107 慰労を兼ねた合宿4

 水曜日の朝、未だ週の半ばであるが本居里穂、香取早苗、桜井由貴、三人の能力者は朝から眠たさ全開で、由貴はあくびを噛み殺しながら会社へ向かっていた。

 いつもは颯爽と職場へ向かう早苗の後ろ姿も、駅から会社へ歩いている途中で、たまたま後ろから追いついてきた亜香里から『香取先輩、昨日は遅くまで残業されたのですか?』と聞かれるほど、歩き方に疲れが滲み出ている。

 昨夜、江島氏との話し合いが終わったあと、真っ直ぐ寮へ帰った3人であったが、それぞれの部屋が同じフロアにあるため、多目的室で取る遅い夕食が一緒になり、結局そこで深夜まで話し込んでしまったのである。

 一泊慰安旅行は自分たちだけでやった方が良かったのではないかとか、『組織』に依存すると『組織』のミッションになりリスクが増すのではないか等、不確定事項が多く、考えはじめると不安が尽きない。

 最後は『自分たちも今まで『組織』に頼って大丈夫だったから、多分大丈夫』という桜井由貴からの根拠のない半ば捨て鉢な言葉で三人とも不安を紛らわせ、それぞれの部屋へ戻って行ったのである。

 そのあとベッドに入ってからも思いを巡らせ、朝を迎えた人もいたようだが。

 職場での亜香里たち三人はOJTが続いているが、事務的なルーチンには慣れ亜香里と詩織は、先輩社員の里穂、早苗に付いてパートナー会社との打ち合わせや、主要顧客への訪問に同行し、新入社員らしい日々を送っている。

 人事部へ配属された優衣は、人事システム担当としてルーチン作業は一人で出来るようになり、上司と外部のシステム開発担当者との打ち合わせにも同席するようになった。

 ただSIer(システムインテグレーター)との打ち合わせは、新人の優衣にはハードルが高く、話が業務に関することであれば、かろうじて話について来られるのだが説明が開発の中身になると内容はチンプンカンプン。

『ここのところはネットワーク負荷を考えてサーバサイドではなく、クライアント処理にしませんか?』とか『その仕様だとブラウザの画面遷移が増えて、ユーザー操作にストレスが溜まるのではないですか?』とか『この処理は弊社が作ったものではありませんよね? 処理方法を変更するのであれば、今のPerlで作ったコードに手を入れるよりもPythonで作り直しませんか?』とか、上司とSIerが話している内容が日本語なのにアラビヤ語を聞いている様で、優衣は心の中で(SIerさんが日本語の出来ない外国人だったら、能力を使って頭の中を探れば少しは理解できるのに)と思うのであった。頭の中を探っても、そもそもシステム開発の概念が理解出来なければ、内容はわからないと思うのだが。

 この頃、亜香里たち三人が集まると話は週末の一泊慰安兼合宿旅行のことが主となり、リクエストを出した亜香里はウキウキしている。

『おやつは5百円までですかねー?』とか『バナナはおやつに入りますか?』といった、ベタな冗談まで出てくる始末。


 3人とも残業は未だ少なく、水曜の夜、亜香里と詩織は寮での夕食が一緒になり、詩織が食事をする隣のテーブルに亜香里はお盆を持って来て座った。

「詩織さん、お仕事の調子はいかがですか?」

「フツーかな? 亜香里はどうよ?」

「日々、眠さと戦っています」

「亜香里のお寝坊さんは、入社式の時からだからね。入社式で居眠りする新入社員とか聞いたことがないよ、研修センターでの食欲もね」

「眠たいのは仕方ないよ。夜中に目が覚める訳ではないし、朝起きた時は『良く寝た』と思うくらい深く寝ているけど、起きて6時間くらいすると猛烈に眠くなるの。食欲は4月の新入社員研修の時ほどではないかな? あの時は学生時代以上に身体を動かしていたから」

「たしかに、新入社員研修の時というか『組織』のトレーニングで毎週、遠征みたいなことをやらされていたから運動不足にはならなかったね。亜香里は最近、地下のジムに行ってるの?」

