002 研修1日目 いきなりテスト

 入社式の翌日、都心から電車で1時間ほど離れた駅の南口から、キャスターバッグを引くリクルートスーツの集団がゾロゾロと出て来る。

 小林亜香里もその中にいた。

『思ったより電車に乗っている時間が長かったなぁ』

 亜香里は電車の中で寝過ごさないように、空席が目立つ車内で立ったままドアに寄りかかりながら外を眺めていた。


『駅から微妙に遠いけどタクシーは無いのね。みんな歩いているから仕方ないかぁ』

 十分ほどキャスターバッグを転がしながら『まだかな?』と思い始めたころ、研修センターの大きな両開きの門が視界に入る。

『ようやく到着。思っていたよりもこの研修センターは妙に大きくない? 建物がいつの時代か分からないくらい古いのだけど』


 研修センターは街並み1ブロック分の広さがあり、周囲は3メートルほど高さのあるコンクリートの塀に囲まれている。

 塀の所々には防犯カメラが設置されており、門を入って直ぐ左手には守衛室がある。

 4階建ての宿泊棟が4棟、研修棟が2棟、食堂や浴場、洗濯が出来る施設棟、その他にもよく分からない建物がいくつかあり、周りにはグランドや空地もあり、企業の研修所にしては広大である。


『保険会社の施設だから、警備もしっかりしているのかな?』

『見た感じは古い学校の校舎と同じね。会社のパンフレットに載っていたものより古くない?』

 少し建物が古くなったリゾートホテルをイメージしていた亜香里は、予想が外れてモチベーションがダダ下がりである。


 門を入ってすぐ右手奥に創業者の銅像があり、少し離れたところに [殉職者の碑] と書かれた石碑がある。

『保険会社なのになぜ [殉職者の碑] があるの? そんなに危ない仕事があるの?  歴史のある会社だから戦時中に亡くなった人とかかな?』

 少し考えてみたが、考えても分からないことはそれを頭からサクッと削除できる亜香里である。

 守衛室横に長机が出されており、新入社員入場の受付を行っていた。

『一度ここに入ったら、ずっと出られないとかないよね? 夜の自由時間は外に出られるのかな?』

 そう思いながら、駅からここにたどり着くまでお店が(コンビニも)一軒もなかったことを思い出して脱力する。

『お菓子を多めに持ってきて良かった。同室の子と交換しよう』

 食べることには、前向きである。


 入場の受付を済ませ、宿泊棟入口のホールに貼り出されている宿泊棟と研修棟の部屋割りをメモして、割り当てられた2階の部屋へ荷物を置きに行く。

『4人一部屋かぁ。1ヶ月間だから何とかなるでしょう。同期になるのだから社内情報網の構築は重要ね』

 ノックをして部屋のドアを開ける。

「小林亜香里です。よろしくお願いします」

 声を掛けると、入って直ぐ右のベッドに座っている小柄でおとなしそうな子が返事をしてきた。

「篠原優衣です。よろしくお願いします」


 室内を見渡すと奥の窓際両脇にあるベッドには、2つとも荷物はあるが誰もいない。

「2人とも遠くから来たそうで、昨日から前泊しているとのことです。さっき、足りないものを買いに行くと言って出かけて行きました」

 篠原優衣が説明してくれる。

「誰がどこのベッドを使うのかを決めなかったのですが、2人が奥のベッドを使っていたので、私はそのままで良いと言ったのですけど」


「いいんじゃない。ベッドの大きさは同じでしょう?」

 即答する亜香里。細かなことにはこだわらない性格である。


 十一時の研修開始に間に合うように研修棟へ向かう。

 割り当てられた部屋に入ると、高校の教室と同じ様な机の配置。1クラス三十人席で、初めて入った部屋なのに懐かしく感じられる。


「よ! 電車で居眠りして寝過ごさなかった?」

 いつもの調子で勢いよく藤沢詩織が話しかけて来る。

「詩織も同じクラスなの? チョット安心」

「一人でも知っている顔を見ると、安心するね」

 2人が話をしていると、年輩の講師が部屋へ入ってきて教壇に立ち、新入社員たちは着席し教壇に目を向ける。


「みなさん、東京日本生命損害保険株式会社入社、おめでとうございます。私はこのクラスを担当する川島と申します。今日から1ヶ月間、研修を通じて会社に慣れ、同期の社員とも知り合い、一人前の保険会社の社員として活躍して頂きたいと思います。さて、この研修センターでの諸注意ですが…」


『本当に社会人になったのね。このおじさんはずっとここにいるのかな?』

 亜香里は少し緊張し、周りの新入社員と同じように背筋を伸ばして、講師の話を聞いている。

「……ということで、お昼休みまでまだ少し時間がありますので、簡単なテストを行います」

「「「ええっ!!!」」」

初日からいきなりテストとは、一同ビックリ。


「驚かなくても大丈夫です。皆さんは当社に入社された方々なので、改めて何かの選抜をするテストではありません。簡単な知識の確認や性格の傾向を見るものです」

 川島講師の説明を聞いて、ホッとする新入社員たち。

 前の席から順にテスト用紙が配られる。

「それでは始めて下さい」

 講師の合図で三十人が一斉に答案用紙に向かう。


『四択ですか? これなら分からなくても答案用紙を埋められそう』

 いつもの様にポジティブ思考の亜香里である。

『で、1問目は?』


[問1] 質量とエネルギーの等価性について、正しい説明はどれか?

