082 初ミッション『世界の隙間』の課題

 初ミッション終了のお疲れ様会のあと、江島氏は『別件があるから』と言って、お店の前で別れを告げ、本居里穂は『関東支社の人と合流することになった』とのことで、日本大通りの方へ向かって行った。

 定時の帰宅時間だったので亜香里は、そのまま電車で寮へ戻ることにした。

(ここからだと電車でも寮に近いのね。本社と関東支社への利便性を考えてあの場所にしたのかな?)

 そんなことを考えながら電車に乗っていると、スマートフォンに『組織』からメッセージが届いた。

『こちらで引き取った車の代替車が寮の駐車場に入りましたのでお知らせします。キーと書類は小林亜香里さんの寮のメールボックスに投函しました。車検証と保険は引き取った車と同じものです。念のため確認してください』

(思ったより早かったね。帰ってから確認しよう。明日はお休みだし、どこかへ行ってみるかな? 待てよ。一人だとまた変なのに会うのかなぁ? 本居先輩に注意されたし。まあいいや、帰ってから考えよう)

 帰宅ラッシュと逆方向の電車に乗る亜香里は、ガラガラの車内で座席を1.5人分使いゆったりと乗車していたが、新しい車に乗れるのでウキウキして、寮がある駅まで居眠りすることなく電車を降りることができた。

 寮に着き1階のメールボックスにある封筒を開け車のキーを確認し、部屋に戻ってスーツを着替え自動車免許証を確認してからエレベーターホールへ行くと、優衣が会社から帰宅したままの格好でエレベーターを待っている。

「優衣、今からどこかへ行くの?」

「週末なので家に帰ろうと思いまして。寮に忘れ物があったので取りに来たところです。亜香里さんの初ミッションは如何でしたか?」

「お陰さまで無事終了しました。そうだ! 家まで送ろうか?」

「どうしたのですか? 急に?」

「『組織』に召し上げられた車の代わりが来たの。先輩からは『夜の一人行動は避けるように』と注意されたから、優衣と一緒だったら大丈夫かな?と思って」

「そういう事ですか。それでは亜香里さんのドライブにお付き合いします」

 2人で地下1階のガレージへ降りて行く。

 河川敷で落とされた、亜香里が乗っていた小さな赤い車と見た目は同じ車が停まっている。

「おぉ! さすが『組織』です。今まで乗っていた車と同じ。んんっ? フロントグリルが少し変わったような気がするけど、まあ良いかな」

 さっそく乗車してスタートボタンを押す。

 いきなり勇ましく大きな排気音が地下ガレージに響き渡る。

「この車、大丈夫? マフラー壊れてない?」

「亜香里さんが乗っていた車は、GLAの何でしたっけ?」

「えっとー、GLA220だったと思う。色以外は親にお任せだったから」

 エンジンが掛かったあと、アイドリングは安定している。

 優衣は車内のスイッチやディスプレイを眺めながら、何かを考えている。

「大丈夫そうだから、優衣ん家へ出発!」

 地下駐車場からスロープを上って、道路へ出る。

「あれーっ? 車が軽くなった気がする。寮の地下スロープは初めて上るけど『組織』だから上りやすく作っているのかな?」

 道路に出て川沿いの道を走り、左折して中原街道を走る。

「このまま走って、山手通りに入れば優衣の家の近くよね。さっきから思うのだけどアクセルを踏むと、前の車より加速が良い感じがするけど気のせいかな? 『組織』が替えた車だから、どこかをチューニングしているとか?」

「亜香里さん、チューニングじゃなくて『組織』はこの車を別のグレードに替えています。インストロメンタルパネルやスイッチを見ると、今運転している車は同じGLAでも、AMGのGLA45だと思います」

「えっ!  意味が分からないけどメルセデスではないの?」

「同じメーカーの車ですがハイパフォーマンスモデルです。馬力は前の車の倍以上あります。次の信号がちょうど赤で前に車がいませんから、青になったら周りに注意して、いつも通りにアクセルを踏んでみて下さい。今の時間だったら上り車線は空いていますから大丈夫だと思います。そこにあるダイヤルのセレクターが 今、CになってるのをRACEにしてみて下さい」

 何も知らない亜香里は、言われた通りにCから S, S+ を超えてRACEを選択した。

「大丈夫かな? 妹に『アクセルを踏みすぎ』ってよく言われるけど… 人と車に気をつけて、っと」

 信号が青になると、亜香里はアクセルをベタ踏みした。

 大きな排気音とともに、一瞬で隣や後ろにいる車がバックミラーの中で小さくなる。

「亜香里さん! ストップ! ストーップ! ブレーキ! ブレーキー!」

 亜香里は慌てて、ブレーキをガツンと踏む。

 バックファイアの音が『パンッ! パンッ!』と、大きな音で通りに響き渡る。

 歩道を歩いている人たちが驚いて、亜香里が運転する車を振り返る。

「何、この音? エンジンが壊れてるの? でも前の車より全然速いけど。そんなに違うの?」

「アーッ、ビックリしました。亜香里さんはいつも、あんなにアクセルを踏むのですか?」

「『組織』に召し上げられた車は、小さくて小回りが効くから運転していて楽だったけど、高速道路に入る時は流れに乗るのにアクセルをベタッと踏むから。それが癖になって発進はいつもベタ踏みだったけど、この車は余り踏まなくても良さそう」

