006 研修2日目 お昼休みの出来事

「…と言うことで、当社は生命保険、損害保険の両方を取り扱うことにより、お客様一人ひとりの疾病・傷害や財産、また法人のお客様が抱えるリスクに取り組んで社会に貢献しております。午前中はここまでにします。午後は1時から再開します」

 教室を出て行く川島講師。昨日から講師の話による座学が続く。

「ふぅ、やっと終わった。長かったけど一般的な内容がほとんどね」

 藤沢詩織が小林亜香里の席へやって来る。

「今日は変なテストがなくて良かったよ。気合いを入れて眠気と戦いました」

「亜香里は毎日、眠気と戦っているの? それって無駄にエネルギーを使ってない? 学校ではそんなふうには見えなかったけど」

「大学では講義が空いた時間に仮眠を取っていましたから」

「大学に仮眠室は、なかったでしょう?」

「部室ですよ。写真部には暗室もあったし、たくさん棚もあったから分厚い教科書は置き放題、辞書も借り放題で楽でした」

「亜香里は写真部に入っていたの? カメラを持ち歩いているところを見たことがないけど」

「大学ではカメラを持ち歩きません。構内でも学生にレンズを向けたらまずいでしょう? 部活で写真を撮る時は、撮る枚数がハンパないから。知らない人が近くにいたらシャッター音で引いちゃうと思うよ。それより食堂に行こうよ。ご飯、ご飯」

