010 研修3日目 お昼休みの確認事項

「……ということで、研修3日目、午前中の講義を終わります。コンプライアンスについては、これからも度々話が出てきます。昨今は法令遵守に留まらず、法人格としての企業倫理の維持向上という広い範囲を包括し、これらを遵守することが現代の企業に求められております。それを常に忘れずに社会人として行動してください」

「スケジュール表にある通り、午後はグランドで身体を動かすこととなります。みなさんは座学が続いて身体が硬くなっていると思いますので、怪我には充分注意して思う存分身体を動かしてください」


 川島講師が教室を出て行くと、小林亜香里が席を立ち藤沢詩織の席へやって来た。

「詩織、食堂に行こう」

 二人で連れ立って教室を出て行く。

「今日の午前中は、ちゃんと起きていたみたいね」

「昨日と同じようにキツかったけど、一昨日から続いている例の夢のことを考えていたら、眠くならなかったよ」

「じゃあ、亜香里の眠気予防対策は、毎晩お尻にマークを付ければ良いのね?」

「だからお尻じゃなくて、あの世界そのものの話だってば」

 研修棟から食堂までの廊下で、周りに他の新入社員がいないことを確認しながら2人は話をする。内容をボカしてはいるものの、聞き耳を立てられれば入社早々『電波の人たち』と思われそうなので、それなりに注意をしていた。

 注意をしていてもその話を耳に入れている人がいたわけだが。

 昼食は別クラスの篠原優衣も同じテーブルにやって来て、朝食の時に途中で話が終わってしまった昨日の夢の続きを「やっぱりあの滝は…」とか「大きなタコがさぁ…」とか『あーでもない』『こーでもない』と3人で話をするが、そもそも夢なのか、ありえない現実の世界なのかが分からないので、話が全く先に進まない。

 詩織が思い出したように言う。

「そういえば、亜香里のハートマーク2つはどうなったの?」

「まだ見ていません。自分の目では直接見られないし。今回のはアザの形が微妙だけど原因が分かっている(タコの吸盤)から、いずれ取れると思って心配していません」

 二晩連続となると慣れてきたのか、亜香里は開き直っている様子。

「大丈夫ですよ。今日も一緒にお風呂に入って、亜香里さんの美尻をしっかりと確認しておきますから」

 優衣は右手でOKマークを出しながら、笑顔で力説する。

「そんなの日課に、しなくていいからね!!」

「見ても減るものじゃないからね」

 詩織は(女同士だからどうだって良いじゃない)と思っている。

「詩織までー!!」

 本当はお尻がアザにならないか心配している亜香里は、頬を膨らませていた。


 萩原悠人と加藤英人は亜香里たちから離れたテーブルで、同じクラスの男子グループで昼食を取っていた。

「午後はグランドだから走ったりするのかな? ちょっと身体がダルイなぁ」

 悠人は生あくびをしながら、ご飯を口に運んでいる。

「悠人もダルイの? 俺もだよ。久しぶりなのに昨日は少し走りすぎたのかな。おまけに夜は変な夢を見るし」

 『変な夢』という英人の言葉に反応した悠人は平静を装いながら、さりげなく聞いてみる。

「英人が夢の話をするのは珍しい。どんな夢を見たの?」

「支離滅裂過ぎてよくわからないけど、最初にナイアガラの滝の上空に浮いているわけさ」

(エッ? 俺の夢と同じじゃない? まさか、そのあと... )いやな予感がする悠人。

「そのあとも、まさかであり得ないけど、海竜がこちらに昇ってくるんだよね。海竜の滝登り、もうこの辺であきれてモノも言えないけど、上空に逃げたらプテラノドンが襲ってきて、滝の中に逃げたら巨大イカが襲ってくるし、学生最後の春休みにネットで映画を見過ぎたのかな、と思ったよ」

「変な夢を見たんだな。でも面白そうじゃない? タダで映画を見ているみたいで(『同じ夢見た』と言うと俺も『不思議ちゃん』と呼ばれるのかな?)それで最後は助かって、ハッピーエンドだったの?」

「夢のアルアルで最後はなんとか逃げ切って、夢の中で疲れて休んでいたら、目が覚めていつも通りの朝でした、ってヤツ。でも起き上がったら、すごく動き回ったような疲労感が身体に残っているんだ」

