第29話 芽衣-3
家族にも親友にも秘密の恋。それでも、先生の隣にいると、甘い水底へ堕ちていくのが分かる。
…大好き。
その言葉しか知らない。他の何もかも見えなくなってしまえばいいとさえ、思った。
*
「沙耶。最近図書室止めたの?」
終礼後、これから部活の優斗が、鞄を抱えて沙耶の席に寄って来た。沙耶もこれから帰るから、鞄に教科書などを詰め込んでいる。
「…うん」
「どうしたの? あんなに通ってたのに」
優斗の疑問も尤もだなあと思う。でも、図書室には…。
「色々、ね」
とても言えないから、曖昧に誤魔化そうとしたけど、どうやら優斗は心配してくれているらしく、その場を動こうとしない。
以前通っていた図書室の常連の中にいたと思しき男子生徒から、告白のようなことをされた。その後、崎谷先生からもそれらしきことをされて、沙耶の頭の中は一気に崎谷先生のことでいっぱいになってしまったわけだけど、思い返すと、やはり彼に顔を合わせられないという気持ちから、最近図書室から足が遠のいていた。
「…なんか、揉め事だったら、相談にのるよ?」
「ありがと、優斗。でも物騒なことじゃないし。ね?」
教室を出て廊下を一緒に歩く。丁度隣の教室でも終礼が終わったようで、前方からわいわいと生徒が出てくる中に、長身の友人の姿を見つけた。
「あ、芽衣ちゃん」
「あ、なに、沙耶に優斗くん。今帰り?」
「俺はこれから部活なの。沙耶は図書室寄らずに帰るんだって」
「へえ? 通ってたって言ってなかった?」
芽衣にまで不思議そうに聞かれてしまう。沙耶は苦笑で誤魔化した。三人で階段を下りながら話を続ける。
「じゃあさ、明日から私と一緒に勉強しようよ。今度の期末、流石にやばいって思ってて、どーにかしなきゃって考えてたとこなの」
聞くと、芽衣の中間の成績は赤点盛り沢山で、続けて期末に赤点だと、三年生の進路分けにも響いてくるようだ。別に有名大学を目指しているわけでもないけれど、でもどんなところでもいいから兎に角大学だけは出たい、と思っている芽衣は、なんとか就職コースではなく進学コースに引っ掛からないといけないと言う。そうすると、三年生のクラス編成の為の二年生の内申が重要になってくる。
「私、全体的にどの科目も悪いんだけどさー。中間の後に進路指導室に呼ばれて、兎に角少しずつ上げていかないとって言われて。夏休みは、予備校の夏期講習申し込んだわよ。もー、しょーがないわよね。大学に入っちゃうまでは」
厳しい現実だけど、沙耶も似たようなものなので、大いに頷く。
「じゃあ、これから少しずつ、一緒にやっていこうか」
「うん。一人だとさ、サボったりとかするかもしれないけど、二人だったらそれもないだろうし」
そんな訳で、沙耶と芽衣はともに協力をすることを約束した。昇降口まで行くと、優斗が、頑張れよー、と声をかけてグラウンドへと行ってしまった。芽衣が靴を履き替えないので、帰るんじゃないのかな? と思ったら、こっちこっち、と手を引かれた。
「? どこ行くの? 芽衣ちゃん」
「ん? 職員室よ」
…? 職員室? 何をしに行くんだろう?
