072 初出社2日目 3
「亜香里! 聞こえる? 生きてる?」
詩織にホッペタをペシペシされて、亜香里はおぼろげな意識がハッキリしてくる。
(最近、誰かにホッペタを叩かれたような気がする。河川敷で本居先輩に?)
『ゲホッ、ゲホッ』気管に入った水を吐き出してむせ返る。
「あぁ! 生きてた。良かったぁ~」
呼吸が戻り亜香里はしばらく『ハァハァ』と息をしてから呼吸を整えた。
「詩織? 私、どうしたの?」
「意識を失ってプールの中を漂っていたから、急いで引き上げたの」
香取早苗が心配そうな顔で、亜香里を覗き込みながら質問をする。
「身体のどこかにしびれやめまいは無い? 呼吸は普通に出来てる? 関節や手足が痛くない?」
「ぐるぐる目が回る感じがして呼吸がチョットしづらいです、手や足先が少しシビれます」
香取早苗が『そうなんだ』と相づちを打ち状況を説明する。
「小林さんが、結構泳げていたから油断していました。藤沢さんの特訓で泳げるようになったばかりよね? 昨日の早朝に『組織』のフライトでスコットランドから戻ってきたばかりだし、いろいろな条件が重なって軽い潜水病にかかったのだと思います。一人で深くまで潜っていたから気にはしていたけど、大丈夫かなと思って油断していました。助けを呼んだから、直ぐに医療室に運べると思います」
しばらくすると優衣と先輩の桜井由貴がストレッチャーを押しながら、亜香里が横たわるプールサイドまで駆けつけて来た。
「大丈夫ですか? どうしたんですか?」優衣が声を掛けながら、4人で亜香里をストレッチャーに持ち上げる。
「調子に乗って、潜りすぎたんだと思う。潜水病かも知れないって」
「プールで潜水病とか聞いたことありませんけど、この深さだったら、あり得るかも知れませんね」話をしながら、ストレッチャーをエレベーターに乗せる。
「小林さん、ここには高気圧酸素治療が出来る第2種装置があるから大丈夫よ。私が一緒に入るから心配しないでね」エレベーターを2階で降り、香取早苗が説明しながら昨日とは違う部屋に、亜香里が横たわるストレッチャーを乗り入れた。
部屋には大きな円筒形のチャンバーが設置されており、亜香里をストレッチャーごと中に入れ、香取早苗も中に入り大きな円形のハッチを閉める。
桜井由貴がハッチのロックを閉じ、スマートフォンでチャンバーの中にいる香取早苗を呼び出す。「大事を取って昇圧20分、キープ60分、減圧は昇圧の倍くらい、合計2時間コースかな?」
「それで良いと思います。始めて下さい」
「では2時間経ったら戻ってくるから、それまで、何かあったら連絡下さい」
桜井由貴が二階まで一緒について来た優衣と詩織に向き返る。
「篠原さんと、えっとー、藤沢さんは初めまして、ですよね? 桜井由貴です、下のラウンジで、お茶でもしながら待ちませんか?」
3人は1階のラウンジへ降りて行く。
亜香里は意識がしっかりして来たのでストレッチャーから起き上がる。
「少し良くなった感じがします」
「イヤイヤ、そんなに急には直らないよ。この中は2.8気圧まで20分かけて昇圧中だから、昇圧してしばらくしたら楽になってくると思います。座っている方が楽だったら座っていても良いよ」亜香里はストレッチャーから降り、チャンバーに取り付けてある堅い椅子に座り直す。
「みんなに迷惑をかけて申し訳ありません。香取先輩は一緒に入っていても大丈夫なのですか?」
「特に問題ありません。一緒に深いところに潜って、ユックリと上がってくるのと同じですから。それよりも小林さんの症状が大した事がなさそうで良かった。プールの中で浮いていたのを見つけたときには『ヤバイ!』って思ったもの。今、これだけ話が出来ているから、この装置に入っていれば大丈夫だと思います。チャンバーを出てから検査をする事になりますけどね」
「あのー、昨日の夜も検査だったのですが、今日もですか?」
