第16話 優斗、衝撃の告白
テストが終わって、その答案用紙が返ってくる頃になると、天気は一層曇天が多くなった。まだ入梅には早いと思っていたのに、もう嫌な季節が来てしまうのだろうか。そんなことを考えているうちに終礼が終わり、一気に教室内がざわめいて、沙耶も優斗の方へと視線を送った。優斗は、鞄に教科書などを突っ込みながら、振り向いて沙耶の視線に、うん、と頷いた。テスト期間が終わって、部活動が再開されている。優斗の所属するラグビー部も先日から練習を再開していて、沙耶はラグビー部の練習のないときにでも、テストのときに数学を見てもらったお礼をしたいと思っていたのだ。
優斗が鞄を提げて沙耶の席へと近づいてくる。
「今日は練習は良いの?」
「うん。なんか、顧問の先生が今日居ないんだって。昼休みに先輩から連絡が回ってきたんだ」
「そっか。じゃあ、駅でファストフード食べていかない? 私、おごるわ」
「え? ホントに? やった」
優斗が満面の笑みで応えると、沙耶もなんだか安心した。優斗のなにが不安ということもないのだけど、やっぱり優斗はこうやって笑っていてくれる方が似合っているし、沙耶も彼の隣で安心できる。沙耶も鞄に教科書を詰め込むと、席を立った。
「じゃあ、行こか」
「うん」
そんな風に話して教室を出ようとしたときに、「あー」という声が窓際から聞こえた。二人して振り向くと、数人のクラスメイトが窓の外を見ている。なんだろう? と思って教室の中へ戻ると、窓の外にはぽつぽつと雨粒が落ちてきていた。
「降ってきちゃったのかー」
「でも、今朝、降水確率四十パーセントだったし、もった方じゃないかな?」
「そうかも」
沙耶も優斗も、ちゃんと折り畳み傘を持ってきている。鞄の中のそれを確認して、二人は一緒に教室を出た。
昇降口で靴を履き替えていると、降ってきた雨を知らなかった生徒が、入り口のところで「あーあ」という顔をしているのに出くわした。やっぱり、朝の天気予報は見てきたほうがいいと思うけどな、などと心の中で呟いておいて、立ち尽くしている生徒の横で折り畳み傘を広げた。沙耶のは水色、優斗のは濃い緑だ。
少し篭り気味の、ぽん、という音とともに、一瞬水色の膜に視界が遮られる。そのタイミングで、沙耶は隣から「あ」という声を聞いた。少し、驚いているような、そんな声。
「? 優斗?」
「あ、ああ、ごめん、沙耶。ちょっと、待っててもらって良い?」
「? うん」
優斗は、もう一度、ごめん、というと、傘をさしてグラウンドのほうへ走っていった。雨降りで、今日は運動部も休みか室内トレーニングなんだろう。グラウンドには誰も居ないのに、どうしたんだろう? と思っていたら、優斗の走っていく先にピンクの水玉の傘が開いていた。
(…あれ? あの傘、どっかで見たような……)
優斗は、そのピンクの傘の持ち主のところへ駆け寄って、そして少しその場に居た。多分、何かを話していたのだろう。そういうタイミングだった。それも、連絡事項を告げるだけのような、そんな短さ。優斗が振り返ってこちらへ戻ってくるときに、少しピンクの傘の持ち主を振り返って手を上げた。ピンクの傘がぺこんとお辞儀をしたので、その仕草で、なんとなく後輩なんだろうな、という見当がついた。
「ごめん、沙耶」
走って戻ってきた優斗は、もうグラウンドの方を見ない。ピンクの傘の持ち主は、どうやら体育館の方へ行ってしまったようだった。(昇降口の方へ来ないのなら、後はグラウンドから行ける所はそこしかない)
「…良いの?」
詳しく聞きたいわけではなかったけど、あの傘の持ち主と優斗が知り合いだってことは分かる。その知り合いを、見つけておいて話までしたのに、こちらへ戻ってきてよかったのかと、聞いてみた。
「うん。今日は部活ないから」
「…マネージャーさん?」
「ううん。時々、練習見に来るコなんだけど」
「へえ?」
沙耶は話の続きを促したつもりだったけど、優斗は会話をそこで止めてしまった。だったら、立ち入って聞かない方がいいことだろうか。沙耶が迷ってしまったら、隣で優斗の耳が少し赤く染まった。
「……え、…と」
「…いや、なんや、あの、…………ちょっと前に、…告られてて……」
丁度、隣同士の傘に篭るような小さな声で、優斗が言った。えっ、と驚く沙耶もまた、その声を注意して小さくした。
「……そ、なの? ……ええっ? じゃあ、あのコ、放っておいたら駄目じゃない」
まるで内緒話みたいに、話しかけてしまった。でも、こんなこと大声で言うことじゃないから、傘の中で話すのが、凄く空気に合っている。
「…いや、まだ返事してないし……」
「なんで? 嫌いなコなの?」
「や……、そうじゃなくて……」
優斗が言い澱む。耳を赤くしたっていうことは、満更でもないのだと思うのだけど、何を躊躇っているのだろう?
