007 研修2日目 夕食後のランニング

「…ということで、生命保険募集人の資格については、これからの配属先に関わらず全員取得してもらいます。ここでの講義を聞いていれば簡単に試験は受かると思います。以上で本日の講義を終わります」

 川島講師が教壇を降り、部屋を出て行く。

「2日目終了! 何とか眠気に勝ちました。やっと2日かぁ、先は長いなぁ」

「お勉強しながらお給料をもらえるのだから良しとしないと。配属されたらこんなに楽じゃないと思うよ」

「そうなの? うちの会社って伝統企業だから楽じゃないの?」

 亜香里は勝手な企業研究(思い込み)を今も信じているようだ。

「国内にもかなり外資系が入ってきているし、小さな保険会社は統合されたりしているでしょう? 大きいとはいえ、うちの会社もこのままずっと安泰とは限らないよ」

「詩織、考えすぎよ。そんなに急には変わらないと思うよ」

 亜香里の楽天的なところは不変なようだ。

「それより、まず夕食です。食堂へ行きましょう」

「亜香里は何でそんなに楽観的なのかな? 一緒に居てそれが楽なんだけど」

 まだ研修2日目のせいか、他の新入社員も続々と食堂へ向かっている。

 競う必要は無いのに足早に食堂へ飛び込む亜香里。

 トレーを持って列に並ぶ。

「今日はベースがカツ定食ね。サラダとかいろいろ、お代わり出来そう」

「またお代わりをするの? 亜香里のお腹って底なしね。腹を見せてみ、腹を」

「お昼は他のところを見たくせに。今度はお腹? 詩織は実はエロいの?」

「はいはい。亜香里はいい子、いい子」


「あの2人、仲がいいね、また一緒に食べている。俺らも近くのテーブルに場所取らない?」

「要観察ということで、目立たないように近づく分には、いいんじゃない?」

 亜香里と詩織が座るテーブルから、斜め隣のテーブルに悠人と英人は席を取った。


「お尻の件だけどさぁ」

 あらかた夕食を食べ終わり、お茶を飲みながら話し始める詩織。

「お尻はもういいから。お昼に相談した事をちょっと真剣に考えてよ」

「そうは言われてもね。亜香里の夢の話だし、目撃者がいるわけでもないし」

「毎回、私以外にも研修センターの新入社員がいるの。名前は分からないけど」

「研修センターで見たことのある人がいるの?」

「同じ新入社員じゃないのかな?とは思うけど。毎回、周りが薄暗くてよく分からないの。そこでやるトレーニングが結構ハードで、昨日の夜は赤い球から逃げるのに必死で、追い掛ける青い球を見ているだけで、周りなんか見られなかったよ」

「ふ~ん。でもずっと飛んでいたらニアミスとかしないの? グルグル回っていたのでしょう?」

「ここのグランドぐらいの広さで、斜め上に昇っていくのよ。他の人は小さな点ぐらいにしか見えませんよ。途中から息が苦しくなるし」


「小林さんって、朝もそうだったけど聞こえてくる話の内容からすると、不思議ちゃん?」

 観察を続けている亜香里と詩織の話が、ところどころ悠人と英人の耳に入ってくる。

「カワイイ天然系の不思議ちゃんかも」

 悠人は英人に適当に相づちを打ちながら(なんで、俺が昨日見た夢と同じ夢の話しているの? 偶然とかあり得ないだろう? まだ話もしたことが無いのに同じ日に同じ夢をみるとか…、もしかすると俺の夢に入って来ているとか? いやいや、そんなオカルト話は無いから)ぼんやりと昨日の夢のことを思い出していた。

「悠人、どうした? ボーッとして」

「いや、このあと、お風呂までどうしようかなと」

 悠人は適当にごまかした。

「風呂は面倒だな。部屋ごとに入る順番と時間が決まっているとか。たしかに大きな風呂とはいえ、みんな一度に入るのは無理だけど」

「女子は、お風呂時間が長いから大変だと思うよ」

 悠人は適当な受け答えをしながら、夢に出てきた亜香里のことを考えていた。

「じゃあ、今日は風呂まで時間があるからグランドに出てみない? ずっと講義が続くから身体が鈍るよ」

 学生時代はラグビー部でWTBをやっていた英人は走るのがルーチンになっている。

「行くのはいいけど、英人とは一緒には走らないよ」

 学生時代、長身で誘われたバスケ同好会で活躍していた悠人だが、走るのは好きではなかった。

「まあ、とりあえず外に出よう」

「了解」


「男子は元気ね。グランドを走っている」

 グランドを見ていた詩織の視界に、男子4人が走っている姿が入ってきた。

 夕食後もホールに残り、先ほどの話を続ける亜香里と詩織。

 亜香里は進まない話を中断して話題を変える。

「詩織は運動が出来そうだけど、何かやっていたの?」

「高校までは水泳。私、身長があるでしょう? 今時は水泳も背が高い方が有利なの、ある程度技術があればね。一応、国体まで行ったんだ」

「そうなの! それでなぜ私と同じ大学の経済学部だったの? オリンピックとか目指さなかったの?」

「それは全然レベルが違うでしょう? 代表候補に入ってナショナルトレーニングセンターで鍛えている選手とか、そもそも人間として違うし。私は比較的競争相手の少ない個人メドレーだったから国体まで行けたの。順位は聞かないで」