「潜水病にかかってもしっかりした設備に直ぐ入れば、後遺症は残らないし、心配もいらないのだけど『組織』は、能力者の体調管理に厳しくてチャンバーに入ったら、そのあとの検査は必須です」
「そうですか、仕方ないですね。昨日、本居先輩から2階は寮というより『組織』の設備だと聞いたのですが、こんなに頻繁に使うことがあるのですか?」
「里穂がそんなこと言っていたの? まあ間違いでは無いけど。ここの建物全体が組織の設備ですからね。どちらかと言えば寮が付属設備かな? 表向きは『一般社団法人 日本同友会』の寮なのだけど。しばらくすると『なるほど』と思いますよ。『2階を頻繁に使うのか?』の質問だけどミッションがハードだったら、その後に定期検診的に使用することはあるけど、小林さんのように2日続けて使うようなことは無いかな?」
「スミマセン、まだミッションもやってないのに」
「気にしない、気にしない。能力者もビジネスパースンも身体が資本だからメンテナンスは大事です。昨日はUFOの連れ去られ未遂で、今日は先輩能力者の私が付いていて潜水病だから、小林さんのせいではありません」
詩織たちは1階のラウンジでそれぞれ好みの飲み物を飲みながら、壁にあるディスプレイで様子を見ている。桜井由貴がスマートフォンで、壁掛けディスプレイを2階のチャンバー内が写る映像に切り替えていた。
「大丈夫そうですね。小林さんも椅子に座って、2人で普通に話をしているようですから」
「良かったぁ、ホッとしました。プールの中で亜香里が漂っているのを見たときは、ダメかと思いました」
「プールでの状況は、さっき早苗が小林さんに説明していたのを聞いて分かったけど、どのような経緯で呼吸器トレーニングを3人でやるようになったの?」
桜井由貴が不思議そうな顔をして聞いてきた。
「私も最初のところはよく分からないのですが、香取先輩が夕食で亜香里と一緒になって、話をしていたら『プールに行こう』となったらしく香取先輩から『藤沢さんもどう?』って連絡があったのでプールに行きました」
「そうなんだー、何となく分かった。早苗らしいね」
「どういうことなんですか?」
初めて香取早苗に会ったばかりの優衣は当然として、昨日から早苗が職場と『組織』の先輩になっている詩織からみても、桜井由貴が言う『早苗らしい』が全然分からない。
「早苗って、藤沢さんくらい背があって、いつも立ち振る舞いがスッとしているの。やることは細かいところまで気がつくし、仕事も真面目に頑張っていて昔の言葉で言えば出来るキャリアウーマン、今だったらビジネスパーソンって感じじゃない? 同期から見てもそう見えるし」
詩織は由貴の説明にウンウンと頷き、今日初めて会った優衣は『そうなんですね』と相槌をうつ。
「そういう早苗の姿勢は良いとは思うけど、5年間一緒に『組織』のミッションをやっていると彼女の素(す)が見えてくるのよね」
「私の上司だから気になります。どういう素の姿なのですか?」
「まあ一言で言えば、『几帳面な天然系』かな?」
詩織と優衣が顔を見合わせて言う。
「「 意味が良く分かりません 」」
「だよねー。今の言い方は私の性格、私って結構、おおざっぱなんだ。篠原さん、そういう上司だと覚えておいてください」
「ここからは半分推測も入るけど、早苗と小林さんが夕食で一緒になって、おそらく初対面だったと思うのだけど、早苗のことだから、あなたたちの研修中のトレーニングビデオを視聴済みで、小林さんにアドバイスしたんじゃないのかな? その流れで、能力(チカラ)と技量(スキル)のバランスが取れていない小林さんと、さっそくトレーニングをやりましょう、と言うことになったのだと思います」
「桜井先輩、今日の2人の流れは分かったのですが、さっき言った『几帳面な天然系』が、良く分からないのですが?」詩織としては先輩社員のことをぜひ知っておきたいところ。