「はいはい、食後は、探検ね」


「悠人、元気?」

 加藤英人が、萩原悠人の席に来ていた。

「あぁ、眠かった。英人は眠くなかった?」

「こういう講義もあろうかと、アクチュアリー(保険数理士)1次試験の過去問を持ってきた」

「抜かりないなぁ、内容はどう?」

「数理系はまあまあかな。KKTは経済がどうのこうの文系科目だから参考書を買って読んだ方が良いと思う。そう言えば朝、食堂でジャージの子、同じクラスだったんだな」

「(自分の夢に出てきたとは言わずに)壁に貼っている一覧表で確かめた。小林亜香里。今、一緒に食事に行った背の高い子が藤沢詩織」

「相変わらずデータ・チェックが早いのな。食堂で見た時は、どこの怪しいやつだよ?と思ったけど、結構カワイイね。背の高い子は美人さんだし」

「でも、小林亜香里は、大食いだぞ」

「そこまで、チェックしているの? 入社早々、気になったとか?」

「そういうんじゃないけど、カワイイ子、キレイな子は要チェックでしょう?」

 相手が英人でも昼間から夢のことは話しにくい。

「俺たちも食堂に行くかな。これが1ヶ月続くのは気が重いけど」

 先のことが気になる、英人だった。


「う~ん、食べた食べた。やっぱり正しい食生活は大事よね」

「また、ご飯のお代わりをしていたでしょう? 何でそんなにご飯が食べられるの?」

「日本人は基本、お米です[キリッ]。 さて、探検、探検」

 2人は宿泊棟の出入口で、スリッパから靴に履き替えて外に出てみる。

 4月初めにしては、うららかな日和。

 日差しがまぶしい。

 宿泊棟から研修棟の横を通って、裏に回る。

「さてと、どの辺から攻めるかな?」

 詩織はコマンドモード。

「攻めるって何よ、攻めるって? 詩織は何かやっていたの?」

「少し前、男子に誘われてサバイバルゲームをやったことがある。あと脱出ゲームとか」

「脱出ゲームは、私もやったことがある。お化け屋敷の迷路みたいなヤツの謎解きね。タイムアウトになったけど」

「一年以上前のことだし、最近はどうなんだろう。まだ流行ってるのかな?」


 研修棟と宿泊棟から死角にあたる位置に古い2階建ての建物がある。

 元は白かったであろう壁面は全体がくすんだ灰色をしており、窓がどれも小さい。

「なに、これ? なんか古い研究所っぽくない?」

 詩織のセンサーが古い建物に反応する。

「どこかで良く似た建物を見た気がする。バイオハザードの研究所? 行こうとするとゾンビ犬が襲ってくるところ」

 亜香里は小さい頃、両親がテレビでプレイしていたゲームの画面が衝撃的だったことを思い出す。

「怖いこと言わないの」

 詩織は意外なことにゾンビは苦手である。

「入口が少し開いている。入ってみない?」

「止めておこうよ。勝手に入ったら、あとで怒られるかも知れないし」

 詩織はゾンビ映画でも思い出したのか、中には入りたくない様子。

「KEEP OUT のテープが貼られていないから大丈夫。入ろ、入ろう」

 好奇心旺盛な亜香里は『大丈夫』のレベルが少しズレているようだ。

 半開きの入口から、中へ入って行く。

「おおっ、何かそれっぽいところですねぇ、吹き抜けのホールとその正面に2階へ上がる階段が両側についている」

「戻ろう。何かヤバイ感じがする」

「こんにちはぁ、誰かいますかぁ?」

 亜香里は薄暗いホールに声を掛けてみた。

     *     *

 鈍い警報音が鳴り始めた。

「なんですか? 昼休みに。働き方改革に逆行していますよ」

 担当は文句を言いながらディスプレイを確認する。

 異常を感知したセンサーが設置された箇所のカメラ映像が、壁面のディスプレイに表示される。

「ありゃ? 新入社員がトレーニングA棟に入っている。誰か鍵を掛け忘れたのかな? 最終退出者は誰ですか?」

 壁面全面のディスプレイ下部に、ポップアップされ映し出された最終退出者リストの名前は自分である。

「そうか、昨日のワンオペが終わってから、準備でトレーニングA棟をコントロールしたあと閉め忘れたんだ。働き過ぎだよなぁ。無かった事にしておこう」

「誰かと思ったら、能力候補生の小林亜香里じゃないですか。もう一人は誰だろう? トレーニングテストには参加していない顔ですね」

「トレーニングテストと同じ音声で、小林亜香里に圧を掛けて追い出しましょう」


「危険区域に入っています! そこにいると拘束されます」

 冷たく突き放す、機械音声。


「何これ! ヤバイよ、直ぐ出よう!」

 いやな予感が的中し、青ざめる詩織。

「(ウーン? この声、昨日から夢に出てくる機械音声と同じ?)、わかった。とりあえず外に出よう」

 亜香里と詩織は走って建物の外に出たあと、目立たない様に早歩きで宿泊棟に戻りスリッパに履き替え、玄関脇の自販機コーナー横の長椅子に座って一息ついた。

「やばかったねー、カメラで監視されていたのかな?」

「監視カメラがあったのは確かよね。ホールに人の気配がなかったから。でも何であの音声だったんだろう」

「あの音声って、何?」

「(詩織には話しても良いかな? 夢だし)研修センターに来てから、夢見が悪いと言っていたでしょう。その夢の初めと終わりに必ず、今聞いたのと同じ機械音声のアナウンスが入るの。上から目線で」

「どういうこと? 話がよく見えないのだけど?」

 亜香里は昨日から見ている夢の内容を詩織に説明する。

 痛い思いをした追っかけて来る赤い光る玉については、症状を交えて。

「う~ん、何だろう? 夢にしてはリアルね。そうだ! 立ってうしろを向いてみて?」

 首を傾げながら立ち上がりうしろを向いた亜香里のスカートをたくし上げ、一気にパンスト以下を剥ぐ詩織。

「何するの! 詩織はそっちの人だったの? 私はそういうの無理だから!」

 叫びながら急いで詩織から身体を離し、顔を赤らめてブツブツ文句を言いながらパンスト以下を引き上げる。

「勘違いしないで。右のお尻のほっぺが少し赤いよ。5センチくらいの丸い形」

「えぇ! そうなの? 見えないよぉ」

「写メ、撮ろうか?」

「相手が詩織でもスマートフォンでお尻を撮られたら心配だよ… そうだ! 私のスマートフォンで撮ってみて」

 詩織は渡されたスマートフォンで亜香里のお尻を撮る。

 たまたま周りに誰もいないから良いものの、誰かが通り掛かったら朝食の食堂騒ぎに続き、亜香里伝説が生まれそうな図である。

 詩織の撮った画像をのぞき込む亜香里。

「ほんとだぁ。今は痛みもないけど… しばらくしたら消えるのかな? 残ったら嫌だなぁ」

「腫れてなさそうだし、そのうち消えるんじゃない。とりあえず様子見だね」

「分かった。でもどういうこと? 昨日からの夢の変なことは、夢じゃないって事?」

「テストの時、亜香里は教室に居たからね。お昼休みと夜は分からないけど」

「ちゃんと宿泊棟の部屋で寝ていました。朝、同室の子に起こされるまで、お尻を出して寝ていたから」

「亜香里って、お尻を出して寝るのが通常モードなの?」

「いやいや、私のお尻をひん剥いたのは詩織でしょう? 昨日の夜はヒリヒリが治らなくて寝落ちしたの」

「それで寝坊したと?」

「同室の子たちに、お尻を出して寝ているのを見られて笑われました」

「じゃあ『コンビニ強盗』から『尻出し娘』にリネームだね」

 詩織は自分で言いながら笑い出す。

「冗談じゃないよ。まだ研修は2日目なのに疲れたよ」

 話をしているうちにち、お昼休みが終わりに近づき二人は研修棟へ戻ることにした。

「午後も寝ないようにね」

「分かった。寝たら危ない気がするから全力で頑張る」

 頑張りどころが他の人とは少し違う亜香里である。


 お昼休みに宿泊棟の部屋でアクチュアリー試験の傾向と対策について話をし、お昼休みが終わりに近づいたので、悠人と英人は上の階から1階に降りてきた。

 玄関を通って研修棟へ行こうとしたところで自販機コーナーから女子の声がする。

「お尻が…」と聞こえてくる。

「(小声で)悠人、なんだか意味深な会話。ちょっと様子を見てみよう」

(あの声は彼女だよな)うなずく悠人。

 二人は下駄箱の陰から聞き耳を立てていた。

 話が終わり、亜香里と詩織が研修棟へ向かう廊下の角から姿が見えなくなると

「俺らも急ごう、午後の研修が始まる」

 研修棟へ向かいながら、悠人と英人は今聞いた話の内容を状況分析する。

「悠人がチェックしていた、お二人さんだよね。カワイイ系と美人系の」

「う~ん、女子って良く分からないなぁ。特殊な関係なのか? 特殊な性癖でも持っているのかな?」

「よく見えなかったけど秘密の撮影会? 声を掛けたら俺らも入れてくれたのかな?」

「英人は積極的過ぎ。入社早々にわいせつ行為で謹慎や解雇になったらシャレにならないだろう?」

「それはそうだ、とりあえず観察対象ということで」

「そういうことで」

 二人は大学の研究室で継続的な観察を心得ていた。

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