071 初出社2日目 2

 出社2日目の午後、亜香里はコピー取りという眠気を誘わない仕事を依頼され、居眠りの心配をする事もなく、無事定時を迎えることが出来た。

(今時、会社に入ってから大量のコピーを頼まれるとは思わなかったけど、眠気に耐えながらパソコンでドキュメントを読むよりは良かったよ。契約関係の業務は紙の資料がなくならないのかな?)そんなことを考えながら会社を出て、真っ直ぐに寮へ帰って行く。

(そう言えば『組織』に持って行かれた車の替わりは、いつ来るんだろう? 同じ車が来るのかな?)

 寮の自部屋でカジュアルウエアに着替えて、1階の食堂へ降りて行く。(新入社員の時だけかも知れないけど、毎日定時退社出来るのは嬉しいな)

 食堂に入ると食事をしている女性(寮にいるから能力者のはず)がいる。亜香里が寮で本居先輩と同期の2人以外の能力者を見かけるのは初めてであった。

 食事の横に新聞を広げながら夕食を取っている。

(新聞を読みながらの食事は良くないなぁ、って! あの人、今朝前を歩いていたカッコいいビジネスパーソンじゃない? 会社の先輩だったんだ)亜香里は食事を載せたトレイを持って、隣のテーブルに近づく。

「お隣、よろしいですか?」

 視線を新聞から亜香里に移して見上げる顔は、全体がスッキリとしていて鼻筋が通り切れ長の二重が印象的である。どこか雰囲気が藤沢詩織に似ている。

 顔にかかった髪をかきあげて、亜香里に聞く。

「小林亜香里さん? ですよね。 どうぞどうぞ、香取早苗(かとりさなえ)です」

「詩織の上司の香取先輩ですか? 初めまして」

 亜香里は隣のテーブルについた。

「私のことを、ご存じなのは詩織から聞いているからですか?」

「それもあるけど、藤沢さんの世話人に決まってから『組織』から連絡があって、トレーニングビデオのダイジェスト版で小林さんの活躍を見ましたから」

「トレーニングビデオのダイジェスト版って何ですか?」

「会社だと、新入社員が配属される上司には人事部から本人の履歴書のコピーが送られてくるの。見てもあまり役に立たない情報だけど。『組織』は、そういう書類が無いでしょう? まあそんな上部(うわべ)の情報をもらっても仕方がないけどね。その代わりと言うわけではないけど『組織』は、新しいメンバーのトレーニング記録を世話人に閲覧可能にしているの。全部見ていると長くなるから私はダイジェスト版、要はマトメしか見ていませんけどね。それでもつまらない書類を読むよりは『百聞は一見にしかず』で、今年本社配属になった5人の能力者補の様子が良く分かりました。小林さんは最初から活躍しているよね。新入社員研修のトレーニングで、あの大きな装甲車を稲妻で木端微塵(こっぱみじん)に吹き飛ばしたのは凄かったなぁ。ベテラン能力者でもあれほどのチカラは、なかなか出せませんよ」

「お褒め頂き恐縮です。新入社員レーニングは全部録画されているのですか?」

「全部かどうかは分からないけど、4回分全部を見ようとすると一日では足りないかな? ダイジェスト版でも一時間くらいだったと思います。映画で言うとクライマックスシーンの取りまとめだから、こっちの方が見る分には面白いよ。タイラントにロケットランチャーを撃ったり、海竜をブラスターで吹き飛ばしたり、最後がさっき言った稲妻でしょう? みんなの表情は真剣だし、普通の映画を見るよりも全然、見応えがありました。私たちが新入社員の時よりもトレーニングが大掛かりになっていて驚きました。『組織』に何か考えがあるのかも知れませんね」

「その映像は私たちも見られるのですか?」

「どうなのかな? 私たちの時も記録されていたようだけど、見たいとは思わなかったから聞いたことがありません。もし見たかったら『組織』に確認してみれば?」

 亜香里は香取早苗の話を聞きながら夕食を食べ終え、食後のコーヒーを飲みながら二人は話を続けた。

「藤沢さんから聞いたのだけど、ゴールデンウィーク中もここで研修があって、最後にスコットランドでトレーニングがあったのですって?」

「そうなんです。補足しますと、ここに戻ってきたのは初出社日の早朝で、昨日は眠たさに耐えるのが大変でした」

「それはキツかったね。私たちの時はそんなのはなかったのよ。昨日の夜も大変だったんだって? 今朝『組織』の通知のメッセージが入っていたから。昨晩、里穂が出動したみたいだけど」

「そうなんです。変なUFOに引っ張られていたところを、本居先輩に助けられました。今朝まで検査に付き合っていただきました」

「そんなに大変な目にあったの? 通知には入っていなかったけど」

「検査結果は何ともなかったのですが、私が検査中に寝てしまって検査が終わってから、起こされても起きなかったようで、私に付き合って診療室で一晩過ごす羽目になったそうです」

「なるほどー、里穂らしいね。同期の中で一番しっかりしていて、面倒見も良いか。そう言えばトレーニングビデオ以外の情報で、昨日の円盤もそうだけど研修期間中の休日も、変なのに遭遇したんだって?」

「えっとー、どれだろう? 研修が始まってから変なことだらけで、記憶が整理できていないんです」

「それって、能力者補になったばかりの人のアルアルですよ。トレーニングも含めて、現実にはあり得ないことばかりが続くから何が変だったのか、分からなくなるでしょう? じきに慣れます」