『ちょっ、ちょっと待ってよ! うちの会社は保険会社よね? 化学とか電気の会社ではないよね?』

 1問目からダメージを受ける。

『1問目は鉛筆に任せよう。で、2問目は?』


[問2] マクスウエルの悪魔について、正しい説明はどれか?

『オイオイ、悪魔って何よ? 悪魔って?』


[選択肢 (ア) 均一な温度の…、 (イ) 熱力学第2法則の… ]

(ギブギブ。これって物理の問題? 物理は高一でやっただけだし、なんとか赤点を取らずに済んだ成績だったし)

 亜香里は答案用紙を見てすぐに、ポジティブ思考が折れそうになる。


(このテストが出来なくても、入社が取り消しにはならないのよね? これで配属される部署や営業所が決まったりするのかな?)

 少し不安になりながら(ウゥ…… 急に眠くなってきた。試験中だよ? 寝ちゃダメでしょう! 起きなさい! 自分!)無駄な抵抗をしつつ、意識が薄れていった。


    *     *


「研修初日から、あのテストを仕込んで、トレーニングテストを開始するのですか? 少し早くないですか?」


「昨日、上の方から速やかに実施するよう指示されたからね」


「もう、スキャナに反応している新入社員が何人かいますが?」


「さっそく『組織』の空間へ転送して、トレーニングテストを開始してください」


「本人達に、説明は無しですか?」


「まだ説明は無しで。本人達はテスト中に寝落ちして、変な夢を見たくらいにしか思わないだろう」


「では三十分のトレーニングで、現実時間は三十秒ぐらいで良いですか?」


「それくらいなら周りに気づかれないし、本人も気がつかないだろう」


「それでは始めます」


     *     *


「あれ? ここはどこ? 私は誰? ではないよね。私は私だけど。研修が始まってすぐに変なテストを受けていたと思うけど」

 亜香里は試験中の居眠り状態から目を覚まし、一人でぼけツッコミをしながら、板張りの武道場のようなところから起き上がる。


 周りに顔見知りはいなそうだが、亜香里と同じ様に研修を受けていたのであろう新入社員らしき人たちが5~6人、ボーッと立っている。

 着ているものが何か変だけど。


 頭上から機械的な音声が聞こえてくる。

「みなさんは能力者候補としてここに集められました。能力者に選ばれれば人類を救う活躍ができます! それではトレーニングテストを開始します」


『誰が何を言っているの? と言うか、どこからこの声は聞こえてくるの?』

 意識がハッキリしてきて周囲を観察する。周りのみんなも声が聞こえてくる方向を探している。


 周りのみんなが黒くて光沢のあるジャンプスーツを着ているので変だなと思いながら、自分の身体を見てみると研修センターに来る時に着ていた黒のリクルートスーツが、みんなと同じ黒のジャンプスーツに変わっていた。


『これって小さい頃、テレビの映画番組で見たマトリックスに出てきた、おばちゃんが着ていたのに似ている。飛んだりしていたよね』

 亜香里は映画マトリックスのトリニティーを思い出していた。

(名前を思い出せないなぁ)どうでも良いことまで考えている。


「それではトレーニングを開始します。呼吸を整えて全身をリラックスさせ、意識を上へ集中させて下さい」


『何を言ってるの? アレッ! 何で急に床が無くなるの? 下が真っ暗なんだけど』

 周りにいる人たちも驚いた様子で上へ上ろうと、もがいている。

 つかまるものが何も無いのだが。


「初めてにしては、落ちないだけでも上出来です。もっと気持ちを上に集中させて、グッと昇る意識を持つようにして下さい」


『勝手なことばかり言ってるおっさんやなぁ、こちとら必死やで』

 エセ関西弁が頭の中を巡る。


 下の方を見ると、少しずつ落ちていく数人が涙目で、もがいている。

 亜香里はその人たちのことを気にしつつ、自分のことで一杯一杯。

 少しずつではあるが、上に昇り始めていた。


 目の前のことに必死で気がつかなかったが、いつの間にか天井が無くなり、周りの壁も無くなっていた。

 周りには何も無く、上が明るく、下が暗い空間に漂っている状態である。


「もうちょっと頑張ってみましょう。まだまだ行けますよ!」


『何を適当なこと言っているの! 浮いているだけでも、しんどくて疲れてきたのに。だけど暗いところには落ちたくないし…』

 亜香里がチラッと下を見てみると、先ほどまで下の方でもがいていた数人の姿が見えなくなっていた。


『何だか分からないけど、ヤバい… 落ちたくないよ!』

 必死になって『上へ』と気を入れて念じると、身体がグッと上に持ち上がって行く。


「おっ! 初日から出来る人が出てきましたね。これはやりがいがあります」

 ノリノリの機械音声。


『もう、何言っているの! 何とかしてよ!』

 周りを確認すると、自分と同じ様に数人が、下の方から上へ上ってくるのが見えてきた。


「オーケーです。今日は初めてなのでこれくらいで終了します。エネルギーを使ったので、十分に栄養を取っておくようにしてください」

 最後の機械音声は管理者のような注意事項であった。

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