「ゴメンゴメン、私って説明も雑だなぁ。まあ、それくらい几帳面に細かいところまでフォローして、今回は呼吸器トレーニングをやろうというところまでは良いのだけど、トレーニングを始めちゃうと『泳げてるから、平気かな』となっちゃうの、早苗って。 今まで自分も『大丈夫、大丈夫』で、ミッション中に何度も危ない目に会っているのに、それを繰り返すの。でも毎回、何とかなっているから今も五体満足なんだけど。私は未だトレーニングビデオをところどころしか見ていないけど、トレーニング中の小林さんの行動を見ていて、すごく既視感( deja vuv )を感じて、何でだろう?と考えてみたら、ミッション中に早苗がやることによく似てるの」
「最後の一言で、とても良く分かりました『亜香里のやることは香取先輩によく似ている(天然)』その言葉だけで充分です、上司の人となりが分かって有り難いです」
(でも、何とかなったから『五体満足』というのが気になるなぁ。何とかならなかったら、ミッションで五体不満足になったりするの?)詩織はミッションに少し不安を覚えていた。
「そこまで大げさに言わなくて良いから。私、しゃべりすぎたかも知れない、同期の私や里穂は早苗本人に『しょうがないねー、天然だから』と遠慮なく言うのだけど、年下から言われると気分を悪くすると思うから、今の話は黙っていてね」
「「 了解です 」」
チャンバーでの2時間コースが終了し、昨日に引き続き亜香里は検査室に連れて行かれる。
「今日は衝撃を受けたわけじゃないから、血液検査だけだと思うよ」
香取早苗の言うとおり、亜香里が検査台に横たわるとマシンからアームが出てきて腕の静脈から血液を抜き取り検査は終了し、早苗と亜香里は3人が待つラウンジに降りて行った。
「何かあれば、スマートフォンに通知が来ます、来なければ問題なし。今日はもうこんな時間だし、ここで解散にしましょう」最後の解散まで、几帳面に仕切る早苗である。詩織と優衣は早苗の言葉を聞き(桜井先輩の言ったとおり、と思い)下を向いて『クスッ』としていた。
『大事に至らずに良かったね』と言いながらエレベーターで5階に着き、ルーチンになっている多目的室でのお茶を少しだけしようということになり、それぞれ好みの飲み物を取り椅子に座る。
「亜香里は、身体の方は大丈夫?」
「うん、高気圧酸素治療で血の巡りが良くなったような気がする」
「じゃあ、今度から亜香里が目を覚まさないときは、2階のチャンバーに放り込めば目が覚めるのかな?」
「詩織さん、冗談でしょうけど、それは無理ですよ。未だ私たちは勝手に使えませんから。今日、香取先輩がどうやったか分かりませんが、何か申請をしたから治療に使えたのではないですか?」
「優衣に言われてみれば、そうね。亜香里は昨日も2階の検査室を使ったのよね?」
「昨日は本居先輩が何か申請をしたのだと思う。そう言えば、本居先輩は今日、寮で見かけてないなぁ。例の金融庁の件で、今日も残業をしているのかな?」
「なんか、大変そうね。新入社員とは言え、亜香里は手伝わなくて良いの?」
「今日も定時になったら『まだ戦力にならないから、サッサと帰ること』って、急かされて帰りました」
「そっかー、それなら仕方ないね」
「んんっ! 噂をすれば、本居先輩からメッセージが入ってる『今日も2階にお世話になったんだって? 大丈夫? 早苗から『里穂の部下を勝手にトレーニングさせて2階送りにして申し訳ない』って連絡があったの。大事を取って早く休んで下さい』だって」
「先輩同士も連絡は密に取ってるのね。じゃあ、うちらも早く引き上げますか」
「「了解」」
3人は多目的室でのお茶を早々に切り上げて、それぞれの部屋へ戻って行った。
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