第10話


「す、凄い・・・!」


 岩陰から覗く先。

 漆黒の刃を振るう白の姿に、一人の女がただただ感嘆の声を漏らす。


(こんなに強い人は、教導員の中にも居ないわ・・・)


 教導員とは、事件が起こる前にカフチェークの世界で警視庁の職員にゲームをレクチャーする係だった者達が、事件後に警官の中で起こした組織の事で、元々、この世界での荒事に対応する為に、高レベルを誇っていた集団なのだった。

 そんな教導員という存在と白を自然と比べる女。

 名は《平塚ひらつか ゆい》といい、身長はスラリと高く、通直な幹の様に整った姿勢で立ち、その容姿も美人ではあったが、化粧気は殆ど無く、肩までの髪も飾り気の無いゴムで一つ結びにし、なるべく女を感じさせない様な立ち姿は、男装の麗人の集団に居そうなものだった。

 その為、中高と女子校で過ごした結は、多くの下級生達から告白される日々を過ごしたりもした。

 その後、大学に進学、そして卒業後に警視庁に採用されて三年目で25歳になる結。

 結は、不運にも事件前にアイタースの研究に協力する為に警視庁が派遣した巡回員に選抜されていたのだったが・・・。


(彼が白井白・・・。この事件の重要参考人として、英輝兄さんがマークしている人物・・・)


 事件発生直前。

 カフチェークで職務中だった結へと、警視の兄から届いたメール。

 其処に記されていたのは、警視庁の持つ特殊なネットワークが何者かの攻撃を受けているという事。

 どうやら、その攻撃には警視庁のレベルでは対応出来ないという事。

 しかし、犯人は既にプレイヤー達を人質としている為、強制的にそのネットワークを切断する事は出来ないという事。

 そして、その犯人へと繋がる存在として、英輝が白井白という人物をマークする様にと結へと伝えて来たのだった。


(でも、英輝兄さんはアイタースやカフチェークは担当して無かったし、現実世界では今どんな事件が起きてるっていうの・・・)


 届いたメールを見た結は、犯人に悟られた時の事を考え、英輝が重要な情報を伏せたものだとは直ぐに理解出来た。

 しかし、英輝が何処からの情報で現在の様な状況になると知ったのか?

 そして、犯人へと繋がる存在として白を見つけたのか?

 そんな、刑事としての疑問も、結局は打ち消してしまうもの。

 それは・・・。


(英輝兄さんが私を認めてくれた・・・)


 それは、父も、母も、そして英輝の上の兄も尊敬している結。

 しかし、英輝にはそれ等と異なる感情を抱いている結。

 その英輝が、偶々カフチェークに自身が居たとはいえ、それでも自分を頼ってくれたという事実こそが重要であり・・・。


(英輝兄さん・・・)


 そんな英輝の横顔を思い浮かべると、胸に抑えきれない禁忌に等しき感情が湧き、それを抑える為に爪を胸に突き立てた結。


「っ・・・」


 一瞬の自傷行為の痛みで、否応無く迫り来る感情から視線を逸らした結。


「・・・」


 結は心を落ち着ける様に一拍の間を置き、再び白へと視線を向けた。


(何より、あんな姿のモンスターと向き合うなんて・・・、信じられない!)


 意思の強そうな双眸に映ったのは、その優男な雰囲気とは不釣り合いな黒刃を手にした白と、その白に斬り刻まれてしまったガデューカの骸。


「ぅ・・・」


 ガデューカの無残な姿より、その気色の悪さから吐き気を催した結だったが、反射的に逸らしそうになった視線を堪え、それを視界のギリギリ端に置き続けた。


(蛇って・・・。開発者の趣味を疑うわ!)


 世の中の一般的な女性は勿論、結も蝮の姿を持つそのモンスターはかなり苦手な存在で、ガデューカを目にした最初から、その白肌には鳥肌が浮かんでいたのだった。


(それにしても、本当に強いわ・・・)


 ゲームの世界ではステータスが絶対という事は知識としてしか理解出来ていない結からすると、白の動きの無駄の無さからは、相当の研鑽を感じ、素直に称賛の言葉を思い浮かべていた。


(ゲームも意外と奥深いのね・・・)