「ここのところ、睡眠欲が優って、あまり...」

 亜香里がそう言いかけたところで、詩織が手を伸ばして亜香里の脇腹をつまむ。

「キャッ! 急につまむな!」詩織の手を払いのける。

「まだ大丈夫だけど、今のうちに運動する習慣を身につけておかないと、十年後にヤバくなるよ」

「詩織に言われると、それを言う本人のスタイルが良すぎるから、なんかムカつく」

「そんなにムカつくのならストレス発散に、久々に外へ走りに行こうか? 今日は梅雨の晴れ間で雨も降っていないし」

「言われてみれば最近、会社と寮の往復以外、外に出ていない気がする。夜ならまだ涼しいから何処かに走りに行きますか?」

「どこに行く? そばの公園は暗くて足元が悪いし」

「じゃあ、車で広いところまで行こうよ。夜、車を適当に止められるところ。えっとー、駒沢公園?」

「駒沢公園かぁ、しばらく行ってないね。そこにしますか?」

「では、走る格好で地下駐車場に集合ということで」

「そう言えば、亜香里の『組織』の改造車に未だ乗ってなかった。どうなの?」

「優衣は『普通のGLA45とはなんか違う』と言うのよ。今日は詩織が運転してみてくれる?」

「了解、じゃあ先に準備してくる。十五分後くらい?」

「OK、食べ終わったら、すぐに行きます」


 優衣にも声を掛けようとメッセージを送ると『今日はちょこっと残業のあと、先輩と食事』との返信。

 亜香里は『一丁前に社会人してるなぁー』と思いながら、地下駐車場へ向かう。

「では行きますか。なるほど右ハンドルで、AMGだとカラムシフトではないのね。ヘェー、このセレクターね。この前、優衣が亜香里に注意していたのは? [RACE] はダメだと言ってたから、とりあえず [S+] で」詩織の運転で、地下駐車場から出発する。

「この車、排気量が2Lでしょう? その割には出だしが良い感じ。ちょっと駒沢公園じゃ近すぎるから、皇居を走ろうか?」

「ラクーン・シティの時みたいに、いきなりUターンとかしないのなら皇居でも良いよ。未だ時間も早いし」

「ああ、スピンターンね、あの時は急いでいたし。あそこのあの場には交通法規が無かったからね。東京の道であんなことはしませんよ」

 詩織は上り車線が空いている目黒通りをスルスルと走り、目黒ランプから首都高2号線へ入りETCを通過して、セレクターを[RACE]に切り替えた。

「なるほど、チューニングが変わった感じになるのね。最近のテクノロジーは凄い」そう言いながら、首都高の急なカーブも気にせずに飛ばしていく。

「詩織が安定して運転しているのは分かるけど、ちょっとスピードを緩めようよ。周りの車と比べると、私たち速すぎるよ」

「そっかー、久々に4輪を運転してバイクのような感覚でやっていたから… 少しペースを落とします」

 それ以上は話す間もなく、霞ヶ関出口を降りて六本木通りから内堀通りに入り、蔵前通りで曲がり、新丸ビルから地下駐車場に入って行く。

 行幸通り近くの階段から地上に出て、内堀通りを時計回りに皇居周辺を走り始める。

「詩織とこうやって走るのは久しぶりだねー。研修センター以来?」

「そう言えばそうかな? そうかー、あれからもう2ヶ月か。社会人になってから時間が経つのが早いなぁ」

「私は未だ、2ヶ月?って感じがする。研修センターでいろいろとあり過ぎたから」

「そうね、研修という名の異世界トレーニングだったから」

「でも、おもしろかったよ。研修中にリアルな映画を4〜5本見た気がする」

「トレーニングとはいえ、実際にリアルだったよ。痛い思いもしたし」

「そうそう、詩織は『猿の惑星』や『タトゥーイン』で負傷したしね。生きてて良かったよ」

 亜香里がしみじみ言うので、詩織は走りながら苦笑いする。

 詩織は週に何回か走っていて、息が上がることなく一周5キロのコースを終えようとしたところで、久々に走る亜香里がかなり遅れているのに気がつき、大手町まで来たところで亜香里を待っていた。

 しばらくするとヨレヨレになった亜香里が、ゆっくりしたスピードで戻ってくる。

「詩織ぃ、速いよー、もう無理、これ以上走れません」

「無理するなー。明日も会社だし、じゃあここから歩こう」

 内堀通から大手町のオフィス街へ歩いて入って行く。

「今の時間だと結構、オフィスの灯りも消えてますね」

「働き方改革が進んでいるんじゃない?」

 実はテレワークで、物理的には持ち帰らない時間外勤務が増えていたりする。

「詩織ぃ、前の方に見える火の玉のようなものは何でしょう?」

「うーん、花火にしては小さいし、6月は花火のシーズンではないし、何だろう?」

「なんか、嫌な予感がする。というか、こっちに迫ってくるよ!」

 大手町のオフィス街を歩く二人のすぐ横には、将門の首塚が鎮座していた。

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