沙耶の疑問を正確に理解して、優斗がぽつぽつと話を始める。傘を差したまま、校舎の横で立ち話なんて目立つから、二人は駅に向かってゆっくりと歩き始めた。
「…なんか、時々見学に来るなー、とは思ってたんだけど」
ラグビーはグラウンドの肉弾戦だから、格闘技好きの男子ならともかく、女子が見学に来るなんて思わなかったらしい。だから、一時部内でも話題になったのだそうだ。部員が気にする様子を見せ始めてからは、少し回数が減ったのだという。それでも時々、例えば他にギャラリーの居るような練習試合のときなんかは、友達と見に来てくれていたのだそうだ。
「練習試合?」
その話を聞いて、沙耶の中でクリアになった映像があった。芽衣と二人で芝に座って優斗の勇姿を見に来たときに、そういえばギャラリーの中に女の子が居た。確か、髪の毛が長くて、…そう、みつあみをしていたと思う。
一瞬閃くと、次々に思い出す景色がある。ピンクの水玉の傘。制服の背中に揺れていたのは、緩いみつあみだった。あれは少し前のことだ。やっぱり優斗と一緒に帰ろうとしていたときに、自分たちを追い越していった後ろ姿。
「え…? ええっ? 優斗、まさかその時から……」
「違うって! 断じてそんな風に思ってなかったから!」
焦ったように、優斗が言う。沙耶のことを一生懸命見る優斗が、本当に必死に言うので、それは嘘ではないんだろう。
「…でも、告られて、悪い気はしてない、んでしょ?」
そりゃあ、部内で話題になってしまうようなコだったら、そう告げられたときの驚きはないだろう。そう確信する沙耶に、優斗は迷って、小さく、うん…、と返事をした。
「なら…」
「だけど」
じゃあ、もう迷う必要はないじゃないか。そう言おうとした沙耶の言葉に優斗が声を被せる。
「その話は、言ってみれば降って沸いたような話だろ? それより、俺は沙耶のことの方が気になるんだ」
………は?
今、なんで自分の名前が出たんだろう?
思わず歩みが止まってしまった沙耶に、優斗は、勘違いしないでほしいんだけど、と続けた。
「沙耶の子供の頃のパンツの色まで知ってた俺が言うんだから、誓ってそういう意味じゃないけど、今、俺、沙耶の動向が心配で仕方ないんだ。新学期、クラスに慣れてきた辺りから、どーもやっぱり崎谷先生が沙耶のこと狙っとるよーに思えて仕方ないんだ。そんなの、心配じゃん。幼馴染としては。だから、正直、彼女どころじゃなくって……」
………………は?
既に止まっている足は、もう動きようがない。おまけに一生懸命に自分を見てくる優斗の視線が、がっちり沙耶の目を捉えていて、逸らしようもない。
……すみません。なんか、みつあみのコに告白されてない自分が混乱してるって、どういうことだろう?
「ああ、ホントに…。だから、あんまり言いたくなかったんけど」
まさしくこれがフリーズの見本、といったように思考停止してしまった沙耶の目の前で、優斗が大きなため息をついた。重たいそれが、足元に落ちる。
「兎に角」
優斗に腕をつかまれて、ぎょっとする。
「ここで立ち話もなんだから、やっぱ駅まで行っちゃお?」
真っ白になった沙耶のことを、優斗が腕を引いて歩いていく。さすがの運動部の力で引っ張られた沙耶は、少しよたよたしながら引き摺られていく羽目になった。
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