060 寮の特別プログラム1

 詩織は(やっぱりそういう仕様なのね、と思い)勢いよく飛び込んだあと、プールの中で漂っていた体勢を整えて、プールの底に向けて潜って行くとプール内の壁に目盛りがあり、一番下の目盛りは十メートルと表示されている。

 詩織は納得して浮上し、水面から顔を出すと亜香里がジムフロアから階段を降りてくるところであった。

 亜香里は5コースあるプールを見て、詩織に確認する。

「普通の二十五メートルプールね。泳ぐのは久しぶりだけど、詩織に言われたからカロリーを消費するために泳ぎます」

「亜香里はどれくらい泳げるの?」

「高校の体育で五十メートルぐらいは泳げました。そのあとは海水浴程度かな?」

「そうですか、では気をつけて入ってください」

「ハイハイ」

 何も気にせずにプールサイドから軽く『ドッボーン』とプールに入る亜香里。

 詩織と同じように足先から飛び込むと、そのまま浮かび上がって来ない。

 しばらくするとバタバタしながら浮かんできて、慌ててプールの縁を掴んでいる。

「何なの! このプール! 底が見えないじゃない?」亜香里がハアハア言いながら詩織に聞く。

「底は見えるよ、十メートルほど下に」

「水深十メートルの二十五メートルプールとか、普通ありえないでしょう?」

「高校の頃、合宿に行った先でこんなプールに入ったことがあるのよ。ここまで深くはなかったけど面積の3分の1くらいが深いプール。このプールは、うちらがいる方が水深十メートル、反対側の半分が2メートルくらいかな? この施設は『組織』のトレーニングも兼ねているんじゃないのかな? ミッションで水中深く潜ってどこかに潜入するとか」

「えーっ、そんなミッションやだ! 下手したら、溺れ死んでしまうよ」

「冗談よ。うちらは特殊工作員じゃないんだから、そんなのは無いと思う。たぶんスキューバやシュノーケリングのトレーニングで使用するのかな? それだったらありそうじゃない?」

「スキューバも遊びだったら良いけど、ミッションだったら嫌だなー。ボンベの酸素が無くなったら危ないじゃない? 今までトレーニングや不思議な現象で、危ういところをなんとかクリアしてきたのに『寮のプールで溺死しました』とかだったら洒落にならないよ。ここのプールは怖いから今日は上がります。もう遅いので部屋に戻って寝ます」

「そう? 私は、しばらく泳いでから戻ります。明日、寝坊しないようにね、おやすみ」

「そうだ! 1階食堂の使い勝手が分からないから調べておかないと。ではおやすみなさい」

 詩織がユックリとした動作でクロールを泳ぎ始めるのを見ながら、亜香里は階段を上がって行った。

(あんなにゆっくりの動作なのに何で、泳ぐのが早いの? 今度、詩織に習おうかな?)亜香里は寮のプールの深さが気になるが、ミッションのためには泳ぎも覚えた方が良いのかな、と思い始めていた。


 翌土曜日の朝、9時を過ぎた頃、まだ寝ぼけている亜香里はダブルサイズのベッドから落っこちて目を覚ました。

「なに? ココどこ? えっとー、寮の部屋か。初めて起きる部屋は変な感じ」

「何時? 9時を過ぎてるじゃない。食堂が終わってるよぉ」

 昨晩(と言っても、深夜になるが)ジムから部屋に戻って、CK(シーケイ)に施設のこと(主に食事)をいろいろ聞いていたら3時を過ぎ、慌てて寝たのだが目覚ましをセットするのを忘れていたのであった。

「CK(シーケイ)に、起こすのを頼んでおけば良かった。でも今日はロビーに10時集合だからまだ時間は大丈夫よね。クッキングマシンで朝食を取ろう」

 昨日の夜、使い方を覚えた部屋の壁に掛かっているディスプレイパネルから朝食のメニューを選ぶ。

「朝は、朝定食(和、洋、中、印)の4種類? 印とは、なんぞ? 想像はつくけど。これにしてみますか。出来上がりまで5分だと、顔洗って着替えたら丁度良い時間ね」

 出来上がったお知らせの音を聞き、多目的室へ入ってみるとセキュリティ認証がスマートウォッチでも出来ることが分かり、面倒がなくなって満足する亜香里。クッキングマシンから出てきた朝食は、思った通りカレー定食であった。