「ふーん、そんなものなの」

「亜香里は何かやってたの?」

「高校の途中までチアリーディング」

「途中までとは?」

「腰を痛めちゃってね。小さい頃は何でも出来る気がしたんだけど、高校に入ってから身体が思った通りに、動きづらくなったというか…」

「デブった、てこと?」

「デブ言うなぁ! 今だって百六十センチ、四十数キロです。ナイスバディとは自分から言わないけど」

「そうね、お尻も垂れていなかったし」

「もう、お尻はいいから… 私たちもグランドに出てみない?」

「出よう、出よう。速攻でスーツを着替えてくる。亜香里も着替えておいでよ

「もしかして走る気満々?(詩織「ちょっと流す程度」)はいはい、付き合いますよ」

 二人は食堂棟から宿泊棟へグランドへ出る準備をしに行った。


 悠人と英人は同室の二人と計4人で、グランドを軽くジョギングをしている。

 『走るだけ』というのは好きではない悠人であったが、自分だけ走らないのも気まずいので英人に付き合って走っていた。

「おぉ、女子も出てきたぞ! 不思議ちゃんもいる」

 英人は走りながら早速、観察モードに入る。

(今日、運動をするの2回目の様な気がする。チョットキツい)と思いつつ、

「4人いるね。俺らみたいに同室なのかな?」

 悠人は差し障りのない返事をする。

 あとの二人は「これはグランド合コン、グラコンかな?」

 どうでもいいことを言っていた。


 宿泊棟に戻った亜香里たちは、それぞれ同室に居た子に声を掛けてみると「身体が鈍るよね」「グランドに出てみたい」と言う子がそれぞれの部屋にいて、同室2×2人の構成となる。

「照明が点いていて走りやすそうね。軽くストレッチをしてから流しますか」

 詩織は走る気満々。


「それはしっかり走るってことですよね? 他の選択肢はないのですね?」

 亜香里は自分が最初にグランドに出ようとは言ったものの、眠気を催していた。

「ダラダラしていたら、お風呂の時間が回ってくるじゃない? 走ろ、走ろ」

「そうですね、運動不足を解消しましょう」

 亜香里と同室の篠原優衣が同意する。

「はいはい、了解です」

 亜香里は詩織のランニングに付き合うことになった。


 軽く柔軟をしてから、走り始める4人の女子。

「女子も走り始めました。これは脈ありですか?」

 同室の男子がうれしそう。

「俺らと同じ、運動不足解消じゃない? 藤沢さんとか学生時代に何かやっていた感じだし」

 英人が観察状況をコメントする。

(小林さんも黙って走っている。夢の中ではギャアギャア言っていたけど)悠人は昨日の夢のことを思い出していた。

 女子が走り始めたせいか、男子4人のピッチが上がる。

「英人ぉ、軽いジョギングじゃなかったっけ」

「いやぁ、入社前の長い春休みは余り身体動かさなかったし、久々に走ると楽しくて」

「お前は良いよ。俺、走るのは趣味じゃないし」

「そう言わずに。ほら、女子チームに追いついてきたよ」

「なんだかんだ言って、英人は積極的だなぁ」


「後ろから男子が近づいてきますけど」

 優衣が気にする。

「うちら、ゆっくり走っているから抜かさせればいいよ」

 先頭をリードしながら詩織が答える。

「抜かされてもいいから、もうチョットゆっくり走ろうよぉ」

 亜香里は研修2日目で、すでにバテ気味である。

「亜香里さぁ、少し身体が疲れるくらいの方が、ぐっすり眠れて変な夢を見なくなるよ」

「変な夢って、何ですか?」

 優衣は、朝からお尻を丸出しにしていた亜香里のことが気になっていた。

「あとで、亜香里に聞いてみて。今は、とりあえず走ろう」

 詩織は優衣の質問を軽く受け流す。

(あー、詩織ぃ! 話しを立てておいてフォロー無しですか?)