 アイタースとカフチェークを担当する任務に就くまでは、ゲームというものを殆どした事の無かった結。

 そんな結が何故この任務へと就いたのかというと、其処には結の家族が関係していた。

 結の家族は父親と母親、そして英輝とその上に一人兄がいて、結と英輝だけでなく、父親と長兄も警視庁に勤めていた。

 しかし、父親と長兄は所謂キャリアの道を進んでいて、結と英輝はノンキャリアの道を選択していたのだった。

 父親と長兄は、最初英輝の選択に反対したが、最終的にはその強い意志に負けてその道を許したのだった。

 しかし、その後の結の選択である。

 父親と長兄は、英輝の時の比では無い反対をしたのだが、結局、結は二人には従わず自ら選んだ道を進んでしまう。

 だからといって、一人娘の結を遠ざける様な事も出来ず、結局は常に気を配り続けていた時に、このカフチェークへの派遣の話が出て来たのだった。

 これぞ渡りに船と結を其処へと押し込んだ父と長兄。

 其処には、ノンキャリアの道を選んだ結を心配し、少しでも現実の実戦から遠ざけようという親心があったのだった。


(それが、この状況なのだけれどね・・・)


 結からすれば、父と兄の狙いは外れたが、現状は望んでいた状況からはそう遠くないものだった。


(事件を願うなんて・・・、不謹慎よね)


 無論、被害者など生まれない社会こそ、日本で働く全ての警官の願いであり、結もその一人ではあったが、英輝を目標とする結からすると、少しでも実戦で活躍したいという願望も、常に胸に抱いていたものなのだった。


「・・・」


 ガデューカの亡骸を目にした衝撃からも落ち着きを取り戻した結。

 その視線の先にしっかりと捉えているのは、ここ数日で見慣れてきた白の横顔。

 それは、結から見て、本当に何処にでも居る青年のものであり、カフチェークのリアルな感覚と合わさり、此処がゲームの中である事を忘れてしまいそうなものだった。


(その強さ以外には、行動も含めて気になるところは無いのだけれど・・・)


 勿論、結も白に尾行を気取られている可能性は想定していたし、それを考えて白が大人しくしている可能性もあるとは思っていた。


(それしても、事件の重要参考人が前線で生命を危険に晒すのかしら?)


 結としては、英輝の勘は兄としては勿論、職場の先輩としても絶対的に信頼出来るものだった。

 しかし、それ等を踏まえた上でも、自分なりに考えを纏めてみると、現在のカフチェークの状況での白の行動は、結にとっては理解出来無いものだった。


(可能性としては、彼だけ特殊なルール下に身を置いているかもしれないけれど・・・)


 結は教導員から教えられたチートという言葉を思い返しながら、深く考え込む様に視線を落とした。


(彼は死なない?)


 結の考えるチートは最も単純なもので、白には他のプレイヤーと違い、生命の危機が無く、その為、ソロでモンスターと対峙するという無謀な行為が行えるというものだった。


(回復アイテムを使用したのはフェイクだったのかしら?)


 ここ数日の尾行で、白が回復アイテムを使用するのを目にしていた結は、それすらも白からの自身へと偽の情報を植え付ける為の罠であるとさえ考え、より深く視線を落としてしまった。


「・・・」


 実際白はユニークスキルというチートを持ってはいたが、それは結の考える様なもので無かったのだが、結論までの道筋を増やすばかりの思考に、やがて結は自身の状況すらも忘れてしまう。

 そして、それは今やこのカフチェークでは、致命的なミスと言うべきものだった。


「シィィィ・・・」

「え?」


 視線を落とし、思考を巡らせていた結の耳に、刃を研ぐかの様な音が静かに届き、結は音へと視線を上げる。


「・・・」

「・・・」


 すると無言で打つかったのは四つの瞳。

 二つは長い睫毛の傘の下、純粋さを示すかの様に黒く輝く結の双眸。

 もう二つは、何処までも濁りきり、その底が見えないガデューカの双眸。

 突然の事態に生み出された静寂の間は刹那。


「きゃぁぁぁ‼︎」


 結の絶叫によって、あっさりと破られた。


「シッ⁈」


 全身に高音の絶叫が響き渡り、その身を覆う鱗が全て立ちそうな感覚にでも襲われたのか?