そんな風に疑問に思っているうちに、手を引かれたまま職員室に入ってしまった。入り口で礼をして、広い部屋の中を、やっぱり芽衣に手を引かれて歩いていく。芽衣は職員室の真ん中ほどまで来ると、あの、と声をかけていた。
「崎谷先生、ちょっとお願いがあるんですけど」
「ん? なんだ、永山に岡本か」
びっくりした沙耶は芽衣の背中に隠れてどきどきした。…今日は数学の授業もなく、だから崎谷先生の顔を見れたのは、朝礼と終礼のときだけだ。
「ゴールデンウイークのとき、沙耶に数学の補習をしてたじゃないですか。そーゆーの、期末に備えて私たちにしてもらえないかなーと思って」
ええっ!? そんなこと、いきなり決められても…。
沙耶は内心焦った。そんな話なら、先に言ってくれればいいのに…。でも、沙耶の慌てた様子など知らない風に、芽衣は崎谷先生と話している。
「…数学の補習?」
「うん。私、進学コースに行きたいから、今のままの点数だとまずいんで。だから、とりあえず期末対策と言うか…」
「岡本もなのか?」
崎谷先生が、芽衣の体を避けて沙耶のことを覗き込んでくる。うわ、と思って、返事がしどろもどろになった。…やっぱり、先生の近くは、どきどきする。あの…、とか返事をもたつかせていると、芽衣が握っていた手を、きゅ、と引いてくれた。
「…あの、…お願いできれば……」
なんてことだ。まさか、自分から先生に約束をねだるようなことをしてしまうなんて。…でも、補習なんだから、別に疚しく、ない…、はずだ。
崎谷先生は、芽衣と沙耶の返事ににっこり笑った。
「やる気になってる生徒には、協力を惜しまないよ。じゃあ、いつからする?」
「先生の都合のいいときに、お願いします」
先生は机の上の卓上カレンダーを持ち上げてスケジュールを確認していた。
「…じゃあ、火曜日と木曜日。放課後に、…うーん、永山こっちの教室に来れるか?」
「大丈夫です」
「よし、そうしよう。まあ、頑張ってくれ。期待してるぞ」
今度は二人揃って返事をした。ありがとうございます、と芽衣が頭を下げたので、沙耶も慌てて頭を下げた。そのまま芽衣の後を付いていくように職員室から出て、廊下の角を曲がったところで、前を歩いている芽衣の制服の裾を引っ張った。
「…め、芽衣ちゃん……」
「ん? どーしたの?」
振り向いた芽衣の笑みに邪気はなくって、だから彼女がどういうつもりでこんな話を纏めたのか、少し聞きづらかった。言葉に迷う様子の沙耶に、芽衣はにっこり笑ってくれて、そうして頭を撫でてくれた。
「私が一緒だったら、優斗くんも変に思わないでしょ。…ホントはどっかの図書館とかで出来るとよかったけど、先生が特定の生徒に対して、学校外でまで関わってたら良くないと思うし…。…あ、勿論勉強は真面目にやるのよ? だけど、こーでもしないと、沙耶も崎谷先生と話せないでしょ?」
にこにこ笑って、そんなことを言う。そんなこと、全く考えていなくって、だから突然の話向きに、顔が真っ赤になったのを自覚した。…っていうか、どうして芽衣がこのことを知っているのだろう?
「ん? だって、崎谷先生、すっごく機嫌いいんだもん。そりゃあ、ぴんとくるわよ」
…全然気が付かなかった。沙耶は兎に角教室に先生がいるときはいっぱいいっぱいだったから、先生が機嫌がいいかどうかなんて全然分からなかった。でも、クラスの皆もそんなこと気付いていないようだったけど。
「あー。じゃあ、教室にいるときは意識してんのかな。私が今朝、廊下で呼びかけたときなんて、鼻歌歌いそうな雰囲気だったわよ?」
……なんだか、想像が出来ない。鼻歌歌いそうな崎谷先生って、どんなだろう。
「…見たことない? そういう崎谷先生」
「……ない…。…なんか、どうしようもないないギャグとか言ってるときあるけど…、それとは違うのかなあ?」
教室で見る先生は、常に大人だ。以前、男子と女子が言い合いをした時だって、ちょっとした言葉で鎮めてしまった。熱血先生とは違う、崎谷先生独特の温度でクラスの皆と接している。…芽衣は、そんな崎谷先生の違う一面を知っているのだ。
「ふうん。…じゃあ、見せてもらえるといいね。これから」
うん、と返事をするのは少し恥ずかしかった。なんだか崎谷先生の傍に寄ったことを、人から言われるのに慣れてない。きっと、この先も慣れることなんてないだろう。それくらい、沙耶の中の崎谷先生は大人の人なのだ……。
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