第140話 鋼鉄のクラウス~青池先生へ愛をこめて

「何かの間違いじゃないのか?」


「……」


 じいは、フリージア王国に敵の間諜――つまりスパイがいると言う。

 だが、俺は反射的に否定してしまった。

 あまり身内を疑いたくない。


 じいは、俺から視線を外し何も答えない。

 すると、情報部長の隣に座る体格の良い男が答えた。


「随分と甘い考えだな」


 ズケズケした言い方に、俺はむっとする。

 普段は無礼を咎めないが……。

 俺は思わず声を荒げた。


「甘いとは、どういう意味だ!」


「そのままの意味だ。フリージア王国には百を超える貴族がいる。その中の一人や二人が裏切っていても不思議はない」


 王子の俺が声を荒げているにもかかわらず、男は眉一つ動かさず平然と答えた。

 じいが、小声で男の名を告げる。


「あれは情報部のエーベルバッハ男爵です。クラウス・デルモント・フォン・デム・エーベルバッハ男爵。第一騎士団にいたのですが、情報部に引っ張ってきました」


「名前からするとブルムント地方の出か?」


「はい。お父上が戦に敗れ、幼い頃我が国に亡命してきたそうですじゃ」


「では、領地のない法衣貴族か?」


「そうです。なかなかのやり手で第一騎士団では、『鋼鉄はがねのクラウス』と呼ばれておりました。あれがしっかりしておるので、ワシもアンジェロ様のもとに戻れましたわい」


「鋼鉄のクラウスね……」


 鋼鉄のクラウス――エーベルバッハ男爵は、黒髪強面のイケメン。

 年は三十才をちょっと過ぎた位だろうか?

 ブルムント人らしく、長身でガッチリした体格をしている。

 目つきが鋭く、なるほど仕事が出来そうだ。


 情報部長を見た時は、『この人で、情報部は大丈夫かな?』と少し心配したけれど、エーベルバッハ男爵がいるなら情報部は大丈夫そうだ。


 俺とじいが小声で話している間に、情報部長とエーベルバッハ男爵が、やり合い始めた。


「エーベルバッハ君! 控えたまえ! 相手はアンジェロ王子だ! 少しは、わきまえたまえ!」


「部長、俺はわきまえていますよ。これが部下なら、即アララト地方へ左遷です」


「君には……、部下の失敗を許す寛容さが必要だぞ!」


「無能な上司を許す寛容さの方が先に身につきそうですよ、部長!」


 情報部長とエーベルバッハ男爵は、激しくにらみ合っている。

 さすがは鋼鉄のクラウス!

 皮肉も一流だ!


「じい! この二人は、大丈夫なのか?」


「今ひとつ自信が持てません……」


 見かねたヒューガルデン伯爵が、二人の間に割って入った。

 アルドギスル兄上のお守りといい、この人も苦労人だな。

 笑顔だけれど、頬が引きつっているぞ。


「まあまあ……。エーベルバッハ男爵! それよりアンジェロ様に、間諜について説明を――」


「そうでしたな。部下アイン! 部下ツヴァイ!」


 アイン、ツヴァイは、ブルムント地方の訛りで、数字の一と二だ。

 この人は、部下を数字で呼んでいるのか!

 部下一号、部下二号、みたいな?

 そのセンスは理解できない!


 エーベルバッハ男爵が大声で部下を呼ぶと、扉が開き書類の束を抱えた部下が二人入ってきた。


「ご苦労。部下アイン! アンジェロ王子の前に書類を置け! 部下ツヴァイは、ヒューガルデン伯爵の前だ!」


「「はっ!」」


 部下アインと呼ばれた男はテキパキと動き、部下ツヴァイはややもっさりと動く。

 俺の目の前にドサリと書類の束が置かれた。


「アンジェロ王子。その書類は、あんたの周りで怪しいヤツの調査記録だ。確認してくれ」


「……」


 書類は人物ごとに束ねられていた。


 メロビクス王大国から来た冒険者パーティー『エスカルゴ』のメンバー……。

 第二騎士団のポニャトフスキ騎士爵……。

 ハジメ・マツバヤシに使えていた女魔法使いのミオ……。


 じいや白狼族のサラの書類もある!