「この車のトルクは五十キロくらいありますから、余り踏まなくても充分に早いです。走行モードをCに戻して下さい」

 走行モードを戻し、それから亜香里はアクセルを控えめに踏み、優衣の家まで走っていく。

「さっき優衣が、馬力やトルクが前の車の倍ぐらいあるって言ったけど、自動車税とか変わるの?」

「排気量は同じだから変わりません。燃費もカタログ値では、ほとんど変わらなかったと思います。亜香里さんの様にガツンとアクセルを踏む人は分かりませんけど。注意点はさっき変更した走行モードです。RACEモードは普段は使わない方が良いと思います。Cはコンフォートモードなので、遅いと思えばSかS+にしてください。車検や定期点検は『組織』に相談したほうが良いと思います。購入したディーラーに持って行くと間違いなく怪しまれます」

「アドバイスありがとう。優衣の家に着きました」

「ありがとうございます。明日はお休みですし、せっかくなので泊まって行きませんか? 着替えは前に泊まった時のものもありますし」

「良いの? ほんとうは今から一人で運転するのが、少し不安だったの。月曜日の夜、一人で運転していてUFOに掠(さら)われそうになったし」

「では決まりですね。門を開けますから、チョッと待っていて下さい」

 優衣は助手席を降り、脇門から入って内側から正門を開けた。

「どこでも空いているスペースに止めて下さい」

(前回、来たときもそうだったけど、こんなに大きな門を優衣は簡単に開けちゃうんだ。私も詩織にウエイトトレーニングのプログラムを作ってもらおうかな?)優衣が見た目より筋力が強いのは入社前からのセルフトレーニング、父親の大型自動二輪を乗りこなすためであった。本人は親に隠れて乗っているつもりだが、父親にはとっくにバレていた。

 亜香里はちょっと考えてからガレージ横のスペースに車を停め、久しぶりに明治時代に建造された古い洋館に入って行った。


     *     *


「江島さんが、急にメッセンジャーを使って呼び出すのでビックリしました。テーブルの目の前に居たのに」

「ゴメンゴメン、小林さん本人に知られて心配させたくなかったからね。会社のシスターで『組織』での世話人の本居さんには、知っておいてもらいたいと思いましたから」

 江島氏と本居里穂はミッションのお疲れ様会が終わり、亜香里とも一旦解散したが食事が終わる頃、江島氏がメッセンジャーで里穂に連絡しホテルニューグランド1階の喫茶店で落ち合っていた。

「世話人として知っておくべき事というのは、さっき小林さんにいろいろと聞いていた『世界の隙間』の件ですか?『組織』が何か問題にしているのですか?」

「その通りです。小林さんと私の話を聞いていて、どう思われましたか?」

「小林さんの言った『ビージェイ担当から『私たち(亜香里たち)があの世界を作り出した』と言われた』というところが気になりました。江島さんは『ビージェイ担当が状況を把握出来ていなかったから、そのような事を言ったのだ』と仰いましたが、彼がデータ不足でいい加減な事を言うはずがありません。『組織』は小林さんたちが『世界の隙間』を作り出した、と考えているのではないですか?」

「能力者だったら、そう考えるのが当然です。『世界の隙間』は空想の世界ではありません。常に時間的なズレの問題は残りますが実世界の断片です。時間軸が未来であれば宇宙人の襲来もあるかもしれませんが、10年前の渋谷区という具体的な日時と場所が示された中で、トライポッドが攻撃してくる世界は『組織』としては考えられません」

「『組織』は小林さんたちに、それを再現させようと思っているのですね? だから普通は初ミッションでは行かない『世界の隙間』に行き、江島さんがそこで待っていたのですか?」

「本居さんも能力者を6年も(あ、失礼)やっていると、分かるのかなとは思いました。『組織』の中には『世界の隙間』を任意に作られれば、今まで分からなかった事を解明でき、うまくいけば『組織』の活動範囲が拡がると考えている人たちもいて、小林さんたちの一件が注視されています。今回、小林さんだけを『世界の隙間』に送っても何も起こらなかったので、あとの2人にも『世界の隙間』へ行くミッションをやってもらい、そのあと3人一緒にミッションをやってもらう段取りを『組織』は考えています」

「『世界の隙間』の解明が目的であれば、そのような流れになるのは分かりますが、能力者補に成り立ての彼女たちにそれをやらせるのは、リスクが高くありませんか? 私の同期の香取や桜井と、この件について情報共有をして良いですか?」

「来週以降実施予定の、藤沢さんと篠原さんの初ミッションが終わるまで待ってくれませんか? 同行する能力者が事前に知ってしまうとミッションの遂行に影響が出るかもしれません。そのあと小林さんたち3人が一緒にミッションをやる時には、バックアップで本居さんたちも参加する事になると思います。その時は、事前に十分な打ち合わせをさせてもらいます」

 本居里穂は懸念事項を同期の友人に黙っていることを一瞬、ためらったが大事には至らないだろうと考えて返答する。

「承知しました。当人の小林さんたちには、いつこの事を説明するのですか?」

「分かりません。『組織』の中でも未だ、意見がまとまっておりません」

「そうですか。『組織』には能力者の生命と安全を第一優先にして、ミッションを計画して頂ければと思います。私たちは軍人ではありませんから」

「噂で聞いたことですが今回、対象になっている篠原さんの親戚だった方(かた)の件もありますし」

「篠原昭男さんの件、本居さんも聞いたことがあるのですか? 私も正式には聞いていませんが、能力者を守る気持ちは私も同じです。都度『組織』には確認しておきます。話は以上です。ミッションのお疲れ様会のあとに呼び止めて申し訳ありませんでした。この件はこれで終わりにしましょう」

 店を出て江島氏は山下公園の方へ、本居里穂は地下鉄駅へ向かって行った。

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