姉がV(なんか)やってる
@sakai_yama
第1話 多分これは姉じゃない
「暑っつー」
七月の第三週、最高気温は三十度を超えた真夏日、何の変哲もない公立高校の教室内にて、学期末の定期試験を終えたばかりの
「ユウ、どうだったよ試験」
ぐだりと溶ける優也に、団扇片手に自らの顔面に風を送りながら語りかけてきたのはその友人、
「あー、なんか微妙」
優也が顔を持ち上げると、木目に汗でへばりついていた頬がぺりぺりと音を立てて剥がれた。机には頬の形の跡が残る。
「どうする? この後、どっか行く?」
「羽伸ばすかぁ」
三日間ある定期試験の日程も本日が最後。部活動も今日までは休みだし、優也は部活以外に予備校にも通っているが自身でコマを選択するタイプの予備校であるため、前もって「今日くらいは」と授業を入れていない。
そして本日は金曜日。明日明後日は土日で、さらに一週間もすれば夏休みに入る。
目下一番の山場を乗り越えた高校生男子にとって、これほどテンションの上がる一日は中々ない。
「何処行く?」
建士が問う。と言っても未成年の学生が遊びに行ける盛り場なぞそう多くはない。カラオケ、ゲーセン、ファーストフード。たまにいる少しやんちゃな奴らがライブハウスに行ったり行かなかったり。生憎優也たちは至って平凡な高校生。選択肢はそう多くはなく。
「……カラオケ?」
疑問系で返した答えにどだい文句などあるはずなく、建士は優也とその他大勢のいつもの面子に声を掛けて、都合六人の野郎連中でカラオケ店に放課後向かうこととした。
「天国だわー」
放課後、と言ってもこの間にあったのはホームルームくらいなものであって、時間自体は大してまたいでおらず。学校が終わり次第自転車に跨って、炎天下の中十五分それを漕いで、カラオケ店に入って店員に通された部屋に入って、ガンガンに稼動するエアコンの前に仁王立ちする建士がそんな声を上げた。
「どうする? なんか頼む?」
備え付けのメニューを開いて確認する優也。
「フライドポテト《いも》」
「ロシアンたこ焼き」
「金ないからいい」
周囲から寄せられた意見を統合するとこの三つ。清貧たる男子高校生からすれば至極納得のいく回答が返ってきた。
「じゃあ芋とたこ焼き頼むから」
フロントに繋がる受話器を手にしたところで、既に友人の一人が選曲を終えて軽快なメロディーが大音量で流れだしていた。
「ウォイ! ウォイ!」
ノリノリでタンバリンを鳴らしながら合いの手を入れる馬鹿。
「一人にしないでとボクは叫ぶよー!」
それに浮かされてノリノリで歌う馬鹿。
「……」
一切歌を聴かずにデンモクで曲を探す馬鹿。
「俺さぁ、最近これにハマってんだよねぇ」
「何これ」
やはり歌を聴かずに世間話をする馬鹿二人。
男子高校生が遊んでいるときは大抵馬鹿である。
それでいいしそれが楽しい。ついでに言うと残りの一人はフリードリンクをいいことにガブ飲みしてトイレ行っている馬鹿である。
世間話する馬鹿の片割れこと建士がもう一方の馬鹿こと優也に見せてきたのは自身のスマホ、そのYouTubeアプリだった。
建士のYouTubeオススメ画面にはずらりと美少女キャラが並んでいる。
「知らん? VTuberっつうの」
「あー、名前はなんか聞いたことある。声優みたいな奴でしょ」
「おー……まあそれでいいや。うん、大体あってる」
「お前説明めんどくさくなってんだろ」
建士が斜め上を見ながら頷くときは概ね説明が面倒になって放り投げているときだ。優也は高校に入ってからの付き合い、短さではあるがそれくらい分かる程度に付き合いは深かった。
「面白いから見てみって」
「この人たちは何してんの?」
「えっ、哲学聞いてくんのやめてくんね」
いやそうではなく。
優也は突っ込んだ。