「印だからインドでカレー定食かな? ベタだけどわかりやすいね。カツカレーじゃないのが残念」朝からカツカレーを食べる人は、そんなにいないと思うが。

 食事の量は、さほど多くはなく、亜香里は直ぐに食べ終わり、ミルクとコーヒーの両方を飲んでいるところに詩織が入って来た。

「おはよう、遅い朝食ね。それとも2回目の朝食?」

「おはよう、私でも朝から2回もカレーを食べませんよ。詩織の格好は、朝から走ったの? 朝食は?」

「6時に起きて1階の食堂で朝食を取ってからしばらくユックリしていたけど、時間があったから公園の回りを走ったの。シャワーを浴びてからロビーに行く予定」詩織は話しながら、冷蔵ケースからミネラルウォーターのボトルを取り出して飲み始める。

「朝から充実してるなぁ。1階の食堂はどうだった?」

「どうだった? と言われても食堂? そっかー、亜香里は食べ損なったからメニューが気になるよね? トレーニングA棟の朝食で出たのと同じかな? シンプルでおいしい日本の朝食だったよ。じゃあ、あとで」

 明日の日曜日も特訓が続くのだろうから、明日は早起きをしよう、と心に誓う亜香里であった。


 亜香里、詩織、優衣の3人は、十時5分前に1階ロビーに集まった。

 優衣は十五分ほど前に寮へ到着し、自分の部屋へ一旦荷物を置いて降りてきたとのことだった。

「ここにこんな施設があるなんて知りませんでした。十階建で駅から近いのに、同じ沿線に住んでいて今まで気がつきませんでした」

「公園をうまく使っているのね。駅からだと公園しか見えないから」

「萩原さんと加藤さんが来ませんね? ここは女子寮だから、あっちの寮に集合しているのかな?」

「たぶん、来ていればね」

 ロビーに設置されているディスプレイに、ビージェイ担当が現れる。

「ここでも、お前か、なんて思わないで下さい。『組織』でも人のやりくりは大変で、この特別プログラムも引き続き、みなさんのお世話させて頂きます。それではゴールデンウィーク中のプログラムについて、大まかな予定を説明します」

 ディスプレイがウィークリーカレンダーに変わる。

 今日からゴールデンウィーク明けの出勤日前日まで、ビッチリと午前午後の予定が入っている。

「さすがに、これはマズいんじゃない? 研修不足を補うための特訓と言っても、休日なしに一週間以上続けて講習を行うというのは、労基法的にもヤバいんじゃないですか?」トレーニングの時もこんなこと言ったような気がするなと思いながら、亜香里が聞いてみた。

「小林さん、今、お見せしているプログラムは最大限みっちりやった場合のパターンで、昨日お話ししたロイズ保険組合を見学するプログラムも含まれています。この連休中に詰め込み研修をやってロンドンまで行くとなると、どうしてもこのような日程になってしまいます。ロンドン行きを無(な)しにすれば全体のスケジュールに余裕が出来て、休日が取れると思いますが、みなさんはどちらがよろしいですか?」

(そう言えば昨日、ロイズ見学を説明していたのを忘れてた!)顔を見合わせる3人。

「(コソコソと)連休中に研修だけで終わるのはヤダよね。頑張ってロンドン行く?」

「「ウンウン」」

「ビージェイ担当、大変そうなプログラムですけど頑張って受講します」

 ロンドンに遊びに行けると思っている亜香里たち。新入社員研修中に『組織』のトレーニングで、近く(北アフリカ)まで行かされて大変だったことをもう忘れている。


「さすが、能力者補のみなさんです。では、早速プログラムを始めますので地下5階へ降りて下さい。そこが講習会会場です、今回は5人専用にインタラクティブな学習プログラムを用意しています。では、お待ちしています」

 3人はビージェイ担当の指示に従い、エレベーターに乗ると扉が閉まり自動的に地下5階まで降りて行った。

「今回はカードリーダーに何もかざす必要もないのね。今から『組織』のプログラムを受講するからかな?」

 エレベーターホールの壁にB5と表示された広いフロアにはいくつものドアがあり、ひとつのドアの横のディスプレイにだけ表示があり、ランプが点滅している。

「ここに入りなさいって事ね」

 詩織がドアを開けると、悠人と英人が椅子に座っていた。

「おはようございます、講習は一緒にやるみたいです。ここのフロアは男子寮と女子寮がつながっているんですね」

 悠人が挨拶をすると、それに被せるようにビージェイ担当が現れた。

 部屋は学校の教室ぐらいの広さ、そこに5人だけだから余裕はある。

 教室で黒板がある位置の壁一杯にディスプレイがあり、その中にビージェイ担当は教師のように立っている。

「昨日お話ししたとおり、この部屋では『組織』ではなく、会社の業務に必要な知識、技術を中心にレクチャーを行います。今から行うクラスルームスタイルによる講義と、個別にコンピュータで理解力を測りながら進めるインタラクティブトレーニングの2本立てで進めていきます」

「では、最初に研修センターでやったことの繰り返しになるかも知れませんが、生命保険の…」

 地下5階で、本当に缶詰の中身になってしまった亜香里たちであった。

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