 通常感情を示さぬガデューカの濁った双眸に、驚きの様なものが浮かぶ。

 しかし、その状況は結にとっては千載一遇のチャンス。

 結のカフチェークでのレベルは未だ15の為、ソロで第四位に位置するガデューカに対応する事はまず不可能であり、奇跡的に生み出されたその隙を活用しない手はなかったが・・・。


「っ・・・!」


 完全に無防備で立ち竦んでしまった結。

 対人の犯人相手であれば、そんな失態を犯す事は無かった結だが、流石にガデューカに対しては、当たり前で対する事が出来ないのだった。

 そして、チャンスの裏にはピンチがあるもので、その大きさに比例する様に、結を襲うピンチは絶体絶命と呼ぶに相応しいものだった。


「シィィィ!」


 一瞬前の驚きが嘘の様に、ガデューカの双眸が嗜虐的な色に染まり、交戦の意思を鳴き声に込め、その身で地を這う。


「っ⁈」


 その先では、獲物である結が更にその身を固くしていた。


「シュッ‼︎」


 それはガデューカの鳴き声か、風切り音か?

 聴力の限界を超えた先の様な音にならない音と共に、高速の跳躍を見せたガデューカ。


「ぁ・・・」


 自身へと宙を切り裂き迫るガデューカに、脳は確実に逃げろの指令を発した結だったが、全身の細胞はその信号を拒否する様に固まって動けず・・・。


「シッッッ‼︎」

「つぅ‼︎」


 無防備にガデューカの牙の餌食となってしまった。


「ぅぅぅ・・・」


 結の肩口へと突き立てられたガデューカの牙は一瞬。

 苦しそうに呻き声を上げる結を、静かに観察する様に、ガデューカは距離を取る。


(不味い・・・、毒!)


 傷口を押さえる為に手を伸ばし、やっと恐怖で固まった身体が動き出した結。

 それに伴い落ち着いて来た脳は、一瞬で教導員より教育を受けたガデューカの特性を思考に巡らせ、自身の状況を理解させた。


(HPゲージはまだ・・・)


 自身のHPの確認をしながら、アイテムポーチへと腕を伸ばす結。

 その残りを見て、優先して取り出すべきは解毒薬であると判断し、解毒薬を取り出そうとしたが・・・。


「シィィィ!」

「っ⁈」


 当然の如くそれを許す様なガデューカでは無く、結の回復を妨害する様に素早く結へと跳び掛かり、結は回復を諦め、その場から跳び退いたのだった。


「ぅ・・・!」


 傷口への痛みは一瞬。

 全身へと広がる痺れる様な感覚に続き、強制的に生気が抜けていく様な感覚を覚え、結がHPゲージを確認すると、先程までよりも残量が減っているのが見えた。


(毒の所為だわ・・・。でも!)


「シュルルル・・・」


 徐々にHPが減っているのは確認出来た結だったが、ガデューカは結が解毒薬を取り出す為に無防備になるのを、文字通り舌舐めずりしながら待ち構えていた為、その腕をアイテムポーチへと再び伸ばす事は出来なかった。


(こんな事なら・・・)


 無論、其処には現状誰を信用して良いか単純に判断を下す訳にもいかず、情報を何処まで広めて良いのかという考えもあったのだが・・・。


(っ・・・!)


 心の何処かであった父と長兄を見返したい。

 そして、何より自身へと情報をくれた英輝の期待に応えたい。

 そんな子供染みた考えから、単独行動を取ってしまった事を後悔する結。


「こんな所で・・・」


 ポーチからアイテムを取り出さない事には、回復はおろか、逃げる事さえ不可能な現状。

 勿論、生き抜くのを諦めた訳では無かったが、結は一か八かの賭けへと出る事を余儀無くされる。


(直撃でなければ一撃位は耐えれる筈!)


 既にHPゲージは心許ないものになっていたが、これ以上時間が掛かれば、完全に不可能になってしまう。

 結は攻撃を受ける覚悟を決めて、アイテムポーチへと腕を伸ばすのだった。


(英輝兄さん・・・!)


 その脳裏には最期の瞬間になっても後悔しない為に、最愛の人の姿を刻みながら・・・。


「シィッ‼︎」


 結の動きに反射の速度で跳び掛かろうとしたガデューカだったが・・・。


「ギィィィーーー‼︎」


 ガデューカの上げた絶叫。

 それは獲物への最期を伝える威嚇の声では無く、自身の終わりを理解した断末魔の叫びなのだった。


「え・・・?」


 驚きからアイテムポーチへと腕を伸ばしたまま、呆然と膝を突いてしまった結。


「・・・」


 その視線の先には、脳裏に刻んだ英輝の姿に重なる様に、妖しく光る黒刃を手にした白井白が立っていたのだった。

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