「そうなんですか? 私はまだ慣れていませんけど。トレーニング中に稲妻(ライトニング)を出した時は、自分自身も混乱してしまいました」

「新入社員研修期間中ですからね、それはビビるよ。小林さんは初めからチカラが強くて、能力者としてのバランスが取れてないから、最初のうちは苦労すると思います。でも上手うまくやれば、すごい能力者になれると思う。それまでは昨日みたいに変なものに遭遇しやすいから、一人で対処できるようになるまでは、単独行動は避けたほうが良いかも知れませんね」

「そうなんですか? 社会人になったのに、独り歩きはダメですか?」

「ダメなわけでは無いけど自分がそれを排除できないのなら、出来る人と一緒にいる方が無難かな? 抜本策は能力に見あった技量(スキル)を身につけることかな? 少し時間が掛かると思うけど」

「技量ってどうやったら身に付くのですか?」

「文字通り、技術を持って物事を進める力量を持つこと。簡単に言えば経験を積むことかな? そう言えば、ここで缶詰研修期間中に詩織から水泳特訓を受けたんだって?」

「ここのジムにあるプールに入った時、成り行きで詩織に『教えて』と言ったのが運の尽きと言うか、昼間の缶詰研修と夜の部活並みの水泳トレーニングでハードなゴールデンウィークを過ごしました。おかげでクロールは不自由なく泳げるようになりましたけど」

「そういうのが大事なのよね。スキルってトータル的なものだから。今から時間ある? 良ければプールに行かない? 次のステップをレクチャーしますから。藤沢さんも帰っていたら声かけてみるね」

 話の成り行きから地下3階のプールに集合する事になり、詩織も帰宅していたので2人でレクチャーを受けることになった。優衣は人事部内の付き合い?で、帰宅が遅くなるらしい。


「水着を買ったの?」詩織が初めて見る亜香里の水着に気がつく。

「いつまでも、ここの借り物は嫌だから詩織と同じアリーナの競泳用をポチりました」

「2人揃ったから始めましょう。藤沢さんから『なぜ、ここのプールはこんなに深いのか?』と聞かれて、トレーニング用としか答えていないので、そのトレーニングを実際にやった方が分かりやすいと思い、来てもらいました。2人が使う用具は揃えていますので、手に取ってサイズを確かめて下さい」

 プールサイドの棚にノーズポケットのあるダイビング用マスク、モノフィン、小さなパイプを二つ繋げたようなものが、2セットある。

 香取早苗が自分の手元にある同じ用具で、一通り使い方を説明する。

「これってスターウォーズの ep1で、クワイ=ガン・ジンとオビ=ワン・ケノービが使用した、携帯酸素ボンベみたいなものですか?」亜香里が『これは!』と思い、口にする。

「小林さんが、そう聞いてくると思いました。スターウォーズ大好きだものね。機能は似ているけど、これはボンベではなく魚のエラみたいなものかな? 水中から酸素を抽出してコンプレッサで圧縮してタンクに貯めて呼吸に使う仕組みです。だいぶ前にベンチャー企業が開発を断念したものを『組織』が買い取って実用化したと聞いています」

「そうなんですか? 販売すれば儲かるのに」

「亜香里、たぶん『組織』は、お金に困っていないのよ。これを非合法的に使われる方が心配なのだと思う」

「おそらく、藤沢さんの言う通りだと思います。ミッションをやっていると『こんなに便利なものがあるんだ』というツールが『組織』にはたくさんありますから。世の中に広く行き渡ってしまうと危ないツールもいっぱいあります。では道具を身につけてプールに入ってみてください。『習うより慣れろ』で」

 香取早苗はマスクを付けて呼吸器をくわえ、プールの縁でモノフィンを履いてプールに飛び込む。亜香里と詩織も見よう見まねで道具を身につけてプールに入り、詩織はさっそくモノフィンを使ってグングンと潜っていく。

 亜香里は初めて履いたモノフィンをどのように使えば推進力が得られるのかが分からず、水面を漂っていたが呼吸器のおかげで呼吸に問題はなかった。(息継ぎせずに泳げるのは楽だなぁ。最初からこれがあればもっと楽にクロールを覚えられたのに)

 呼吸器を付けて普通のプールには入れないと思うのだが。

 香取早苗が亜香里の近くまで上がってきて、モノフィンの使い方を身振りで教えてくれる。

(なるほど、軽くドルフィンキックを打てば良いのね。オオッ! これは面白い。これを使ったら水泳の日本代表になれそう)

 つい最近まで50mぐらいしか泳げなかった亜香里が元国体選手、詩織の部活レベルのトレーニングでかなり泳げるようになり、今日は初めてモノフィンをつけて呼吸器があるおかげで水深が10mあるプールを自由自在に泳ぎ回れるため、楽しくて仕方がない。(このセットがあったら、海の中でも怖いものなしだ!)

 香取早苗と詩織は25mプールを単純に往復するだけでは距離が足りず(10秒もかからないので)プールの深いところも使い、潜りながら斜め往復を競争している。

(そっかー、斜めだと距離は√2 くらいに伸びるのかな?)と亜香里はどうでも良いことを考えながら、水深10mという経験した事のない深さを行ったり来たりして、フィンスイミングを楽しんでいた。

(水深10mから見上げるプールの水面越しの照明がいい感じ。確か写真部室に水中ハウジングがあったから今度、大学に行って借りてこよう)写真部が外部のギャラリーを借りて開催する定期展示会に、OB・OGコーナーがある事を思い出し、出展を思いつく。

(それにしてもプールで、こんなに絵になる景色が見られるなんて知らなかったなぁ、あれ? なんか息がしづらい? 頭が急にクラクラする)

 亜香里は、そのまま意識を失いプールの中を漂い始めていた。

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