063 寮の特別プログラム4

 試験内容の解説が終わり、トレーニングへ向かうための準備が告げられて、地下5階の教室から、寮(と言っても同じ建物だが)に戻る亜香里たち。

「なんだか騙された気がするけど、気のせいかなぁ? 最初は『点数が足りないけど、私も連れて行ってくれる』と聞いて、ビージェイ担当にお礼を言ったのは損をした気がする」亜香里はエレベーターの中で愚痴っている。


「持ち上げといて『ドスン』と、落とされた感じでしょう? この特訓が始まるとき『ロイズ保険組合の見学』と聞いて、怪しいなとは思っていたの」

「詩織はどうして、怪しいと思ったの?」

「だって、ロイズ保険組合は見学するようなところがないからね。ビルがあるだけで5分もあれば見終わると思うの。保険の歴史を勉強すると必ず出てくるし、今だって最後の再保険組織として有名だけど、実態はそこに所属する会員の誰かがリスクを取って、無限責任を負うアンダーライターになるだけだから」

「詩織はそこまで知っていて、なんでビージェイ担当に聞かなかったの?」

「保険組合の見学と称して、私たち成り立ての能力者補をロンドン見物に連れて行ってくれるのかと思ったの。ちょっと考えが甘かった。まさか2日間でトレーニングをやるとは思わなかったよ」

「詩織さんにしては油断しましたね。私はあの日程を見たとき、トレーニングがあるのかもって思いましたから。研修センター最後のトレーニングで高橋さんと一緒にファルコン号で日本に戻るときに、高橋さんは機内で仰ってましたよね『またすぐに会える』って。それを聞いて、おかしいなと思っていたんです。だって配属されてしまったら5人が一緒にトレーニングすることとか、なかなか無いじゃないですか? ズッと頭に引っかかっていて。ここに来てビージェイ担当の説明で『ロンドンがどうのこうの』って言うから、アレっ? て思ったのです」

「詩織も優衣も鋭いなぁ。全然、そんなこと考えていなかったよ。今思い出したけど、会社の新入社員研修案内のガイドで所持品の中に『身分証明のため、パスポート持参』って書いてあったから、それを読んだときは変だなとは思ったんだ。普通はパスポートとか新入社員に不要でしょう? 私たちはこれから使うわけだけど」

「そうなんですか? 今回はちゃんとパスポートを使って出入国するのでしょうか?」

「さっき、ビージェイ担当が『パスポートを持ってくるように』と言っていたじゃない? 『組織』の飛行機? みたいなものを使っていくのだろうけど、どこかでパスポートを使うんじゃないのかな?」

「空港に行けば分かるんじゃない? ここを18時に出発するって言っていたし、2泊2日だから荷物は最低限ね、観光もなさそうだし」


 18時ちょうどに『組織』が用意した黒いワンボックスカーが、寮の地下駐車場を出発した。

 4人はショルダーバッグ程度の荷物、優衣だけはキャスターバッグ。

「分かっていたけど、優衣の荷物多過ぎ」

「これでも急いで荷物は減らしたんです。お昼休みに準備したものから相当減らしました」

「だって、現地1泊でしょ? どうして、そうなるの?」

 亜香里たちを乗せた車は、羽田空港国際線ターミナルのビジネスジェット専用施設に到着した。車を降ると専用ゲートのところに高橋氏が立っていた。

「全員来られたようですね。では行きましょう」高橋氏がスタスタ歩いて行く後を追う5人。

 途中、CIQ『税関(Customs)、出入国管理(Immigration)、検疫所(Quarantine)』をササッと済ませ、(優衣だけは大きなキャスターバッグを係員が見て『中に元CEOの外国人とか入っていませんか?』と冗談半分に聞かれていた)、建物の外に出ると目の前には、見慣れない飛行機が駐機している。

 高橋氏に続き、乗り込む5人。

「これって『組織』のプライベートジェットか、何かなのですか?」

 優衣が機内の様子を見ながら高橋氏に聞く。プライベートジェットだったら、小さなテーブルがあったり、向かい合わせの座席があったりするが、機内は進行方向に向かって頑丈そうな6点式シートベルトのある座席しかない。

 亜香里たちが持ってきた手荷物は、後ろにある貨物スペースの大きなネットの中に入れるよう指示される。

「プライベートジェットだったら、イギリスに行って帰るだけで2日かかってしまいます。前回、ファルコン号に乗ったときの事を覚えていれば分かると思うけど形は違っても、これも同じようなものです。座席に座ってしっかりとシートベルトを締めてください」高橋氏の説明が終わる間もなく、飛行機のようなものが動き始める。

「(また高々度で飛ぶのなら、これはビジネスジェットの形をした違うものだ。ロケット?)高橋さん、目的地まではどれくらいかかるのですか?」

「エディンバラ空港まで3時間くらいかな? そう言うと萩原君は『どうしてそんな短時間で着けるのですか?』って聞いてくると思うけど、それには答えません」ニヤリとしながら高橋氏が答える。