(まあいいか。篠原さんには適当なことを言って、ごまかそう)

 亜香里は昨日初めて会った同室の篠原優衣に、未だ距離を置いていた。


 男子の集団が詩織を先頭にした女子4人と重なる。

「おつかれさまです。みなさんも元気ですね!」

 英人は亜香里たちの方を向いて挨拶をする。

「私たち、ゆっくり走っているから、お先にどうぞ」

 詩織はスルーを決める。

「(これ以上のアプローチは、やめとくかな)では、お先に」

 悠人はスピードを保ったまま女子を抜かして行く。


 悠人は女子の列を抜かしていく途中で、亜香里と重なった。

(やっぱり、夢に出てきたのは、この子だよなぁ。ジャンプスーツと今着ているジャージでは感じが違うけど、体型はほとんど同じだし、夢の中では髪を振り乱していたけど『秒速10メートル以上で飛んでいたから当たり前?』今は走るからポニーテールにしているのかな? この髪型も似合ってる)

 悠人は走りながら亜香里のことを観察する。


(なにをジロジロ見ているの? 同じクラスの理系男子だと思うけど、なんでそんなに見るのかなぁ。エッ! もしかして昨日の晩、夢に出てきた? 長身男子が1人下からグーッと上がってきてたのが見えたけどメガネは掛けてなかったし)亜香里は詩織に変な夢の説明をしたあと(ありえないけど、現実かも?)と思い始めていた。


 亜香里は気になったらまず行動してみる派である。

「理系の人ぉー、私の顔に何か付いていますかぁー?」

 横を走る悠人に大声で聞いてみる。

「(理系の人? 俺のこと?)萩原悠人って言いまーす。あなたの顔には何も付いていませんよー。では、お先にー」

(何なの? 自己紹介をしてくれとか、言ってないんですけど)

 亜香里は悠人の受け答えに不満気味。


 詩織たちは十五分ほど走りトラックから引き上げ、宿泊棟へ戻ることにした。

 男子はまだ走っている。

「男子たち、よく走るね。亜香里は走りながら男子と何を話をしていたの? 新手のナンパ?」

 詩織は、まだゼイゼイ言っている亜香里に容赦なく聞いてみる。

「違う、違う。ジロジロ見られている気がしたから聞いてみただけ」

「亜香里さんから話しかけたのですか? 研修2日目から積極的ですね。そう言えばさっきの変な夢って、なんですか?」

 優衣はいろいろと亜香里のことが気になっている。

「話せば長くなるから、お風呂に行こう。お風呂に行ってからね」

 亜香里はなんとか誤魔化す。

「じゃあ、またね」

 亜香里と優衣は別室の詩織と別れ自室に戻る。

「急ごう、お風呂の順番が来ている」

 同室の2人は部屋にはおらず、詩織と優衣は急いでお風呂へ向かう。


 脱衣所の鏡で、お尻を確かめてみる亜香里。

(あー、良かった、赤かったのが治っている)

 ホッとする亜香里である。

「小林さんって、お尻に何かあるのですか? アピールポイントとか? もしかしたら尻モをやっているとか?」

 優衣はお尻を鏡に映している亜香里をしっかりと見ていた。

「アピールとかしてないし。って、シリモってなによ?」

「美尻モデルですよ。手や足とかと同じ様に特定のパーツだけのモデルです。私、時々頼まれてヘアモデルをやっていましたから。事務所に行くといろいろなパーツのモデルさんがいました」

「へーっ、ヘアモデルって、下の毛?」

「そんなの、あるわけないじゃないですかぁ! 髪の毛です、髪の毛。小林さんは朝、お尻を出して寝ていて今はお尻を眺めていたし、何かそういう趣味の人なのですか?」

 優衣は亜香里のお尻丸出しが、気になって仕方がないようだ。

「大きな誤解です。説明いたしますとですね、夜中にお尻のほったぶが、痛くてヒリヒリしていたのですよ。触れると痛いから、パンツを下ろしてそのままにしていたら寝落ちして、みなさんに見られたというのが事の顛末です。今、改めて鏡で見てみて大丈夫なのか確認した次第です。ご理解頂けましたでしょうか? 篠原優衣さん」

「あーっ、そういうことだったんですね。了解です。あと変な夢は?」

 優衣は亜香里に興味の尽きないご様子。

「お風呂に入る時間が無くなっちゃうから、取りあえずお風呂に入ろう」

 割当時間が残り少ないのは事実だが、亜香里はごまかしモードに入っていた。

「そうですね。時間が無くなりますね。入りましょう」

 お風呂に入ってから部屋に戻るまで、亜香里と優衣が2人だけになることはなく、同室の4人でお菓子を食べながら、自分の学校のこととかを話しをしていると消灯時間になった。

 亜香里はベッドで横になり(また、あの夢を見たら嫌だな、というか、そもそも夢なの?)と考えているうちすぐに眠りに落ちてしまった。小さな頃からとても寝付きの良い子であった。

(アーッ、小林さんに変な夢の事を聞くのを忘れていました)優衣は横になり、聞くことを思い出したがすぐに眠りについていた。

 彼女も生まれつき寝付きが良い子であった。

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