いのだろう。
ふと、静寂の中に小さく重低音が混じる。
視線を音のする方へと向ければ、一両の大型装甲車両……サンドトレイルが僅かに砂埃を舞い上げながら悠然と近付いてくる。
サンドトレイルとは、全体を曲面装甲で覆い、無限軌道もしくは多脚ユニットによる歩行によって砂漠などの不整地を移動するための、砂漠に住む人のための家であり脚だ。
また、集落あるいは街と呼べるほどに発展した場所は幾つかあるものの、それでも一つところに留まる事を選ばなかった人はそれなりに居る。そういった人々らが作る集団をサンドキャラバン、あるいは単にキャラバンと言う。通常は複数のトレイルがある程度より集まってコレを作るが、単独のトレイルで行動してる者は少々珍しい。
《周囲に動体反応はない。この位置で泊まるか?》
「さすがに倒したサンドサーペントのすぐ傍はぞっとしない。元の野営地に戻ろうか」
トレイル横のハッチを開き乗り込みながら応えると、アルからは承知したとの簡潔な応答が返る。
《急ぎではないとはいえ、荷運びの依頼もある。コースに沿った場所を選定しよう》
「いつまでだっけ?」
《明後日。現行程なら特に遅れは生じない》
「了解、任せるよ」
エアロックで砂を落とし内側ハッチをくぐる。内部は……端的に言って狭い。
元々ジャンクとして放棄されていたものをレストアしたもので、そこに様々な装備などを後付けで載せているのだから仕方ないのだが。
車両前部は操縦席となっていて、モニター越しか装甲を開いての目視で視界を得る。乗り込んだ中部から後ろは居住エリアであり、埋め込み式のロッカーやウェポンラックなどに置いやられる形で簡易ベッドが端の方に雑に設置されている。また、車幅のほとんどを装甲と断熱に使っているため、見た目以上に内部容積は少ない。動力のソーラーリアクター本体は車体の下部にある分そこまで影響はないのだが、それでも付随する足回りの機構もあって、やはり狭いのだ。なにせ、調理スペースすらまともにないのだから。
使用したレイガンを充電ソケットに挿し込み、ようやく一息つくと、リースは引き出した側壁の椅子へと、乱雑にジャケットやアーミーパンツなどを放り投げてラフな下着姿になった。
砂漠住まいながら色白とも言えるその身体は、あちこちに傷こそ残るものの無駄の削ぎ落とされた肉体だ。細身ながらも引き締まった腕に脚、女性的なラインを保ちつつもしなやかな筋肉が垣間見える胴回りなど、見る者が見れば惚れ惚れするものだろう。が、
《毎度思うのだが》
「なに?」
《僭越ながら君は、もう少し慎みを覚えるべきではないか?》
「余計なお世話っ」
残念ながら、ここにそんな殊勝なモノは居ないのだ。
一言余計な相棒に警戒を任せ、リースはベッドに横になる。
《……やれやれ》
寝入る直前に相棒のそんな声が、聞こえた気がした。
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