「離陸して直ぐに急上昇するから、しっかりと座っていて下さい」

 直ぐに離陸をしたあと、ほぼ垂直の角度で上昇を始める。

(やっぱり、これロケットだよ)と思う、悠人と英人。

 窓の外の空の色が、空色から青、そして濃紺に変わる。

 上昇Gが掛かりっぱなしで前回、ファルコン号で経験しているとはいえ、頑張って耐えないと吐いたり頭痛がしてくるレベル。唾液が口の奥の方に動いていく。

 しばらくすると上昇角度が緩やかになり水平飛行に移った。機内に音はしない。シートベルト装着のサインが消える。

「2時間くらいは、この状態が続くのでユックリしていて下さい、夕食時間のフライトですが、旅客機ではないので食事サービスはありません。各自ギャレーから好きなものを取って食べてください」

 さっそく、席を立ちギャレーへ向かう亜香里。ギャレーは、トレーニングの往復で使ったカプセルにあったものと同じ仕様である。

「このギャレーは『組織』共通なのかな? 羽田空港からの出発だったから、和風の機内食を期待したのだけど、まあ勝手知ったるものだから、それはそれで良いかな。何があるのだろう?」次々に扉を開けてみる。

「『組織』も忙しいのかなぁ? 羽田空港の空弁を急いで買い込みましたって感じね。準備してくれてる分、有り難いけど」他の4人も、ギャレーにやって来る。

 亜香里が言うとおり羽田第1,2,国際ターミナルの納入業者から集めたようなラインナップである。

 お弁当は、たか福のすき焼弁当、大船軒の穴子押寿し、肉の万世の万かつサンド、若廣の焼き鯖すし。デザート系は、羽田空港限定クリスピークリームドーナッツ、千疋屋総本店のフルーツサンドイッチ、ねんりん家のバームクーヘンサンドイッチ、天のやの玉子サンド。

「空弁でもこれだけ揃えば十分ですよ。それぞれ3つ以上あるから亜香里がたくさん食べても、欠食になる人はいないでしょう? せっかくだから、そこにあるシートを広げて床に座って、シェアして食べようよ」

「詩織さんのアイデアに賛成です。一つのお弁当だけ食べても飽きますから」

 飛行機の空いたスペースにシートを引いて、持ち込まれていた空弁をドンドン開ける。

 高橋氏も最初は『自分は良いよ』と言っていたが、亜香里の強引な誘いにより、みんなと車座になる。最初は空弁に集中する5人だったが、一段落付いたところで亜香里が高橋氏に聞いてみる。

「高橋さんは『組織』に入って、今までどのようなミッションをやられてきたのですか?」

「いきなりその質問ですか? まあ、いろいろなミッションをやってきましたよ。話し始めたら長くなります」

「ではこれからのトレーニングのことで聞きたいのですが、ビージェイ担当から、私が今回のプログラムに参加しないとトレーニングに抜けが出る、と聞いたのですが?」

「ビージェイ担当は、そんなことを言ったのですか?」

 高橋氏は、ちょっと考える表情になり、否定するように言った。

「彼は、話を作ってしまうところがありますからね。今回は最初からこのチームでのトレーニングを予定していました。研修センターのトレーニングにほとんど顔を出せず、指導者らしきことが出来ませんでしたから」

「そうなんですか? じゃあ、午前中のテスト結果によっては連れて行かないと聞いていましたが、テストとトレーニングは関係ないのですか?」

「ビージェイ担当は、みんなに緊張感を持って試験を受けて欲しかったのではないですか?」

「安心しました。今度、ビージェイ担当に会ったら問い詰めないと」

「みなさんは、ビージェイ担当に会ったことがあるのですか?」

 5人は顔を見合わせて、そう言えば、散々話はしているけど3Dホログラムやディスプレイの中でしか会っていない事に気がつく。

 ニヤリと笑う、高橋氏。

「私は席に戻って、仮眠を取ります。ここの片付けをお願いできますか? あと1時間ほどで着陸準備に入りますから、それまでにやることがあれば済ませておいてください」

「何かトレーニングのために準備しておくことはありますか?」

「篠原さんのその格好だと、今時のスコットランドは少し寒いかな? 日本より暖かい服を着ておいた方が良いと思います」優衣は、ワンピースにスプリングコート姿だった。

 詩織はそれを聞いて、あのジャンプスーツを今回は着なくて良いのだとホッとしながらも、トレーニングで何度も助けられたので、少し心細くなる。

「今の服装のままでトレーニングを行うかどうかは別問題で、現地に到着したときに篠原さんの服装では寒いかな? と思ってアドバイスしただけなので、今から重装備は不要です」

 詩織は、思っていたことを見透かされたような高橋氏の言葉に少し驚く。

 しばらくすると、シートベルト着用のサインが点灯した。

 亜香里たちが乗った『組織』の飛行体は、高々度飛行で真っ直ぐにグレートブリテン島を目指していた。

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