「(あとで2人になった時、詳しく聞いてみよう) ふ~ん、そうなんだ。疲れは昨日、急に走ったからだよ。女子も走っていて少し張り切りすぎたんじゃない?」

「そう言えば夢の中で遠くの方に、昨日の女子たちがいたような気がするんだよね」

「(おいおい、どこまで同じなんだよ)へぇー。英人は昨日、藤沢さんにアプローチしてスルーされたものね」

「悠人は、不思議ちゃんに話しかけられたのだろう?」

「小林さん? たいした話じゃないよ。横に並んだときにちょっと見ていたら(本当は割と見ていたけど)『何をジロジロと見ているの!』みたいなことを言われたから、自分の名前を名乗っただけだよ」

「あの子、そんな事言うの? 怖いねー。午後のグランドはみんな一緒だろう? あまり見ないように注意しないとね」


 亜香里たちは、お昼休みに早めにグランドに出てみた。

 空は雲一つなく晴れ渡っており4月にしては暖かく、早々にグランドへ出ている新入社員も多い。

「やっぱり、外は気持ちいいねー。桜は散っちゃったけど、お花見弁当日和だねー」

「お昼を食べたばかりでしょう? 亜香里の食欲はどうなっているの?」

 詩織は学生の頃から亜香里のことを知ってはいたが、今回の新入社員研修で初めて寝食を共にして、留まることのない亜香里の食欲を本当に不思議がっている。

「そうですよ。もう二十二歳なので食事に気をつけて、詩織さんのようにナイスバディを目指さないといけません」

「幼女体型の人には、言われたくないなぁ」

「私はまだ発育途中なんです! 亜香里さんにも発育が必要なところがあるのではありませんか?」

 そう言いながら、亜香里の胸元に視線を送る優衣。

「なんだか低いところから邪悪な視線を感じるね。どこかに育ちの悪い子供でもいるのかなぁ?」

 と言いながら、優衣の方をチラッと見る亜香里。

「二人ともー、醜い争いはしない、しないの!」

 詩織の発言は全くフォローになっていない。

「「詩織( 詩織さん)は、いいんですー !!」」

 ここだけは認識が共通した2人である。

 自分達の言葉が重なりながら、遺伝子によるものはどうしようもないなと思っていた。

 3人がそんなどうでも良い話をダラダラと続けていると集合時間が近づき、グランドの中央には大勢の新入社員が集まっていた。

 午後1時、グランドにトレーニングウエア姿の講師が数名立ち、中央の講師がハンドマイクでグランドにいる新入社員に声を掛け始める。

 消防士姿の人もいる。

「みなさん、集まりましたか? 学生の時の様に点呼は取りませんよ。2〜3人ずつのグループになって下さい」

 集まった新入社員は、ガヤガヤしながらグループになっていた。


「それではこれから午後のプログラム、避難訓練を始めます」

「最初にグランドを3周走ってください。訓練前のウォーミングアップです」

「3周走ったあと、あそこ(グランドの角を指さす)にある標識の矢印に従ってグランドの裏側へ回ってください」

「裏に2階建ての建物があります。そこが本日の避難訓練場所となります」

「建物の前に消防士の方がいますので指示に従ってください」

「避難訓練が終わったグループからグランドへ戻って来てください。本日午後のプログラムはそれで終了です」


「避難訓練とか、研修のスケジュール表に書いてあったかな?」

 詩織が、はてなマークの表情で亜香里に聞いてみる。

「書いていなかったと思うけど、グランドに集まったら何かをやるんだろうなとは思っていたから、避難訓練もアリでしょう? ずっと座学で教室にいるより眠くならないし運動不足解消には良いと思うよ」

 亜香里は午後の眠気と戦いながら講義を受けるのではなくて良かった、とホッとしている。

「避難訓練なら、亜香里さんは眠りながらやっても楽勝でしょう? 昨日の夜は私を助けたあと、大きなタコさんを包丁で切り刻んでいましたから」

「あれは優衣を助けたあと油断したら、タコがしつこく絡んできたから仕方がなかったの。あのタコはどうなったんだろう?」

 3人がおしゃべりをしていると、講師から号令が掛かる。

「それでは始めます、用意スタート!!」

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