073 初出社3日目

 3日目の朝、亜香里は寝坊をせずに起床し会社では特別な事も起こらずに終業時刻を迎えようとしていた。

 水曜日は全社的にノー残業デイで、新入社員の亜香里を除いて連日残業続きの職場も(ほぼ強制的に)全員定刻の退社となる。

 香取早苗の発案で亜香里たち3人の歓迎会をやる事になり、定時後すぐに会社近くの小さなビアパブの個室に6人は集まった。

 店を選んだ理由は簡単で、前日亜香里が早苗と高気圧治療のチャンバー内で話をしていた時に、亜香里が『イギリスに行って、ビールも飲めませんでした』と言うと『じゃあビアパブで3人の歓迎会をやろう』ということになり、早苗のノリで決まったのである。

 会社から歩いてすぐ近くのお店に午後6時前、全員が集合した。

「飲み会の時間厳守は当然ですが、大事なことです」と香取早苗が宣う。

「いつも遅れて来ていた早苗が、それを言うようになったのは立派よ」

「桜井先輩、どういう意味ですか?」優衣が気になって聞いてみる。

「早苗は見ての通り几帳面で新入社員の時から、なんでもきちんとやるのだけど、今日のように同期で飲み会の日取りを決めても、時間通りに来たためしがなかったの。あるときなんか、連絡をとっても早苗が全然来なくて、仕方がないから里穂と2人で飲んでいたら、同じお店に来ていた会社の人たちと一緒になって盛り上がり、早苗のことをすっかり忘れて帰宅したの。帰って来たら早苗から電話が掛かってきて『今、お店に来たんだけど誰も居ないよ?』って連絡が来たときにはビックリしたというか、呆れたというか、集合時間が6時で電話が掛かってきたのは23時を過ぎていたもの」

「面目(めんぼく)ありません。その日のお昼までは予定を覚えてたのだけど午後、急にやらなくちゃならない仕事が出来て、没頭していたら夜の十一時を過ぎていたというか、連絡をするのも忘れてしまった私が悪いのですけど」

「まあ、昔のことは良いよ。歓迎会ですから本居里穂さん、乾杯の音頭を取って頂けますか?」飲み会を仕切るのは由貴の役割らしい。人事部だから?

「エッ! 私? では、ご指名ですので乾杯の音頭取らせて頂きます。小林亜香里さん、藤沢詩織さん、篠原優衣さん、入社と配属おめでとうございます、そして(小声で)『組織』加入、能力者補登録、お疲れ様です。それでは、みなさんのこれからのご活躍を祈念して乾杯したいと思います。乾杯!」

「「「「「「 乾杯! 」」」」」」

「フーッ、久しぶりにビールを飲んだ気がします」亜香里が言うと、詩織も付け足す。

「そうかもしれません。先月は研修センターのトレーニングばかりで、飲む時間もなかったような気がします」

「私もです」と優衣。

「最近は新入社員研修のトレーニングがハードなのかな? 5年も経つと自分たちがどうだったのか、あまり覚えていないけど」

「里穂の竜巻(トルネード)騒ぎは、今もハッキリと覚えているよ。高橋さんが焦っていたし」

「5年前も高橋さんがトレーニングの指導者だったのですか?」亜香里は『そんなに長く?』という表情。

「高橋さんは会社でも教育担当だから、ずーっと新入社員研修のトレーニング指導者じゃないのかな? 篠原さん、同じ人事部だからフロアで見かけたりしない?」香取早苗が優衣に振る。

「高橋さんが会社で教育担当というのは知りませんでした。未だ出社3日目ですし、私、人事部のシステム担当に配属されたので、教育担当からは机の場所が離れていて良く分かりません。教育担当の人たちの島は、机があっても皆さんあまり本社にいらっしゃらないみたいですし」

「そう言えばそうね。教育担当はいつもあちらこちらを飛び回っているみたいだし、高橋さんは特にね。会社の仕事と『組織』の業務がミックスされてて、実際は『組織』の業務がほとんどではないのかな?」同じ人事部の労務担当にいる桜井由貴が思い出したように説明する。

「そんなに『組織』の業務やミッションが多かったら、眠くならなくて良いかも知れませんね」

「小林亜香里さん、それは聞き捨てならない発言かもよ。入社早々そんなに暇だったら『組織』に『ミッション出来ます』申請を出しておきますか? まあ例の金融庁のゴタゴタで、配属早々に放ったらかしにしている、こちらも悪いのだけど」亜香里の上司、本居里穂が半分冗談っぽく話を返す。