「どんな活動してんのって聞いてる」
「あ、そゆこと。えー、歌ったり? ゲームしたり?」
「……これ言っていいかわかんないけどさ」
「何よ」
「それ普通のYouTuberでいいじゃん」
言った途端、建士に天を仰がれた。
「っはー! 分かってない! 分かってねえわーこの男!」
「そら分かってないよ名前聞いたことある程度だし」
「いいか? 二次元の美少女がやってるのがいいんだよ! キャラがフレキシブルに考えて、喋って、笑って! それが、いいの!」
「……へぇー」
「分かってねえ反応!」
いいから試しに見てみろって! そう建士に薦められても、いや今Wi-fiないし、ギガ減るし、と優也は守備陣形を取った。
「分かった。ちょっと待て。短い切り抜きなら見せてやっから」
切り抜きとはなんぞや。
唐突に出てきた謎ワードに引っかかりを覚えながらもあれでもないこれでもないと動画を探す建士を前にすると尋ねるのも何か悪い気がしてきた。
優也はストローの刺さったドリンクをぐびぐびと飲み干しながらその問いも同時に胃へと下した。
「……あー」
同時にふと思う。わざわざキャラになりきる、VTuberになるメリット。それは……。
「身バレしにくいな」
成る程、思いついてみれば確かにそうだ。
顔を出してやっているYouTuberは有名な人なら自分でも知っている。テレビにも出るご時勢で最早芸能人だ。
しかしそうなると知名度と引き換えに差し出すのがプライバシーとプライベート。街中を歩いていて気付かれるのはメリットよりもデメリットのほうが大きいのではないか。
そう考えるとVTuberというものは存外ネットリテラシーに則したものではないだろうか。
よく知らない世界に対して一つの解法を得た優也は得心のいった表情で一つ頷いた。
「あった、これだ。最近俺が追ってるVの、
ようやくこれぞという動画を見つけたのだろう建士が再度優也にスマホ画面を突きつけてきた。
画面に映るのは【リアル弟への愛情がヤバすぎる雪那お姉さん】というタイトルと、髪も肌も真っ白に作られた二次元キャラがコメントに相対しているサムネイル。
「ガチブラコンなんだけどそれがいい。弟くんへの愛が深すぎてマジてぇてぇから」
こいつちょくちょく意味分からん言語挟んでくんな。
ずぞぞ、とドリンクを飲み干しながら優也は白い眼で友を見た。
「とりあえず見とけ?」
そう言ってサムネイルをタップする
数秒の広告の後に聞こえてきた音声は。
「……え?」
優也にとって、中学二年から高校一年の間は平穏に守られた時間を過ごしてきた。
恐怖もなく、視線もなく、一番多感な時期を大変充実した環境で過ごすことが出来た。
紛れもなくその要因の一部にして最大は、姉が全寮制の女子高に封印されたことに尽きる。
姉は、怖かった。
優也は姉が、怖かった。
暴力だとか、姉であるという立場から振り下ろされる理不尽から来る恐怖ではなく、むしろその逆。
愛である。
果たして愛は恐ろしいものなのか。それは世論においても意見の分かれるところではあるだろうし、むしろ大多数は「愛が怖いってどういうこと」と首を捻ることだろう。
だが、姉が見せる愛は優也からすれば紛れもなく恐怖だった。
愛と一言にしても、それには様々なものがある。家族愛、友愛、親愛。
そういったまともなものなら優也だって恐怖を感じなかった。だが、姉が優也に向ける愛情はそういった類のものではなく。分類するのならば。
盲愛。
狂愛。
性愛。
そう呼ぶのが正しいものであった。
時折背中に感じる姉の視線は猛禽類だとか肉食獣が獲物を前にして見せるそれに似ていて。
定期的にパンツが無くなったかと思うと気付かぬ間に帰ってきたり。
執拗なまでに肉体的接触を兼ねたスキンシップをしてきたり。
