第2話 相談したいことがあるんです
「え? へん、というと……?」
聞き返したが、彼女もはっきりとはわかっていないらしく、小首をかしげている。
「なにか気になることを話していたとか?」
「いえっ、話すだなんてそんな。ただなんとなく、あの、いつもと雰囲気が違う気がしただけなんです」いいながら、みるみる表情を曇らせてゆき、最後はうつむいて消え入る声でいった。「すみません、根拠もなくおかしなことを……」
「うーん……。たしかに今回のミスは、保科さんらしくないけれど……」
おなじオフィスで働いてはいるが、保科も椿も一日中デスクにいることはまれで、いつもあちこちへ出歩いている。それでもサロン勤務の奥村よりは近くにいるぶん、異変を感じとる機会がありそうなものだ。
(今日のやりとりといえば、朝の会議と、さっき保科さんが外出から帰ったときにあいさつをしたくらいかな。特段おかしいとは感じなかった)
あらためて一日を頭のなかでさらってみても、やはり椿にはおもいあたるふしがないのだった。
「わかった、保科さんのことは今後も気をつけてフォローします。また気になることがあったらおしえてね」
そうこたえると、奥村はぱっと顔をあげ、安心したようにほころばせた。その表情のかすかな違和感には、椿も気づくことができた。
(もしかしたら彼女、保科さんのこと……)
「井ノ瀬さん、そろそろわたしたちも帰りますが」
はっとして振りむくと、支度をととのえたスタッフふたりがロッカー室から出てきたところだった。ほかにはだれもいなくなっており、彼女たちが最後であるらしい。
「あ、はい。お疲れさま……」
「待ってください! わたしも一緒に帰りますっ」
いい終わらないうちに、奥村があわてて立ちあがった。驚いてぽかんとする椿にぺこりと頭を下げ、あたふたとロッカー室へ駆けこんでゆく。
「……もしかして、このあと予定があったのかな」
明日の水曜は休業日である。これから約束があっても不思議ではない。引き留めてしまい予定が押したのではないかと申し訳ないきもちになってたずねたが、いえいえ、とふたりは手を横に振った。
「そうじゃないんです。あの子、すごい怖がりで、サロンの電気をひとりで消せないんですよ」
「じつは、戸締まりの手順をおしえた流れで、ウワサのアレの話をつい……」
遠回しないいかただったけれど、椿はすぐにピンときた。
「ああ、コピーさん……」
その名前を口にしたとたん、ロッカー室から「井ノ瀬さんっ」と悲鳴にも似た声が聞こえた。必死な声色から、あわてふためいているのだろう彼女を想像して、おもわずみんなで顔を見合わせ笑ってしまう。
(これ以上は話すなということかな。話題にすれば呼びよせてしまうとおもっているのかも)
「ほんとうに、苦手なのね」
「ちゃんと、井ノ瀬さんが祓ってくれたことも伝えたんですよ。それ以来みたひとはいないって。もう怖がることないのに」
「でも、井ノ瀬さんって来週から他店舗勤務じゃないですか。いわば守護神がいなくなるわけですからね……戻ってきたりして、コピーさん」
「……やめてくださいよ、もうっ」
ふたりに体当たりをするかのような勢いで、奥村がロッカー室から飛び出してきた。相当急いで着替えたらしく、髪は乱れ、スカートの裾はまくれている。
「ごめん、ごめん」
「冗談だよー」
よしよし、となだめられ、身だしなみをととのえられている姿は、小柄なこともあり幼いこどものようだ。
(涙目になっちゃってる……ちょっとかわいそうだけど、からかいたくなるのもわかるな。奥村さんって純真で反応がかわいいもの。妹キャラなのよね)
仲良くじゃれあう三人を見守っていると、うしろに気配を感じた。いつの間にか、オフィスから保科が戻っていたのだった。なぜだか神妙な表情をしている。
「保科さん? さきほどの件でなにかありましたか……?」
悪い予感に身をこわばらせつつ聞くと、彼は急いでかぶりを振った。
「あ、いえ、その件にはもう対応しました。そうではなく、えっと……」一瞬いいよどんだあと、そばに寄り声をひそめて「もし良かったら、このあと一緒にお食事でもどうですか。相談したいことがあるんです」
相談、という単語に気を取られ、あハイ、と即答した椿は、遅れて自分が了承したことの重大さを理解した。
(……食事っていった? わたしと保科さんが……ふたりきりで?)
「では、わたしたちはこれで失礼しまーす!」
「お疲れさまでしたー!」
元気なふたりのうしろで、ひかえめに会釈をする奥村の瞳が不安そうにゆれる。それに気づきながらも、椿は笑顔で「お疲れさま」と返した。
(優越感を抱く、なんて。わたしってけっこう、嫌なやつなのかもしれない――)
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