「(アチャー、余計なこと言っちゃった)いえいえ、未だ出社3日目ですから暇かどうかも分からない状況です。『組織』にミッション申請とか出来るのですか?」

「里穂、新入社員は未だ会社や『組織』に対して真っ白なんだから、脅かしたり嘘を説明してはダメよ。小林さん、あなたの上司はそういう冗談もシラっと普通に言うから用心してね。それで質問の『ミッション申請』なんだけど、そんなものはありません。『組織』から定期的に『今、会社の業務は忙しいのか? 忙しくないのか? 平常なのか?』を聞いてくる程度です。でも『忙しくない』と答えてもミッションが回ってくるわけではないし、『忙しい』と答えても直ぐにミッションが回ってくることもあるので、ミッションの割り当てと会社の業務の忙しさは関係ないみたいです。一つ言えることは、亜香里さんたちの最初のミッションはOJTを兼ねているので、直属の上司と行くようになると思います。だから私は藤沢さんとかな?」

「なるほどー、そうなると私は本居先輩とですね? 優衣は桜井先輩と?」

「私と篠原さんはどうなんだろう? 篠原さんは人事部システム担当でしょう? 私は労務担当だから直属の上司じゃないけど。まあその辺は何とかするんでしょう。会社と『組織』が」

「トレーニングの時から思っていたのですが、会社と『組織』って、そんなにベッタリなのですか?」詩織が(このメンツなら尋ねても大丈夫だよね?)と思いながら聞いてみる。

「私たちも新入社員研修で『組織』のトレーニングが始まって、最初の頃は、気にしていたのだけど、そのあとは、あまり気にならなくなったかな? 要するに『よく分からない』ってところです」

「よく分からない、ということが、よく分かりました」

 そのあと、亜香里たちは久しぶりに飲んだアルコールのせいか、うっかり『組織』の中の事を聞きそうになり、その度、先輩社員3人から『ここは施設外だよー』と注意され、それが続くので始まりと同じように桜井由貴がクロージングを宣言する。

「宴もたけなわではございますが、時間の都合上、この辺でお開きとしたいと思います。この会の発案者であられます香取早苗先輩からご挨拶と締め、今日はどのように締めるのかはお任せしますが、よろしくお願いいたします」

( 『どういう時間の都合よ!』と本居里穂が突っ込む )

「ただいま、ご紹介いただきました香取早苗でございます、って言うべきところだけど、由貴のその進行、何とかならない? 労務担当だと会社と組合の宴会とかは、そんな感じなんだろうけど、寮の飲み会でも由貴がそれをやるとビシッとして良いのだけど、私たちだけの時はもう少し柔らかくても良いんじゃない? 今度、柔らかバージョン考えてみてよ、パクるから。前口上が長くなりましたが、お三方ともがんばってください、では関東一本締めで、って知ってる? 一丁締めとも言うんだけど『いよーお、パン』でお終い。いい? じゃあ、いよーお」

「「「「「「 パン!!!!!!」」」」」」

 歓迎会を締めても、みんな帰るところは一緒なので同じ駅へ向かい、同じ電車に乗る。

 優衣は途中駅で降り、今日は自宅泊とのこと。

「優衣は自宅の方が会社に近いものね、頑張れば徒歩通勤が出来るんじゃない?」

「詩織さんだったら瞬間移動(テレポーテーション)で、一瞬かも知れません。ではまた明日」

「先輩方は自宅に帰ったりしないんですか? 私は一昨日、自宅に一旦帰ってから寮に戻る途中で酷い目に会いましたけど」亜香里が出社初日のことを思い出す。

 本居里穂が、亜香里に聞く。

「そう言えば、昨日の夜は残業で、小林さんの様子を見に行けなかったけど、身体はどう? 2日続けての検査だったけど」

「香取先輩に良くしていただき大丈夫です。今日は体内酸素が多かったのか、就業時間中もあまり眠くなりませんでした」

「じゃあ、会社にもチャンバーを備えてもらう? 小林さんが居眠りをしないように」本居里穂の言葉に詩織が笑う。

「昨日、同じようなことを詩織にも言われました。普通の人よりも眠気が強いのは、おそらく父方の遺伝です。ご理解下さい」

「理解はするけど、上司として就業時間中の居眠りはビシビシ注意します」

「小林さん、良い上司で良かったね。チャンと見てくれるみたいだから」

 どうでも良い、亜香里の居眠りネタで、和やかに寮へ帰って行ける日であった。

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