風呂に入ってくると三日に一度のペースで「ごめん気付かなかった」と風呂場に乱入し、気付かなかったのならさっさと出て行けばいいのにそのまま一緒に入ろうとしてきて。
頻繁に自分と弟の歯ブラシを間違える。
バレンタインにとんでもなく本格的にチョコを出してくる。
子供の頃に言わせられた「お姉ちゃんと結婚する」という台詞が未だにMP3とWAV形式でPC、スマホ、外付けHDD全てに保存されていて。
血の繋がった肉親から行われるそれらの行為は恐怖以外の何物でもなく、姉の何かがおかしいと勘付いた父が姉の進学先を全寮制女子高に決めるまで続いていた。
そして、優也が高校二年に進級すると同時に、その姉の、
だが、お勤めを終えた姉は比較的マトモになって帰ってきた。
過剰なスキンシップは相変わらずだが、以前と違って精々が耳かきや肩揉みを要求される程度。風呂場には入ってこないし、パンツもなくなりはしなくなった。
聡い人が聞けば一種のドアインザフェイステクニックではないかと勘ぐる所だが、どうやら優也はそこのところ麻痺していて、これでも随分マトモ扱いにしてしまっていた。
ともあれ、優也からすれば姉からの愛情が少しでも真っ当な方向に向きつつあるだけで嬉しかった。
流石通っていた女子高がカトリック系なだけはあると漠然としたイメージのみで褒め称えた。
姉のこれまでの振る舞いは一種の麻疹のようなもので、歳月を経ればやがて大人しくなっていくものなのだろうと、優也は一筋の希望を見出した。
実際、高校二年の今日この日まで、姉からの直接的な毒牙は未だ剥かれていないのだから。
「何度も話していますけど、弟くんが本当に可愛くてカッコいいんですよぉ」
――何度も聞いた。
――せやな。
――何度目だこの話。
――大体一配信で最低四度は弟くん話ある。
――弟くんもV化はよ。
――弟くんの話題助かる代。
「スパチャありがとうございますぅ。いつもお話しているようにスパチャは弟くんと私の結婚費用に充てさせて頂きますねぇ?」
――だから血の繋がった弟とは結婚できないと何度言えば。
――弟の為なら法律さえ変えてしまいそうだから雪那お姉ちゃんは怖い。
――弟くんもVになれば法律なんて関係ないんだよなぁ。
「ダメですよぉ。私の弟くんはたった一人なんですから、お姉ちゃんと言っていいのは弟くんだけなんですよぉ?」
――アッハイ。
――コワイ!
――あぁ~、圧が凄い。これだからお姉ちゃん呼びはたまらねえぜ(死)。
――ホント雪那お姉ちゃんの殺意の目アコガレテル。
「早く弟くんが成人したらいいのになぁって毎日毎秒思います。そしたらお父さんとお母さんも無視して弟くんを拉致監き……じゃなくて大切に大切に養ってあげられるのに」
――なんか物騒な言葉が聞こえたんですが。
――毎秒なのか(困惑)。
――ヤンデレブラコン姉ほんと助かる。
――雪那お姉ちゃんの病みはやがて癌に効く。
なんか、友人のスマホから姉に似た声が聞こえてくる。
「……」
「いやあ、ヤンデレ姉ってよくね?」
暢気にスマホを突き出していた建士が「Vっていいだろ?」と語りかけてくる。
いや、だがしかし。
果たして実の姉がVTuberをやっていて、それを友人から見せられるという確率はいかほどなのだろうか。
それはまさに天文学的確率の下にしか成り立たないのではなかろうか。
よって、この声は姉によく似た人の声である可能性が極めて高い、というよりはそれこそが疑いようの無い真実なのではないか。
「……いや、ウーン。ちょっと」
「俺にはわかんないですね」
優也は分からなかった。
毒牙は剥き出しにされていないだけで、一日一日しっかりと研がれているだけなのだと、分からなかった。
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