「じいやサラも調べたのか!?」


「あんたの周りにいる人間は全てだ」


「なぜだ?」


「ここは情報部だ。機密に接する可能性がある人物に注意するのは当然だ」


「じゃあ、俺も疑うのか?」


「調査済みでシロだ」


「エーベルバッハ君!」


 エーベルバッハ男爵のあまりな言いように、情報部長が注意をしたが、エーベルバッハ男爵は涼しい顔をしている。


 隣に座るじいが、これまた涼しい顔でキツイ事実を告げてきた。


「エーベルバッハ男爵と情報部長の調査はワシがやりました。二人ともシロですじゃ」


「相互にチェックしているのか……」


「アンジェロ様……。情報を扱うということは、綺麗事では、すまされんのですじゃ。情報部が、こうして安全な人物かどうか、きちんとチェックをするから、ワシらは枕を高くして眠れるのです」


「それはわかるが……」


 理屈ではわかるが、気持ちが受け付けない。

 俺は戸惑いつつ、次の書類の束をつかんだ。


「アリー・ギュイーズ……って、彼女は俺の婚約者だぞ! 大物貴族ギュイーズ侯爵の孫娘だぞ! 疑うとは、無礼が過ぎる!」


「礼儀を守って国が守れるなら、いくらでも守りますよ、王子」


「彼女は、そんな人じゃない!」


「まず、人を信じるですか? 王子のご立派なお人柄は、尊ぶべきだとは思いますが、情報部としては真っ先に疑うべきでしょう? 悲劇のヒロインさながらのプロフィールは、男の同情を買い、庇護欲を刺激しますな」


「このっ――」


「ご安心を。彼女はシロだ。もちろん、ギュイーズ侯爵にアンジェロ領の事を手紙で伝えてはいるが、機密に関する事はぼやかしとる」


 俺はいつの間にか立ち上がり、エーベルバッハ男爵をにらみつけていた。

 頭ではわかっている……わかっているのだが……。


 どうも、イカン……感情的になってしまう。


 彼は、疑うのが仕事なのだ。

 悪気はないのだ。


「落ち着け、アンジェロ」


「アンジェロ少年。座るのである。エーベルバッハ男爵は、プロとして仕事をしているのである」


 俺は、ルーナ先生と黒丸師匠に促されて席に座り直す。


「ご苦労だった……。エーベルバッハ男爵……。それで、これは、どうやって調べて、シロかクロか判断するのだ?」


 情報部長が、咳払いをして説明を始めた。

 これ以上、エーベルバッハ男爵にしゃべらせたくないらしい。

 俺の機嫌を損ね過ぎると判断したのだろう。


「基本は身上調査です。各国各地に散らばるエルキュール族が、片端から情報を集めて来ます。それをここで整理し、矛盾点はないか? おかしな経歴はないか? 普段はどんな行動をしているのか? 時間をかけて確認作業を行います」


「なるほど」


「それと……場合によっては、手紙などを盗み見る場合もございます……」


「……」


「何卒、お許しを……」


 見たのだろうな。

 アリーさんの手紙を。

 しかし、怒るわけにもいかない。


 彼らは仕事をしているのだ。

 国を守っているのだ。


「わかった。ご苦労だった。手段は問わないから、引き続きよろしく頼む……。それで、俺の関係者は、全員シロだな?」


「それが……。一名、まだはっきりしない人物がおります……」


 部長が目配せするとエーベルバッハ男爵は、一枚のメモ書きをこちらに寄越した。

 俺に近しい人物のリストだ。


 アリーさん、エルハムさん、サラ、ボイチェフ、キュー、ジョバンニ……。

 名前には、横線が引かれている。

 シロと言うことだろう。


「王子、一番下だ」


「……」


 エーベルバッハ男爵が、リストの一番下を見ろと言う。


 リストの下の人物には、横線が入っていなかった。

 まだ、シロか、クロか、はっきりしない人物。

 間諜、スパイの可能性がある人物ということだ。



 ――ウォーカー船長。



 リストの下には、そう名が記されていた。

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